嫌悪

 記憶の『俺』によく似た彼は、片の口角だけを上げた。


「いい反応だな」


 彼は中腰になり、俺に目線の高さを合わせた。


「俺の名前を知りたいか?」


 瞳をじっと見られると、そらせない圧力を感じる。


「……俺は……ザイフェルトだよ、イツキ君」


 ザイフェルト――遠く、いつかで聞き覚えのある名前。

 少なくとも、コイツは俺の味方ではない事は覚えている。確か、何度か相対していたはずだ。

 だが、それ以上思い出せない。畜生……もう少し、もう少しで何か思い出せそうなのに……!


「その様子じゃあ、まだ現状を把握しきれていないようだ……まあ、そのほうがいい。知らなきゃ、知らないほうがいいこともある」


 ぐいっと顔を覗き込まれる。息が詰まる。


「しかし……見れば見るほどみすぼらしい……なあ?」


 肩を掴まれた。力の強さが伝わってくる。

 絶対逃げられない。

 今動き出したら、肩を握りつぶされてしまうかもしれない……それほどに、彼の握力を感じる。


「お前の姿は『昔の俺』そのもの……貧しくて、汚くて、誰からも愛されない……必要とされていない」


 耳元で、優しく囁かれる。


「生きていたいだけなのに、毎日が地獄だった。疎まれ、蔑まれ、殴られ、蹴られ……。友達だと思っていたヤツは次から次へと死んでいった。病気や飢えならまだいい。貴族の奴隷として買われて行った奴……アイツは悲惨だった」


 体が震える。言葉が出ない。


「だが、俺を買う貴族なんていなかった。どうやら、死神ですら俺を必要としなかったらしい。その孤独、分かるぞ……と、言いたいところだが」


 彼は俺をぽんと突き放した。


「この時代の『俺』……お前には、仲間思いの女がいるらしい……兄妹か?」


 その視線は、ミアに向いている。


「こ、こいつは関係ない!」

「いいなァ……とてもうらやましいぞ、イツキ」


 くくっ、と彼は小さく肩を揺らした。


「……しかし……少し前の俺なら、こんな感想は抱けなかっただろう。この女は必要ない存在だ……さっさと消して、お前をさらに孤独に追い込み……そして、『殺してくれ』と懇願するまで追い詰めたはずだ。だが」


 ザイフェルトの表情が、曇る。


「お前の姿を奪った影響だろうな。どうやら、俺は貴様の軟弱な精神に毒されて、口調すらも『変わっちまった』。だから今は、そこまでのことは思わない」

「……何のために、俺の前に現れた……?」


 不気味な彼の行動に、俺は不安と、微かな怒りを感じていた。


「どうって……まあ、色々あるんだが」


 彼は腕組みをし、俺を見下している。


「……結論から言えば、『イツキ』という存在を殺したい」

「!!」

「ハハ、そんなに驚いた顔をしなくてもいいだろ」


 ザイフェルトのヘラヘラとした笑みが、俺の感情を激しく揺さぶる。


 この笑みには見覚えがある。


 これは『イツキ』の感情なのか。それとも、『ザイフェルト』の感情か。


「俺は今、お前が元々使っていた体を使っている。そのことを知っているのは……お前と賢者……そして、そこの小娘だけだ。分かるか? 俺はこの体で、自由を手に入れる」


 その笑みが一瞬歪んで、視線が俺の全身を舐めまわすように見る。


 瞬間、頭に雷が落ちたような衝撃が走った。


 『ザイフェルト』。こいつは、俺を殺した男……!


「薄汚れた過去と決別して……皇帝として世界に君臨する……お前の『能力』のおかげでな」

「能力……」

「……そんな事すらも記憶から抜けたか……だが、もう知る必要のないことだ」


 ザイフェルトは腰から銃を抜く。


 鼓動が高鳴る。


「お前が、俺の『怒り』を覚えてくれて良かったよ……ほら」


 彼は、どこからともなく、レーダーのようなものを取り出した。


「それ……どこから……」

「どこからだろうな? ははッ! 何もかも忘れて……哀れだな……実に哀れ……! あははははッ!!」


 レーダーは中心部が明滅している。


「『これはな……敵がどこにいるか分かるアイテムだ』……うん、これはお前の発言だったな。そして、今は俺のモノだ」


 彼はまた、それをどこかの空間へと仕舞い込んだ。


「さて、楽しいおしゃべりの時間はここまで。哀れで醜いスラムのガキは、ここで死ぬ」


 カチリ、と音がする。


「『俺』のような薄汚い人間にリスポーンしたのが運の尽きだな……まさか、帝都直下に生れ落ちるとは、俺らしく運が悪い……それもここで終わりだ。良かったな」

「何が良いんだ、クソ野郎」


 銃口が俺の額を狙う。


「良いに決まってるだろ。お前がこの後、どんな人生を辿るか……俺はよく知っているんだから」


 沈黙が場を支配する。


 俺は思い出しつつある。

 静寂が、緊張が、俺に記憶を取り戻させる。


 もう少し。もう少しで、全部思い出せそうなんだ。


「ここで一思いに死んでおいたほうがいい。『俺』にはそのチャンスがなかった……が、お前のおかげで、今はこうして自由を謳歌している。残りカスは不要だ」


 手が震える。

 彼が引き金を引けば、また「何か」に生まれ変わらされる。

 人間か、そうでないかも分からない。

 リスポーンを繰り返せば、記憶は薄れる。

 せめて、今ここで出来るだけ思い出してから死にたい。

 でないと、また記憶が消えていく。


「……もう、人間に生まれ変わってこないでくれよ。お前を探し出すだけで、こっちは一苦労なんだ」

「探さなきゃいいだろ」

「そうはいかない。お前は徹底的に消す。それが俺のやり方だ。なあ、スラムのガキよ」

「俺の名前は『イツキ』だ」

「……その名を覚えている限り、俺は何百年、何千年後であっても、貴様を殺す」


 パァン!

 乾いた音が響いて――。


 ザイフェルトがはるか右へと吹き飛んだ。


 ……え?


「お兄ちゃん、なんで逃げないの!!」


 ミアが立っていた。いつの間にか近くまで来ていた動物の群れが、ザイフェルトに突撃していく。

 同時に、ミアが俺の手を引いて走り出す。


「くそッ……! なんだコイツらはっ!!」


 大群で襲い掛かった動物たちだが、相手はプレイヤーの能力を持っている。

 1匹、また1匹と倒されていくのが遠目に分かった。


「誰か! 誰か衛兵! あのガキを追え! 絶対に逃がすな!! このッ……邪魔だ! どけ!!」


 遥か後方で、ザイフェルトの叫び声が聞こえる……が、その声は昔の俺そっくりだ。

 自分の体を使われているのだから、当然だが。


「ちょっと……あんまり早く走らないでくれよ……肺が痛い……」

「そんなこと言っても、走らないと捕まっちゃうでしょ! いいからこっち!」


 ミアは、俺の手を引いて、ぐんぐんとスラム街のはずれ、入り組んだゴミ溜めのほうへと走っていった。




 ◇◇◇




 ザイフェルトの意識がイツキの体に乗り移ったのは、賢者の丘でイツキを殺した時だった。

 エルフのガキ――賢者プラムが放ったものが回復薬か何かだと誤解し、イツキの前に飛び出したのが原因だ。

 細かい機構は理解できないが、どのようなものかは『イツキの体』が覚えていた。


 ザイフェルトの精神は、自らが殺したイツキの肉体に瞬時に取り込まれ、そしてこの世界の真理の一端を知った。

 この世界が、元々は異世界の人間が作り上げた『ゲーム』であったこと。

 ありとあらゆるものはプレイヤーが作り、整備してきたものであるということ。

 神の残滓と呼ばれる遺構は、『プレイヤー』以外の生物には理解できない存在だということ。


 それらの情報が一度に頭の中になだれ込んできたとき、ザイフェルトは、気がおかしくなりそうだった。

 子供のころに聞いた『プレイヤー神話』が、まさか現実のものだったとは。

 そして、この『イツキ』という肉体が、本当にプレイヤーだったとは。


 疑ってはいたが、本当ならば全てに合点がいく。

 一瞬で作り上げられる壁。見たことのないマシンと、それを起動する能力。

 無茶苦茶な力を持つ、『ポジトロンスーツ』。


 神を相手にしていたのだ。


 何度も死の淵を舐めて力を手に入れた『ザイフェルト』であっても、勝てなくて当然だ。


 ……だが、今やそれは過去の話。

 今はザイフェルトの中身こそが、プレイヤーの能力を手に入れたのだから。


「誰か! 誰か衛兵! あのガキを追え! 絶対に逃がすな!! このッ……邪魔だ! どけ!!」


 バァンッ、と乾いた音を響かせ、豚が倒れる。犬が倒れる。鶏が、山羊が……。


「どいつもこいつもッ……俺の邪魔をするなッ!!」


 ザイフェルトの視界の端を、とぼとぼと、走るとも歩くともなく、2つのみすぼらしい影が逃げていく。

 忌々しい存在。

 ただでさえ消してしまいたい肉体なのに、そこに消してしまいたい精神が乗るなんて。


 大量に返り血を浴びながら、ザイフェルトは肩で大きく呼吸している。

 ようやく、全滅させた。

 自らが作った屍を、わざと踏みにじるように歩いていく。


「クソが、手間取らせやがって!」


 強烈な憎悪が、ザイフェルトを支配していた。


 なぜだ。


 なぜ奴には、こんな時にすら家族がいるんだ。命を懸けて奴を守ろうとする動物がいるんだ。

 どうしてだ。なぜ天は、俺にばかり孤独を強いる?


「衛兵!」


 大声を挙げた。

 1人の顔も覚えていない衛兵どもが、俺のそばへと駆け寄った。


「はッ」

「あのガキ2人は」

「現在5名の衛兵が追跡中です」

「どうなった、と聞いている」

「それは……」


 衛兵の顔を掴んで、壁に押し付ける。

 懐からレーダーを取り出し、光点の位置を確認した。


「いいか、奴らは2番街の方に向かっている。決して逃がすな。殺してもいけない。アレを殺していいのは俺だけだ」


 風が吹く。


「返事は!!」

「か、かしこまりましたァ! すぐに向かいますっ!」


 わたわたと立ち上がり、情けない足音で衛兵が走り去っていく。


 なぜだ、イツキ。

 お前の体を手に入れられたのに。

 俺とお前で、何が違う。


 俺は前を向き、「衛兵、替えのコートを!」と声を張り上げた。

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