八十坂八重子88歳、シェアハウス始めました。
天雪桃那花(あまゆきもなか)
米寿を迎えた日
私は
今年で88歳になりますよ。
すっかりおばあちゃんな私だけど、実は気持ちはいつまでも23歳ぐらいでいたいなぁ〜なんて思ってるの。
20代はきらきらしていたものねえ。
縁側でロッキングチェアに座ってうとうとする時間は最高よ。
庭には捨て犬だった雑種犬の『信長』が気持ちよさそうにお昼寝しています。
縁側では子猫の『茶々』と『ねね』が二匹で寄り添って、目を細めて日向ぼっこをしてるわね。
二匹はね、うちのお店に来てたお客さんが飼えなくなったからと言うんで譲り受けた子猫です。
仲良くいつもゴロンゴロンとしているんですよ。
動物たちを見ていたらこちらも眠くなってきましたね。
米寿か。
とうとう私も米寿だよ、お母さん。
とっくに亡くなったお母さんを思い出すと、いつまでも切ない。
いくら経っても、いくつ歳を重ねても、お母さんがいなくなったことが寂しくて。
そしてお母さんを思い出すと、あったかい気持ちになるねえ。
私の名前は名字が『
八って末広がりで縁起が良いって言うのを、お父さんが気に入っていてね。
名字にも八が入っているから、名前にも入れようって八重子にしたんですって。
米寿まで幸せを重ねて楽しく生きて欲しいと願いをこめたそう。
うちの家族は気管支が弱くて風邪や病気に罹患しやすくてね。
私の兄妹は若くして亡くなってしまい、私だけが残ったんです。
五人兄妹だったのに、私以外は20歳を迎えられなかった。
そういう時代でした。薬も病院にかかることも高価なことで、栄養状態が悪かったものですから、一度肺炎や流行り病にかかってしまうとね……。
一番上のお兄ちゃんの太一は、私が物ごころついた頃には、もう遠くの親戚の住む町の病院で療養していました。私が学校に行き始めたあたりに悪化してしまいました。何度かしかお兄ちゃんに会えなかったのよね。
亡くなってからは両親のする真似をして、仏壇の間に飾られた遺影に話しかけていました。
お兄ちゃんはやっと家に帰って来れたんだよと、亡骸に抱きつき泣きじゃくるお母さんを今でも思い出します。
戦争のことはあまり思い出したくありませんね。
住んでいたのは空襲など戦争の攻撃をあまり受けなかった場所ですが、それでもやはり大変でした。
今も世界で戦争が起きていることが、私は悲しくて仕方ないよ。
お父さんとお母さんは町の小さな印刷所をやっていましたけどね、機械は鉄砲の玉などになるために持っていかれ、閉鎖をすることに。
なんとか、やせ細った裏庭の畑で育てた作物で食いつないでいましたよ。
いつもいつでもお腹が空いていて、ひもじい思いをしていたよねえ。
ああ、もう辛いったらないね。
子供だったから戦争の記憶は断片的だったけれど、お父さんとお母さんは子供を抱えていて大変だっただろうと思う。
滅多に食べられなかった甘い物が、食べられた時はとっても幸せな気持ちだったんです。
やっと戦争が終わってから、ご近所でお祝いごとがあって、紅白のお饅頭のおすそ分けがあったの。
お父さんとお母さんは子供たちで分けたら良いって、自分たちは遠慮して子供たちに少しでも多く食べさせようとしてくれてね。
でも私たちは、お父さんにもお母さんにも我慢せずに食べて欲しかったの。
私、説得したんですよ。
せっかくお祝いで頂いたものなんですもの。
美味しいものは、みんなで食べようって。
うふふっ。家族み〜んなで分けたら、一口ずつしかなかったよねぇ。
でも甘くって甘くって美味しくて。
あんこの香りがいつまでも口の中でダンスしてたね。
一番下の妹なんかね、紅白饅頭の箱を後からこっそり嗅いで、美味しかったこと思い出したりしてたみたいだよ。
平々凡々な人生でもたくさんの思い出があります。
良いことも悪いことも……。辛かったことや悲しかったことも多かったけどね。
戦争で一度は廃業したものの、印刷所を再開したお父さんとお母さん。私は婿養子をもらったのよ。
最初の夫はずっと年上の人で、戦争で負った傷が元で体が弱かった。それなのに優しいあの人はうちの家業を頑張って手伝ってくれて。
たった数年しかなかったけど、彼との穏やかな結婚生活はとても楽しかったねえ。
夫が病死してしまい、家業の行く末を案じて再婚しました。
私は子供を何人も産みたかったけど、
こっそり病院で調べてもらってね、私の方は問題なさそうだったのよ。
一度調べてもらおうって二人目の旦那様に言ったら、ひどく怒鳴られてね。実は向こうも再婚で別れた奥様は再婚先ですぐに子供を授かっていた。
だから、夫は自分に原因があるのを分かっていたのよ。認めたくなかったのね。
それならばと私は養子を迎えたかったのだけど、夫は大反対してね。
子育てしてみたかったわねえ。
私は兄妹がいたから、小さい子と遊んだりするのも好きだったのよ。
印刷所が時代の波にもまれて経営が立ちゆかなくなり、私は港の近くで小さな商店を始めたんです。
夫はギャンブルや女遊びにかまけて、家に帰って来なくなりました。
そしたらなぜかお店の経営が上手く行きだして、規模の小さいスーパーにまでになったのよ。
たぶん新鮮な魚を使ったお弁当が美味しかったからかしら? うふふ。
その頃ようやく生活が安定したから二番目の夫と離婚して、しばらくすると両親が次々と他界してしまったねえ。
私は家では一人ぼっちになったけど、友達や仕事仲間に恵まれたから、なんとか今まで元気に頑張れた。
経営してたスーパーは知人に譲って隠居して、こうして今度は女性専用のシェアハウスを始めたんですよ。
「こんな話、つまらなくないかい?」
「八重ちゃんのいろーんなお話、聞いてみたいの」
シングルマザーのお母さんと一緒にうちのシェアハウスで生活してるリンカちゃんは、中学校から帰って来るといつも私とお留守番です。
私とおしゃべりして、時にはオセロやトランプゲームをして、縁側に小さな文机を運んで来てね宿題をやっています。
いつか保育園やこども食堂も開きたいねえ。
シングルで頑張ってるママさん達の手助けもしたいものです。
安全安心平和に暮らせる、飢えのない世界が私の願いです。
子供達が、もちろん大人達も笑顔で毎日を生きていける素敵な世の中にしていかなくちゃならないねえ。
「「八重ちゃん、88歳のお誕生日おめでとう! 米寿おめでとう!」」
「あらあら……ありがとう」
私は88歳になって、人生初めてのお誕生日会を開いてお祝いしてもらいました。
お誕生日会には、シェアハウスの住人の皆さんやお友達に古い付き合いの方たちもいます。
きっともっとお友達も増えるでしょう。
まだまだ
米寿のおばあちゃんにだってやれることがありますからね。
人生100年時代、ますます元気に楽しまなくては損ですからねえ。
終わり
八十坂八重子88歳、シェアハウス始めました。 天雪桃那花(あまゆきもなか) @MOMOMOCHIHARE
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。