自己

 足音は決して遠くない。だが、隠れる場所が無数にある下町まで来れば、もう「普通の人間」には見つからない。

 レーダーを持っている、アイツ以外には……。


「ちょっと……休憩……」


 肺が痛んでいる俺もだが、俺より一回り小さい体躯で、俺の手を引くように走り続けていたミアの体力も限界に近かったのだろう。

 物陰の奥深くに隠れると、彼女は崩れ落ちるようにその場にへたり込んで四つん這いになり、ぜえぜえと大きく背中を揺らしている。


「……ごめん、ミア」

「何が……ッはぁ……はぁ……」

「『みんな』……」

「……」


 ミアが言っていた「みんな」は、俺を救うために皇帝――正確には、俺の肉体を乗っ取ったザイフェルトに体当たりしていった動物たちを指していた。

 俺は見た。

 彼らが、一匹ずつ銃で……。


「……ううん、あれが、みんなの気持ちだから……」


 ミアは汗まみれの顔を挙げ、輝く笑顔を見せている。


「みんなが、お兄ちゃんを助けたいって言ったの」

「……でも……」

「……お兄ちゃん、ホントに覚えてないんだね」


 彼女はぐるんと体をひねり、ボロ屋の壁に背中を預けた。首筋に汗が流れている。


「みんなを最初に助けたのは、お兄ちゃんなんだよ」

「……ミア……俺は、その……」


 俺も、彼女の隣に並んだ。

 ゴツゴツした石壁がひんやりと気持ちいい。頭を壁に預ける。


「全然思い出せないわけじゃない……けど……君と会ったのがどこなのか、君が本当の妹なのか、それすらも分からない……どうしちゃったんだろう……」

「……記憶喪失、ってヤツかな。聞いたことあるよ」


 ミアの頭が、俺の肩にもたれかかった。

 ずしりと重たく、火が出るほどに温かい。


「疲れすぎたり、つらいことがありすぎると、記憶がなくなっちゃうんだって」


 違う……それだけじゃない。


「……教えてあげる。私と、お兄ちゃんと、みんなのこと」




 ◇◇◇




 2年くらい前。

 弱い人間から順番に死んでいく、そんな世界で。私は、気が付いたときには1人だった。


 昔ね、私、病気になったことがあったんだよ。

 私がかかった病気……正確に病気の名前は分からないけど、いっぱい咳が出て、熱が出て……とっても強い風邪みたいな症状だったの。

 だから、たくさんの人に「うつるかも」って言われたんだけど……。


 そんなときに現れたのが、お兄ちゃんだった。


 お兄ちゃんはね、毎日私にどこかから薬を持ってきてくれて、ごはんも探してきてくれて……。

 目つきのとっても怖いお兄さんで……ホントは、ちょっと怖かったんだよ?

 でも、お兄ちゃん、毎日毎日……誰よりも私のことを心配してくれて……。


 ある日、聞いたの。

 なんで、そんなに私に良くしてくれるのかって。

 そしたらお兄ちゃん、なんて答えたと思う?


『それが普通だろ』


 だって。

 それから私、どんどん病気が良くなっていって。


 それでね、実は……病気が治ったあとも、少し黙ってたんだ。

 毎日お兄ちゃんが来てくれるのが嬉しくて……もしパパやママがいたら、本当に血のつながったお兄ちゃんがいたら、こんな感じなのかな、って。だから、甘えたくなっちゃったの。

 家族のいない私が、初めて手に入れた『家族』だったから。


 でも、それ、間違いだったのかも。

 私に色々してくれようとしたおかげで、お兄ちゃん、街の人からあんまり良く思われなくなっちゃった。

 ……まあ、そうじゃなくてもお店の人たちは、私たちみたいなのには冷たいんだけど、輪をかけてひどくなった。


 お兄ちゃんに救われたのは、私だけじゃない。

 家の中や外にいた動物たちは、みんなお兄ちゃんが助けてあげた子たち……。


 だからね?

 お兄ちゃんが病気になったり、ピンチになったときに、私たちがお兄ちゃんを助けるのは『それが普通』のことなんだ。

 それに、あなたは私にとって、最高のお兄ちゃんなんだから……。




 ◇◇◇




 ミアが、ふぅ、と大きく息を吐いた。


「だから、一緒に、どこまでも逃げよう。みんながお兄ちゃんのために、その……命を懸けて、助けてくれたんだから」


 頭の中で、掛け違っていたボタンが完全にハマった音がした。


「そう、か」


 全部思い出した。

 この姿にリスポーンしてからのこと。

 その前の一生。その前の一生。その前の、前の、前の、前の……。


 大量の記憶に、めまいがする。

 まぶたを閉じ、ゆっくりと深呼吸する。スラムの、埃っぽく、ドブ川のようなニオイが鼻に刺さった。


 ミアは、かつて俺がまだプレイヤーだった頃に、ザイフェルトから俺をかばおうとしてくれた女の子の名前だ。

 同じ名前なだけか、仕様か、それとも偶然か。


 そして俺はまた、ミアに救われた。


「いたか!?」

「ダメだ、どこにも……」

「もっとくまなく探せ! 路地裏も! ゴミ箱も何もかもすべてひっくり返せ! 陛下に殺されるぞ!」


 路地の外から、怒号が聞こえる。

 ……あの敵探知レーダー、きっとまだ反応してるよな。


 俺は『インベントリ』を開こうとした。だが、反応がない。

 ダメか。肉体がプレイヤーのものじゃないと、そういうことは出来ないらしい。

 いったい俺に、あと何枚の『転成呪符』が残っているのだろう……。


「ミア」

「なに? お兄ちゃん」

「ミアは、いい子だ」


 彼女が頭を肩から離し、俺をじっと見た。


「だから、分かるだろ」

「……分かんない」

「分かってくれ」

「分かんないよ!」


 立ち上がろうとする俺の裾を、ミアの弱い力が引っ張る。


「お兄ちゃん! 待って!」

「……大丈夫。絶対迎えに行くから、ミアは逃げてくれ」

「ウソ! 私を一人にしないで、お兄ちゃん!」

「そんなに大声出すと、見つかるぞ」


 彼女の顔は見れなかった。

 見たら、この決心が揺らぐかもしれない。


 俺にとっては『ザイフェルトの肉体』に宿っていた時間も、俺の時間の一部だ。

 賢者の塔に住んでいたミアとの記憶も、スラム街に住んでいるミアとの記憶も、どちらも本物で、どちらも手放したくない。

 そして、どちらも、守りたい。


 まだ『このミア』だけなら、守れるかもしれないんだ。


 そう。これは、何度もザイフェルトに提示されていたことだ。


 俺だけが犠牲になれば、それで……。


「皇帝が探しているのは俺ひとり。ミアは無関係だ」

「違うもん! お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんなんだから!」

「ミア!」


 声を張ったせいか、のどが痺れるような痛みに襲われ、軽く咳が出る。


「……必ず戻る。ミアと、これからも一緒にいると約束する。だから、今は逃げろ」


 俺は彼女の手を振りほどき、光が差す通りへと向かって走り出した。


「お兄ちゃん! お兄ちゃぁんッ!!」


 ミアの嗚咽が、耳にこびりつく。


 振り返るな、イツキ。

 振り返ったら、覚悟が揺らぐ。

 ミアが語った思い出が、脳を支配する。

 大好きだった彼女との、苦しくも楽しい日々が、体の動きを鈍らせる。


 それでも……。

 忘れるな。

 俺は、『プレイヤー』の『イツキ』……!




 ◇◇◇




 路地に飛び出す。

 それから俺は、家へと向かって走り出した。

 俺が逃げまどえば、先に衛兵がミアを見つけてしまうかもしれない。

 奴らはミアに俺の居場所を吐かせようとするだろう。

 皇帝自身がもし俺を探しているなら、敵探知レーダーを使って最短ルートで移動してくるはずだ。

 だったら、元来た道を戻ればいい。


 俺はさっさと皇帝に見つかって、「捜索を打ち切りにしてもらう」必要がある。


 煤だらけの路地の壁に体をこすりつけ、服も、顔も汚しながら、俺は進む。

 足の裏にじくりとした痛みが走る。

 きっと何かの病気なんだ。俺をこの前診た医者もなんだか訳のわからない難しいことを言っていた。

 肺が苦しい。もう走りたくない。

 それでも、俺の意思は前へと体を突き動かす。


 ミアを、守るために。

 早く出てこいザイフェルト……今回の俺は、逃げも隠れもしない……!


「いたぞッ! ガキだ!」


 衛兵の声がする。

 ようやく見つけてくれた。

 俺は足を止め、あたりを見回した。


 遠くに、帝国軍の黒い制服が見える。

 俺は壁にもたれかかって、目を閉じ、天を仰いだ。

 錆鉄の天井の隙間から、太陽の光なのか、それとも人工の光なのか、まぶしい光線が差し込んでいる。


 ネオクーロン……「謎の空中浮遊都市」。

 住んでいたはずだが、ここの詳しいことは知らない。

 プレイヤーとしての記憶を思い出した今でも、誰が作ったのかは分からなかった。

 動力源は……きっと魔法MODか科学MOD……。


「手を挙げろ!」


 俺はあっという間に数人の衛兵に囲まれ、銃口を向けられている。

 アイツに会うまでは、死ねない。

 俺はおとなしく手を挙げた。


 遠くから、カツ、カツとゆっくり歩いてくる革靴の音が聞こえた。


「諸君、ご苦労。下がれ」

「はッ!」


 ザイフェルトは衛兵たちを払うと、俺の前に立った。

 俺は手を下ろし、『かつての俺』をじっと見る。


「成長したなあ、俺」

「もうこの体はお前のものではない……いつまでも執着するな」

「過去に執着してるのはお前だろ、ザイフェルト」

「その名で呼ぶな」


 チッ、と舌打ちをして、あたりをジロジロと見まわした。

 それから、誰もいないことを確認して、フードを外した。

 その頭には、山羊のような角があった。


「俺は、俺自身が嫌いだった……今のお前の姿を見ていると、虫唾が走る」

「悪魔みたいな姿で何言ってんだ」

「……相変わらず、癇に障る奴だ」


 ザイフェルトの拳が、俺の腹に入る。

 ぼすっ、と鈍い音がして、ゆっくりと、しかし強烈に、痛みが走った。


「がはッ……!」

「……俺はお前のことが嫌いだ……見た目はもちろんだが、中身も……嫌いで嫌いでたまらない。お前のことを考えただけで、世界の色がすべて失われるような感覚にさえなる」

「はぁッ……ッ……ぁ……は……ぁ……!」

「なあ、『イツキ』……死んでくれ……」


 彼の手が、俺の胸倉を掴み、持ち上げる。


「これは、単に嫌いとか、そういう次元のものじゃない……もはや呪いだ……だが、分からない。俺がお前を排除したいという思考は合理的だ。だが、こんなにも憎悪する必要など、ないはずだ……なのに……お前を『この手で』殺さないと、気が済まない。それも、1回や2回じゃ、到底収まらん……!」


 そのまま壁に叩きつけられた。

 背骨がきしむ。

 呼吸が瞬時止まって、顔が歪んだ。


「……死ねよ、死んでくれよ……なあ……?」


 もう一撃、腹に拳がめり込んだ。


「ッあぁ……ッ……! がっ……ッはぁ……」

「……はぁ……」


 ザイフェルトは俺を放り捨て、つまらなさそうにつぶやいた。


「……皇帝の名において、お前を処刑する」

「ふっ……ふふふ……」


 俺は、じろっとザイフェルトを見上げた。

 口から出た生温かい液体をぬぐう。どうやら、どこかから血が出たらしい。

 だが、もう鉄の味も何も分からなかった。


「なんで、お前がそんなに俺のことが憎いか、教えてやるよ」


 両足に力を籠め、立つ。視界がぐらつく。


「それは、俺が――俺自身のことを、死ぬほど嫌いだからさ……何度殺しても飽き足りないくらい……俺は俺自身のことが嫌いなんだ」

「……なぜだ? 答えろ」

「アハハハ! 俺の体は奪えても、肝心な事は何一つ知らないみたいだな、『ザイフェルト』!」

「答えろッ!!」


 最期の力でいい。

 俺は右手にすべての意識を託した。


「俺の後悔は俺だけのものだ。お前なんかに渡すかよ、ザイフェルトォっ!!」

「その名で……呼ぶなあぁッ!!」


 まっすぐ彼に向って放った拳は……いとも簡単にかわされた。

 そして、俺の右斜め後ろで、カチリという金属音がした。


「お前は『ザイフェルト』として、ここで死ぬ!」

「俺の名はイツ――」


 パァン!


 ……何かを感じたか?

 確かに、強い衝撃はあった。でも、痛いとかどうとかは、よく分からない。


 肉体がゆっくり倒れていくのが分かる。

 手をついて受け身を取らないと。

 でも、地面との距離が分からない。見えない。見えているはずなのに、分からない。


 俺は、イツキ。プレイヤー。


 側溝の下水路に顔を突っ込んだ。

 息ができない。でも、もう息を吸う方法も分からない。

 ニオイも、何も分からない。


 ミア、生き延びてくれ。


 俺は――。


 それから、ただ静寂が広がった。

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