魔王

 ルグトニア聖王国の議場は紛糾していた。

 王国を支える地方自治組織たる小国を治めている貴族たちは、普段自分の領内では見せることのできない怒りや不安を、隠そうとすらしなかった。


 そして何より、本来これをいさめるべき立場の聖王が不在だった。


「聖王猊下は、まだ『狩り』から戻られぬのか……」


 時が経ち白髪となったオタラ侯爵が、がさついた声で言う。

 十数人いる貴族の中で最も年齢を重ねているように見えるが、それは彼が人間であるからだ。


「お年を召しましたな、オタラ侯爵。『猊下には猊下のお考えがある』。私どもが狼狽したとき、あなたはいつもそうやってお諫めになったではありませんか」

「しかし、このままではルグトニア聖王国の存続が……!」


 オタラの隣に座り、いさめるベリス子爵はエルフ族である。


「お世継ぎは、こちらにおいでになられないのですか? 早めに顔見せをしておいても、問題ないと思いますが」

「……私に倅はおらん」

「ああ、これは失礼」


 嫌味たらしくつぶやく。彼はオタラが長年子宝に恵まれなかったことを知っていた。

 ベリスの一族に伝わる「子を授かる秘薬」なるものを贈ったこともあるくらいだ。


「……ベリス卿。貴殿がどうしてそう落ち着いていられるのか、ぜひその訳を知りたいところですな」

「やめておきましょう、オタラ侯爵」


 背の低い、けれど恰幅のいい若い男が、オタラの横でつぶやいた。


「……ふふ。御父上は喧嘩っ早くて直情的な男だったが……」


 それは、ずっとベリスと因縁の争いを続けていたイワノフの息子である。寿命の短いドワーフ族は、世代交代も多い。ベリスとは特に、先代のイワノフ卿の、さらに父の代から、犬猿の仲といえる。


「あまり、御父上に似ないほうがいいですよ、イワノフ卿」


 イワノフはじっとベリスを見て、「ご忠告どうも」と、ドワーフ族とは到底思えない紳士な挨拶をして、オタラに顔を向けた。


「……オタラ侯爵、あなたの領で『残滓』は見つかりましたか」

「いいや、ようやく存在の手がかりを得た程度だ。そちらこそ、御父上の代に作っていたはずの『炎舞<エンブ>』の改良は」


 イワノフは頭を横に振る。


「やはり、機構の解明と複製まではできても、それを超えるようなことは……」

「……神は、どうしてこうも我々に試練を与えるのか」


 オタラが天を仰ぐ。

 んんっ、と小さく咳払いをして、ベリスが割って入る。


「我が領内で発見された、切れ味の落ちない玉鋼の剣は――」

「すでに量産体制に入った、でしょう。父上から耳がもげるほど聞かされています。エルフ族の感覚は我々と異なりすぎる」


 イワノフの白い眼とため息が、ベリスの自慢を粉砕する。


「相手は帝国と称する謎の集団……これまで深い森や洞窟に入らねば見つからなかった魔獣を呼び寄せ、意のままに操るという。加えて、最近では空を飛ぶ城まで手に入れたと……もはや、相手はお伽噺の『魔王』です」


 イワノフが、呆れた顔でベリスを見た。


「魔王相手に剣がどこまで通用するとお考えですか」

「……確かに、そうですね。うん、そうだ、そうだ」


 ベリスが張り付いた笑みを浮かべる。


「さすが『量より質』のイワノフ家。さぞその炎舞とやらは実戦で役立っておられるのでしょうなあ」

「私どもは健全な外交体制を築いておりますので。ベリス卿のように実戦経験があるわけではなく、お恥ずかしい限りです」

「やめぬか! ……はァ」


 オタラの声には、もう往時の張りはない。

 自身の領地継承問題だけでも頭が痛いのに、聖王国自体の存続も危ぶまれる事態になるとは。


「聖王猊下……!」


 このような時に、どこで何をやっておられるのですか……。


 テーブルに肘を付き、首を垂れる。


 この3人は……正確には、ベリスとイワノフは、貴族たちの集まりの中でも特別に相性の悪い組み合わせであったことは間違いない。

 しかし、オタラに余裕がなくなっている通り、ほかの古参貴族たちもみな、自国領内の諸問題と同時に、聖王国の体制維持にかかる問題を背負い、ぴりついていた。

 すべてをひっくり返せるような、新しい『神の残滓』が必要だ。

 帝国に対抗できる、圧倒的な戦力が。


 帝国の脅威が顕在化した3年ほど前から、聖王の名の元に、領内をくまなく探しつくしている。

 もはや、これ以上の『神の残滓』を自国領内から見つけ出すのは不可能だろう。


 だからこそ本来の今日の議題は、「危険地帯での『神の残滓』捜索をすべきか否か」であった。


「しかし、聖王猊下は、こんな時に神頼みですかぁ。こりゃ、ルグトニアもおしまいですな」


 どこかから、怒りの混じった声が聞こえた。

 その瞬間、議場がしんと静まり返る。


「……誰ですか、今そのようなことを仰ったのは」


 オタラはよろよろと立ち上がり、議場を見回した。

 多くのものが、視線をそらしている。


「聖王猊下のご不在は、確かに不安です……しかし、神事もまた猊下のご公務……ましてや、国家の終焉など……口を慎みなさい」


 そう言いながら、オタラもまた、まったく同じ不安を抱えていた。

 もしここが自宅で、ここにいるのが自分の家族なら、「その気持ちは痛いほど分かるぞ」と同調していたかもしれない。


 誰もオタラと目を合わせないし、誰も発言者を密告しようとしない。声で、どこから聞こえたと言うことくらいは容易なはずだったのに、である。

 貴族同士の揚げ足取りは日常茶飯事だ。ましてや国が終わるとまで言ったなら、冗談であっても領地取り潰しのつるし上げは免れない。

 そして、取り潰された領地は、ここにいるほかの者たちで一時的に分割支配できることになる。

 密告しないメリットがないのだ。


 それができないということは、「俺もそう思う」と暗に告げているようなものである。


 オタラは、深く息を吐いた。

 こうなったら、『アレ』を言うしかない。それでこの愚か者たちが結束するなら……自分に楔を打って、聖王国を守れるなら……。


「……私には、世継ぎがおりません。後に猊下にお伝えするつもりではおりましたが、今回の帝国の危機が決着したら、領地を聖王国に引き渡し、代わりに一時の恩給を頂戴して、侯爵の称号も返上するつもりでおります」


 議場に、緊張が走る。

 オタラ侯爵領は、神の残滓こそ出ないものの、肥沃な大地で穀物生産量も豊富な、『ルグトニアの食物庫』とも呼ばれる地域である。

 それが王国領になる……つまり、一時的に王国に領地を返納して貴族に再分配させる気だというのだ。


「今日の議題は、魔物が多く出るような危険地帯に派兵して未発掘の『神の残滓』を捜索するべきか、であったはずです。私は――」


 もう一度、オタラは議場をぐるりと一瞥した。


「侯爵オタラの名において、ご提案します。『神の残滓』を探すべきです。現状の兵力では、魔王と化しつつある『皇帝』に、対抗する手段はありません」


 イワノフも、ベリスも、うつむいて聞いている。


「本来であれば、私が率先して兵を率いたいところですが、見ての通り、この議場に続く長階段を上がるのにも一苦労の老いぼれ……私は、足手まといに他なりません。ですから、ここにいる皆様方、その配下の兵力にお願いを申し上げたいのです。もちろん、拙領の兵もお貸しいたします」


 テーブルに手をつき、腹に力をこめた。


「常時は、小競り合いも結構。領地や『神の残滓』の自慢合戦、聖王猊下のお目を汚さねば、大いに結構。ですが、今は協力すべき時です。ルグトニア聖王国のために。皆様の、ご自身の領地を守るために。大切な、家族や領民を守るために」


 奥にいた貴族が、ゆっくりと手を挙げる。


「……猊下の聖断も必要かと」


 危険地帯とされているエリアは、聖王によって立入禁止の指定がされている。つまり、破れば『勅令違反』であり、これは重罪だ。


「……私が全責任を負いましょう。拷問でも、処刑でも、すべての罪と罰を私が負う。必要なら、ここに契約書を持ってきてもらっても構いません」


 老人のあまりの深い覚悟に、議場は再びざわついた。

 これまでルグトニア聖王国の発展に大いに寄与してきたはずのオタラ侯爵を、聖王がそう簡単に処刑するはずがない。

 もちろん、オタラ自身が処刑されたいと望むわけもないだろう。彼は領民から愛され、諸貴族からの信頼も厚い。死ぬときは国葬が、ルグトニア王都と彼の領地で、2回開かれるだろうと噂されているほどだ。


 だが、その命すら賭すという。


「魔王を打ち砕き、再びルグトニア聖王国に栄光を――!」


 オタラの一言で、分裂しかけていたルグトニア聖王国貴族たちの意志が、1つの方向性をもってまとまりはじめていた。

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