第1章 レコンキスタ

 ……眠れない。


 外のどこか近いところで、野良犬が遠吠えしている。

 腹が立って、立て付けの悪いドアを蹴った。


「うっせーぞっ!!」


 だが、遠吠えは止まらない。


「おい! 黙れよバカ犬!」

「おめーだよアレンッ! いいから黙って寝とけ!」

「犬がうるさいんだっての!」

「寝不足でダンジョンに潜る気かよ! 死ぬぞ!」


 隣の部屋から、壁を思いきり殴った音が聞こえた。

 なんだよ、俺よりちょっと前に始めたからって、先輩面しやがって。

 お前だって俺と似たような出自だろうが。


「はいはい。俺たちみたいな最下級の冒険者には、キレる権利もないですよ、っと」


 わざとらしく言ってやったが、返事はない。

 本気でそう思われてんだろうな。はー……嫌になる……。


 しかし、寝られないのは本当だ。これ以上吠えられると、明日の仕事に影響が出る。

 まだ吠え続けているバカ犬を見つけて、軽く「しつけ」してやらないと。


 俺は鉄パイプを握り、家を後にした。


 相変わらずバーデンの街は埃っぽい。

 北風が吹くたび、小さくむせる。

 どこからともなく漂ってくるカビ臭いような、ドブ臭いような、なんとも不快な臭い。

 それにおっさんたちの体臭まで加わって、最悪な気分にさせられる。


 いつになったら、このゴミ溜めみたいな生活から抜け出せるんだろう。

 遠吠えを頼りに、街を進んでいく。


 俺がバーデンに来たのは、つい数か月前のこと。

 それまでは、仮にもルグトニア聖王都にいた。

 あそこでの暮らしは優雅で――と、言いたいところだが、大して変わらない。

 王都といっても、俺がいたのは貧民窟だ。そのゴミ箱で、住む場所も持つ物もなく、日々適当に、『平民の街』から色んなものを奪って生きてきた。


 まあ、その頃に比べたら、わざわざ物を盗まなくても良くなったし、ただ生きていくのには十分すぎる報酬もある。

 使い切れない分は、適当に『貯金』とかいうことをしている。街の金貸しに持っていくと、一時的に預かっておいてくれるのだ。


 バーデンでいいだけ稼いだら、ルグトニアに戻って適当にのんびり暮らしてやる。

 店とか開いてさ……そう、俺が好きなソーセージとかを売るんだよ。

 軒先にいっぱいぶら下げて。

 ……まあ、今まで散々肉屋には『世話』になったし、貧民窟の奴らに少しくらい分けてやったっていい。


 遠吠えの主の影が見えた。

 奴はダンジョン入り口がある岩場の上に立ち、天を仰いで咆哮している。


「おい! うるせーぞバカ犬!」


 絶叫する。すると、ようやく俺の声が届いたのか、その鳴き声はぴたりと止んだ。


「……夜中なんだから静かにしとけ!!」


 ガインっ、と地面を鉄パイプで殴り、俺は犬に背を向けた。……というか、あのサイズなら狼かもしれない。

 ま、どっちでもいいや。これでようやく静かに寝られる。


「バウっ!」

「……あ?」


 振り返ると、山の頂上にさっきのヤツがいる。

 どうもこっちを見て、遠吠えではなく、何かを言おうとしているようだ。

 遠吠えを邪魔されたことに、文句でもあるんだろうか?


 俺は「黙って寝ろよ」と、どうせ伝わりやしないだろう念を押して、家路についた。




 ◇◇◇




 翌朝、俺は空腹で目が覚めた。

 家には何もない。ぼさぼさの頭を掻いて、ぼろ布の毛布を跳ねのけた。


 これまでにもらったギルドの賃金を考えると、朝飯用のパンを買っておいたり、ベッドを新調したり、毎晩公衆浴場に出かけたり……それくらい余裕だった。

 でも、今まで路上で寝ていたことを考えると、どれもこれも不必要だ。

 朝飯は道中にある屋台で適当に買えばいいし、風呂は数日に一回、それ以外はダンジョン内にある湧き水で十分だ。

 ベッドの買い替え? 俺はいまだに3日に1回、気付いたら床で寝ているほどなのに?


「おー、おっちゃん、いつもの1つ」

「おはよう、アレン……髪がボサボサだぞ。お前、毎回言ってるけどな、金に余裕があるなら浴場には毎晩――」

「わーってるって。いいからいつもの!」

「……今日もギルドか?」

「行きたくねえなー……おっちゃんがチーズおまけしてくれたら、行ってやってもいいんだけど」

「おめえがギルドに行かなくても俺ぁ困らねえ」


 そう言いながら、おっちゃんはこっそりオレンジがかったチーズを1枚間に挟む。

 さすが、俺のお気に入りのサンドイッチ屋。

 どんな作り方をしているんだか知らないが、パンの香りが段違いに良い。

 そして、こういう小粋なサービスが、俺の心をつかんで離さない。


「サンキュー、おっちゃん! また明日な!」


 俺はおっちゃんの前に銀貨を2枚出してサンドイッチを受け取ると、歩きながらそれを食べ始めた。


 夜にはひどいニオイの北風が吹くこの街も、朝はさわやかな南風が街を浄化している。

 晴れていれば、散歩して回りたいくらいだが……。

 さっさと仕事を終わらせて、こんな街から出ていきたいという気持ちのほうがよっぽど強い。

 ここで俺が気に入ってるのは、サンドイッチ屋だけなんだから。




 ◇◇◇




「ういーっす」


 ギルドの扉を開ける。

 いくつもの鋭い目がこちらをにらんで、また元の方向へ向き直っていく。


 ま、俺みたいな冒険者の最末端、誰も気にかけやしねえか。


「……お前、アレンだな」

「は?」


 俺よりもはるかに背の高い、20代前半くらいの若い兄ちゃんが声をかけてきた。


「……そうだけど」

「俺はロイ。バーデン開拓期からここで生まれ育った、生粋のバーデン人だ。冒険者ランクはBだ」


 はあ。だからなんだよ?

 ……とは思ったが、ギルドでは序列がもっとも優先される。

 E級は最底辺。駆け出し冒険者か、何らかの理由があって昇格資格がはく奪されているヤツだ。

 俺はその両方。数か月前に冒険者になったばっかりで、しかも出自が不明瞭な『審査予備合格』組である。


 ルグトニアでは、ここのところダンジョン発掘調査が急増していた。

 そのおかげで、俺のような「どこの誰かも分からないヤツ」まで予備合格として、E級の冒険者登録が可能になったらしい。

 実際、貧民窟にまで募集のビラが貼られていたから、間違いない。


 ロイと名乗った兄ちゃんの後ろには、彼の取り巻きなのか、数人の冒険者たちがいる。

 彼らもみな、ロイと同い年か、それよりちょっと年下くらいだ。


 俺は色んな気持ちを飲み込んで、ロイの目を見上げる。


「あの、俺、ギルドで仕事もらわなくちゃいけないんで……」

「フン、勘の鈍い奴だな。俺様が、直々に、お前のようなE級冒険者を仲間にしてやると言っているんだよ。お前みたいな『元浮浪者』の『E級冒険者』をな。光栄に思え」

「……は?」

「おいガキ、それがどういうことか分かってんのか?」

「ロイさん、やっぱこんなの連れてくのやめましょうよ。絶対足手まといですって」


 取り巻きたちがごちゃごちゃ言い出した。

 ロイは右足の裏を強く床に叩きつけて、ガツッと硬い音を出す。一瞬で、彼らは静まり返った。


「俺が、お前を必要としている。本来こんなことはあり得ない……だが、お前は特別だ。一緒に来るよな?」

「……あー……」


 なんだコイツ。なんでこんな上から目線なんだ?

 まあ、格の違いがあることはよく分かってるが……とは言え、誘いたい相手にとる態度か?


「……どーも」

「交渉成立だな。俺たちは表で待っている。支度を整えるといい」


 変な奴らに捕まっちまった。


「あ……あの、ロイ、さん」

「ん? なんだ?」

「報酬は」

「報酬?」


 あ、今一瞬、ムッとした顔をしたな、コイツ。

 まさか『俺様と冒険できることが報酬』とか、そんな事を思ってるんじゃないだろうな。


「……ハハハ、安心しろ。当然、ギルドを経由して支払うよ。パーティーに対する報酬が金貨20枚だから、お前の取り分はうち金貨7枚だ」

「え? でも……」


 ロイの周りにいる取り巻きは4人。それにロイを合わせて、残りの5人が金貨13枚を分け合うってことか?

 いくらなんでも貰いすぎなんじゃ。

 なんか……うさんくさいな。


「……不満か?」

「いや、不満じゃねーけど……」

「じゃ、そういうことで」


 俺が立ち尽くしていると、ちょうどギルドを出ていこうとするロイたちの声が聞こえた。


「なんであんな底辺を連れて行くんだよ、見た目も汚ねえし」

「アレンってガキは、鼻が利くって有名なんだよ。だから、罠の探知役だ。餌を探す豚みたいにな」

「豚って……ロイさん言いますねぇ!」

「ってか、ホントに金貨7枚も渡しちゃっていいんすか?」

「バーカ。ギルド報酬は金貨60枚だよ」

「がはははッ! ま、豚に金貨やっても仕方ないっすもんねーっ!」


 はー……。

 悪かったな、全部聞こえてるよ、クソが。

 豚みたいに鼻が利くだけじゃなく、犬みたいに耳もいいもんでね。

 そうじゃなきゃ、とっくに死んでんだよ、こっちは。

 お前らみたいに温室育ちには分かんねえかもしれねえけどな。


 ……とは言え、得意のトラップ探知で金貨7枚は、E級冒険者である俺にとって決して悪い話ではない。

 俺はギルドカウンターに行って、支度を整え始めた。


 死なない程度のトラップ解除をミスって、あいつらを嵌めちまうかもな。


 それくらいしてもいいだろ。あのロイとかいうヤツ、ムカつくし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る