そこは、遡ることができる国
柚城佳歩
そこは、遡ることができる国
その人に出会ったのは、俺が旅を始めて間もない頃の事だった。
旅に出たきっかけは、亡くなったじいちゃんのバイクを貰い受けた事だ。
まだ俺も小さく、じいちゃんが元気だった頃、いつも後ろに載せてもらい、二人であちこち出掛けた。
振り落とされないよう腰にしがみつきながら、びゅんびゅん流れていく景色を見ているとすごくわくわくした。
時折、風に負けない声で「どうだ、気持ちいいだろ」とじいちゃんが聞くから、俺も負けじと声を出して「うん!」と返す。
そんなじいちゃんも、じいちゃんのバイクもかっこよくて、俺の憧れだった。
「世界にはな、羽が生えた人たちが暮らす国や獣人たちの国、海の中にある国なんてものもあるんだよ」
「すごい!じいちゃんは全部行った事あるの?」
「若い頃いろんな国を旅行したが、全部はないな」
「じゃあおれが大きくなったら、一緒に全部の国に行こうよ!」
「それは楽しそうだね」
「約束だよ!」
世界は広い。想像のつかないような景色や、まだ見た事のないもので溢れている。
結局その約束が果たされる事はなかったけれど、じいちゃんが大切にしていたバイクを引き継いだ時に、そのバイクでいろんな景色を見に行こうと決めた。
それから数年。俺は旅人になった。
旅人、なんて言うとちょっとかっこよく聞こえるかもしれない。でも現実はなかなかハードだ。
荷物はバイクに載せられる分だけ。
食事はほとんど携帯食。
寝るのは大体テントと寝袋。
出発を優先して旅の資金も充分といえないまま出てきてしまったから贅沢は出来ない。
最初の頃はよく眠れなかったり、全然言葉が通じなくて困った時もあったけれど、そういう部分も引っ括めて楽しかった。
元々の楽天的な性格もあって、行き当たりばったり、なんとかなるだろでここまでやってきた。
でも気持ちだけではなんとかならないものがあった。そう、お金だ。
「腹減った……」
昨日から水で誤魔化してきたけれど、さすがにそろそろ限界を感じている。所持金は残り僅か。
持っていた携帯食は全て食べてしまった。
一度戻るにしても、家に辿り着く前にバイクも俺自身も燃料切れになるのは明らかだ。
無計画過ぎて我ながら呆れてしまう。
「どうするかなぁ……」
そして悪い事というのは往々にして重なるもので。まるで俺の心情を映したかのように雲行きが怪しくなってきた。
雲が空一面を覆ったかと思うと雨が降り始め、やがて土砂降りへと変わっていった。
時刻は夕方に差し掛かっている。
まだ小降りであれば今日落ち着ける場所をゆっくり探して歩けたものを、雨具があるとはいえ、この雨ではすぐに体が冷えてしまうだろう。
一先ず雨を凌げる場所をと辺りを見回せば、少し行った先にちょうど良さそうな建物を見付けた。
落ち着いた木目調の二階建ての建物は、一階が何かのお店になっているらしい。
明かりの点いていない室内を窓から覗いてみると、カウンター席の他にテーブル席が三つあり、カウンターの奥には色も形もバラバラなグラスやコーヒー豆、お酒の瓶らしきものがパズルのように組み合わさって並べてあった。
カフェ……なのか?
懐に余裕があれば、温かい飲み物の一杯でも飲みたいところだ。だが当然そんな余裕はない。
──ガチャ。
不意に扉が開く音がして反射的に振り向けば、髪の白い老齢の男性がこちらを見ていた。
「お客さんかな?」
「あ、いえ、その、少し雨宿りをさせてもらっていました」
「そうか。そこじゃ寒いだろう。おいで、何か温まるものを用意しよう」
「でも今……、実はお金なくて」
「はははっ、心配しなくて大丈夫だよ。とにかく中へお入り」
言われるままに中へ入ると、カウンター席に案内される。まともに雨宿り出来るのは正直ありがたい。エプロンをつけてカウンターの内側に立った男性は、流れるような手付きでカップや道具を動かしていく。見惚れているうちに、一杯のココアが俺の前に差し出された。
「どうぞ召し上がれ」
「……いただきます」
カップを持って一口。美味しい。今まで飲んできたものとは香りが全然別物だった。
そして何より、空腹に染み渡る。
ゆっくりと味わいながら飲んでいると、男性が今度はフライパンや包丁を準備し始め、冷蔵庫からもいくつかの食材を取り出し料理を始めた。
こちらも見事な手捌きだ。
見ているうちに、考えないようにしていた空腹感がどうしようもなく襲ってくる。
なけなしの残金、ここで使い切ってしまおうか……!
「はいお待たせ、こちらもどうぞ」
言葉と共に目の前に置かれたのは出来立てほやほやのオムライス。
「……え」
「お腹が空いているだろう。有り合わせですまないが、とにかく食べなさい。私の奢りだ」
「いいんですか」
「もちろん」
「……ありがとうございます。いただきます」
暫く振りのまともな食事だった。
ついがっつくようにして半分ほど食べた辺りでお腹も気持ちも落ち着いてきて、挨拶もまだだった事に気付く。
「ご馳走さまでした。すごく美味しかったです。俺はライゼっていいます」
「私はザイトだ。このカフェのオーナーをしている。君は見たところ旅をしているようだが、今日の宿は決まっているのかい?」
「宿というか、どこかテントを置ける場所を探そうとしていたところです」
「そうか。それならここに泊まってはどうかな」
「えっ」
「二階が自宅になっていてね、以前孫が使っていた部屋があるんだ。君さえよければそこを使うといい」
「それはありがたいですけど、どうして初対面の俺にこんな良くしてくれるんですか」
「それは……」
ザイトさんが壁を見遣る。そこには何枚もの写真が並べて飾られてあった。
「あの写真はね、孫が世界中を旅していた時、行った先々から送ってくれたものなんだ。今は旅をやめてどこかの国に定住しているようだが、君を見ていたら孫を思い出してね。つい重ねてしまった」
「そうなんですか……」
ザイトさんの話を聞いたからというわけではないけれど、俺もじいちゃんを思い出していた。
だから自然とじいちゃんの事、バイクの事、旅をする事を決めたきっかけ、これまで行った国の様子など、いろいろな事を話していた。
ついでに、お金がなくなって戻るにも戻れなくて困っている事も。
「私はこの街から出た事がほとんどないんだ。だから君の話はとても面白いよ。ザイトくんさえよければ提案なんだが、暫くここに留まって店を手伝ってくれないか?そしてまた、旅の話を聞かせてほしい」
俺にとっては渡りに船の提案だ。
ここで断る理由はない。
そうして俺はこの国に滞在する事になった。
気候といい、食べ物といい、この場所は自分の暮らしていた街とどことなく似ていて、過ごしやすさについ自分が旅の途中だという事を忘れてしまいそうになる。
店の仕事も少しずつ覚えて出来る事が多くなってきて、最近では働く事が楽しみにもなっていた。
そんなある日。
──パンッ、パンパンパンッ!
「うわっ、こんな早い時間に何事ですか!?」
「あぁ、花火だね。誰かが八十八歳の誕生日を迎えたんだ」
「誕生日?個人のお祝いでこんな派手な事するんですか」
「そうか、君は知らないんだったか。この国だけで起こるある現象を」
ザイトさんが話してくれたのは、なんとも信じがたい摩訶不思議な現象だった。
この国では八十八歳になると、そのまま年を重ねていくか、反転して年を遡るかを選べるらしい。
前者を選べば通常通り寿命が尽きるまで年を重ねていくけれど、後者を選べばどんどん若返っていく。
「それなら皆、若返る方を選ぶんじゃないですか」
「そうとも限らない。遡る時間はまちまちでね。それまで年齢を重ねてきた時間の倍以上の早さで遡っていくんだ。早い人は一年で十歳以上も若返ったという例もあるらしい。どんどん遡って、赤子にまで戻ると、最終的に体は消えてなくなる」
「消える!?……ってどういう」
「言葉通りの意味さ。何も残らず肉体は消える。まぁそこまで戻ってしまえば記憶も曖昧になるだろうから、突然消えたとしても、あまり怖い思いをしていなければいいなと思うよ」
詳しく教えてもらっても上手く想像が出来なかった。年齢を遡る?そんな現象、聞いた事がない。
「……ザイトさんは、どうするんですか」
ふと気になって聞いてみる。
「私かい?実は迷っているんだ。やりたいと思った事は大体やってきたし、自分一人で生活出来るうちはいいが、子どもにまで遡れば誰かの手助けが必要になる。でも時折訪れる君みたいな旅人や観光客の話を聞いていると、自分でもどこかへ行ってみたい気持ちにもなる。この歳ではもう難しい事も、若返ればまた出来るようになるものもあるだろう。まぁ選ぶにしてもまだ先の事だ。その時までゆっくり考えるよ」
それからまた暫く、ザイトさんの店で働きながらこの国で過ごした。
あの花火の音は、あれ以来何度か聞いた。
その度になんとも言えない不思議な気持ちになって、ザイトさんの事も頭を過った。
やがて季節が一巡りして、充分といえるだけの資金も貯まり、この場所に留まる理由がなくなった。
「行くのかい」
「はい。本当にお世話になりました!」
「淋しくなるね。でも君といろいろ話せて楽しかったよ」
「俺もです。そうだ、手紙書きます。あと写真もたくさん送ります」
「それは楽しみだ」
「それから……、ザイトさんの八十八歳の誕生日にはきっとまたここへ戻ってきます」
「わかった。待っているよ」
そうして俺は旅を再開し、世界中の国々のいろんな景色を見に行った。
昔じいちゃんが言っていた獣人たちの国や、海の中にある国にも行った。
見るもの全てが新鮮で、毎日が楽しかった。
あれから十年が経つ。
今日はザイトさんの八十八歳の誕生日だ。
年を重ねる方を選ぶのなら、またあの店を手伝うのもいい。
遡る方を選ぶのなら、一緒に旅をしないかと誘ってみようか。
さぁ、あの人はどんな選択をしただろう。
懐かしい木目調のカフェの扉をゆっくりと開く。
「やぁライゼくん、久しぶりだね」
そこは、遡ることができる国 柚城佳歩 @kahon
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