『怒り』がない

 塔のすぐ下にまでようやくたどり着いた俺とミアは、それぞれ膝に手を置き、肩で息をしていた。


「おや」


 低い声がする。

 顔を上げる。


「なんだよ……もう突破したのかよ……」

「あれくらいの壁で私の『怒り』を止められると思っていたのですか」

「……前は止まってただろ」


 はんっ、というザイフェルトの笑いが、塔の外壁に反射する。


「前回は貴方の協力を得るため、誰も殺さない必要があったのです。しかし……相変わらず謎の壁を作るのがお上手だ。……どんなカラクリがあるのか、ぜひこの目で確かめたい」


 彼の目が鋭く光る。


「何がどうなっているのか……その肉体のどこにそんな能力があるのか、ぜひとも」

「趣味悪いぞ、おっさん……はぁ……」


 ようやく息切れが収まってきた。

 俺は背筋を伸ばし、ザイフェルトの動きに注視する。


「私だって、獣人の血など見たくも触りたくもありませんよ」


 ザイフェルトが再び剣を抜き、にじり寄る。


「お嬢さんも、お退きなさい。私はあなたにまで危害を加えるつもりはありません」

「そんなのウソ……だったらなんで、街をあんな風にしたの!」

「少々手が滑りました」


 肩をすくめ、微笑んでいる。


「回復までじっとするしかない状況ですと、どうしても感情が抑えられなくなっていくのです。……でももう大丈夫。そこの獣人を殺せば、私の怒りはすっきりと収まるはずです」


 どうする。

 ここから先に進めば、塔の裏手にある立入禁止区域があるが、そこで行き止まりになる。

 道を外れて森に逃げれば、ドディシュのような「双方の敵」になりうる魔獣もいるかもしれないが、危なすぎる。

 そして、俺がここで逃げたとして、ザイフェルトが塔を破壊しない保障はない。

 塔には、街から避難してきた人が先に逃げ込んでいるはずだ。

 比較的安全だろう地下室もあるが、全員そこに入れるわけもない。

 何人か、何十人か、もしくは何百人か……そうした数の人が、地上にいる。


 もしザイフェルトが塔を破壊したら……。


「……ザイフェルト」

「どうしました? また命乞いでもしますか?」

「俺がお前に殺されれば、塔には手出ししないんだな」

「イツキ!」


 ミアが叫んだが、俺は彼女の声を無視するように、念を押す。


「約束できるか」

「ほう」


 彼は、途端につまらなさそうに、肩を落とした。


「せっかく無様な命乞いが見られると思ったのに、とても残念です……まるで、自分が正しい事を確信しているかのようだ……そう思っていますよね」


 剣が抜かれる。


「自分の信じる正義のために、すべてを投げ出す愚か者……やはり、あなたと共に征くという選択肢は無かった」


 振りかぶった剣先が、太陽の光を反射する。


「死ね」

「イツキ!!」


 ガインッ、と激しい金属音がした。

 彼の握っていた剣は、火花を散らしながら宙に舞い、遥か後方の土山に突き刺さった。


 ザイフェルトは衝撃で痺れている右手をじっと見て、それから、攻撃を放った者を見た。


「何をぼさっとしておる! 死ぬ気か!」

「プラム……?」

「お主が死んでもこんな狂人が止まるわけなかろう!」


 プラムの眉間に、深いしわが寄っている。

 こんな顔、ここ数日で一度も見たことがない。


 そうか。そうだよな。

 目撃者は全員消すとか言い出して、塔を破壊するかもしれない。


「……プラム、ありがとう」

「礼はあとじゃ! なんか使えるモン持っとらんのか!」

「……そうだ、充電!」


 俺は塔の入り口に向かって走り始める。


「プラム! 1分ちょっとここで持ちこたえてくれ! そしたら何とかするから!」

「1分でいいんじゃな? 望む所よ!」


 さっき街が襲撃されているのを見て狼狽えていたとは思えない元気っぷりだ。

 だが、今は、それが役に立つ。


「ミアもプラムのサポートを頼む!」

「了解!」


 プラムの頼もしい声を背に、俺は塔の中へと駆け抜けた。


「あっ、待ちなさい!」

「お主の敵はワシじゃ。……来い!」


 階段を上り、研究棟、プラムの玉座、保管庫、そしてようやく最上階付近の蓄電施設へたどり着く。

 ここの配電は全部自分でやっているから、どこから電気を確保すればいいかは一目瞭然だ。


 まずはポジトロンスーツを着て、ケーブルの1つから電気を拝借する。

 ポジトロンスーツのメモリが、ゆっくり、でも確実に上昇していく。


「いいぞ……頼む……!」


 じっとゲージを見つめていた、その時――。


 体の軸が傾き、部屋ごと、俺は落下していた。




 ◇◇◇




「賢者様。私にあの獣人を引き渡してもらいましょうか」

「口の利き方がなっとらんのう……これじゃから脳筋は困る」


 次の瞬間、プラムは前触れもなく大量の指弾を放ち、ザイフェルトを狙った。

 だが、彼はプラムの攻撃を避け、余ったものを剣で切り裂く。


「……賢者、というのは名前だけのようですね。目の前にいる敵の力量も分からないとは」

「分かっておるわ、バカ者が」


 プラムは片方の口角を上げた。数メートルほど離れたミアが、攻撃魔法を展開する。

 対するザイフェルトは右手を掲げて、そこに意識を集中させた。急速に光の玉が膨らんでいく。


「ほう……なかなかの練度じゃ。ならば剣などに頼らねば良いものを」

「二物を与えられたので、ね!」


 膨らみきる前に、不意を突いて光の玉をプラムに放つ。

 それと同時に剣を、ミアに投げつけた。


 プラムは防御魔法を展開し目の前に壁を造りだしたが、速度的にミアまでは覆えない。


 光の弾と防御魔法がぶつかる。

 衝撃で、地面が爆ぜ、土埃が舞った。


「きゃぁっ……!」

「ミア!!」


 悲鳴に振り向いたプラムの目の前で、ミアの膝の辺りから血が噴き出す。


 次の瞬間、腹に衝撃を受けてプラムは宙に浮いた。

 そのまま軽い体躯がゴロゴロと地べたを転がる。


 土煙の中で視界を失ったまま、一瞬前の距離を正確につめて、目を瞑ったままザイフェルトがプラムの腹に膝蹴りを叩き込んだのだ。


 ザイフェルトがゆっくりと目を開き、プラムを睥睨する。


「弱すぎますねえ。戦闘中に足を止め、あろうことかよそ見とは。最後に戦闘をなさったのはいつですか?」


 言いながらザイフェルトは膝を負傷したミアに近寄り、背中を踏みつけ呻かせると、その頭部に右手を向ける。


「賢者様。もう一度お伺いします」


 両腕に力をこめ、プラムは顔を引きつらせながら立ち上がる。


「あの獣人をこちらへ」


 ザイフェルトの右掌とミアの間で、再び光の玉が膨らんでいく。


「断れば、この娘を殺します」

「……賢者様……私は――」

「黙りなさい」


 ミアを踏みつけたザイフェルトの靴の下で、バチバチと青白い閃光が踊る。


「あああああああっ!!!!!!」

「止めるのじゃ!」


 閃光が静まった後、ミアは動かなくなった。


「まだ生きてますよ。いつまでかは、あなたの返答次第ですが」

「……」

「どうしますか。この娘はあなたにとって大切な子なのでしょう?」


 プラムはじっとザイフェルトの顔から視線を動かさず、何も言わない。

 仮にイツキを引き渡したからと言って、この戦力差、どうにかなるのか?

 そして、イツキを引き渡すことはすなわち、「プレイヤーの死」を意味する。


 そんなことを、許していいのか?


「……賢者様にも決められない難問のようですね」


 クククッ、とザイフェルトが笑う。


「それでは、先に逃げてしまった彼自身に訊くことにしましょう!」


 ザイフェルトが右手を向けると、光の玉が雷に転じ、辺りを真っ白に照らしながら塔へ襲い掛かった。


「イツキ!!!!」


 あまりの光の強さに、プラムは思わず目を背ける。


 轟音と、地響き。 

 硬く大きなものが崩れたのが分る。

 とても大切なものが――――

 

 再びプラムが目を向けたとき、塔の中央より上部は再び全て失われていた。



 ◇◇◇



「おやおや」


 ザイフェルトは目を細め、じっと俺を見つめていた。


「完璧なタイミングで攻撃したつもりだったのですが……またその鎧ですか。なんですか、それは?」

「……関係ないだろ」


 俺は瓦礫の中で、無傷だった。

 わずかに充電できていたポジトロンスーツのお陰だろう。


 これがあれば、ザイフェルトを一発で無力化できる。

 その後どうするかは、プラムに決めてもらうしかない。


 俺は後ろを見上げた。


「せっかく直したのに……」

「塔が壊れてしまうなんて、本当に悲劇だと思いますよ……あなたのせいで! 二度も!」


 わざとらしい言い方に、ちくりと胸が痛む。

 だが、今はその気持ちに蝕まれている場合ではない。


「……踏みつけているミアを解放しろ」

「お断りです」


 ザイフェルトの笑顔。


「何度目のやり取りでしょう。いい加減飽きてきましたよ。繰り返しますが、私が欲しいのはあなたの命だけです」

「……いいだろう」

「イツキ! ダメ!」


 ミアが叫ぶ。

 俺は、強がって微笑んだ。


「目を覚ましていたのですか。静かにしていなさい。また、黙らせられたくはないでしょう?」

「うう……」


 ミアは悔しそうに口をつぐむ。


「……ではイツキ、まずはその鎧を脱いでもらいましょうか」

「なぜだ?」

「気付かない訳がないでしょう。そんなものを着られていては、おお、怖くてまともに話すこともできません」


 一度脱いでも、すぐにまた着ることはできる。

 俺はザイフェルトの目を見たまま、ポジトロンスーツから袖を抜いて、地面に置いた。


「……これでいいか?」

「いいえ、まだです。遠くに蹴って下さい」

「……ああ」


 足でスーツを横に払う。スーツは3メートルほど離れた。


「まあ、いいでしょう。それでは――」


 次の瞬間、ザイフェルトが抜いた短刀をミアの背中に真っすぐ突き立てた。


「あっ!?」

「ミアっ!?」

「……死になさい」


 確かに俺の意識は一瞬、完全にミアに向いた。

 それでも俺とザイフェルトの間には、どれだけ急いでも5、6秒の時があったはずだ。


 でも今は、お互いの顔が息の掛かる距離にある。


 奈落のような黒いギョロリとした瞳孔と、視線が合っていた。


 軽い衝撃。


 胸の中心が、ひんやりと冷たくなる。

 焼けるような痛みが、遅れて全身を駆け巡った。


「ッぁ――はぁ……ッ……!?」

「イツキ!」


 なにをされたのかわからなかった。

 倒れ込み、痙攣する手足が意識せず跳ねている。


 プラムの声?

 後ろにいたはずだけど、右? それとも左?

 色んなほうこうから、プラムの声が聞こえてくる。


「これを……!!」


 ブレる視界の中で目をこらす。

 プラムが投げたあれは転成神符だ。


 ああ……実験用だったはずの、最後の1枚――


「させませんよ!!」


 間に、ザイフェルトが割り込んできた。

 符は彼の体に当たったらしい。


 ダメだ、音が、遠く、目も霞んできた……。


「ぎゃぁぁあッ! 貴様ッ……これは何だ……!? 回復アイテムではないのかッ!?」


 苦しんでる……? ザイフェルトが……?

 あれ……ヤバ……。

 息吸っても、吸えない……。

 肺に、空気が溜まっていかない……。

 もっと吸わなきゃ……空気……。


「イツキ! ミア! しっかりするんじゃ!!」


 プラムか?

 なんか、頭あったかい……それに、ゆさゆさ揺れて……。


「もうこれしかないんじゃ……使え! とりあえず、何になっても生き返るんじゃ!」


 転成呪符……あー……なんだっけ……。

 人間になれるか、分かんないんだっけ……?

 難しいこと……考えられない……。

 息、苦しい……。


「神符があれば……どうして、イツキ……ミア……!!」


 そっか……ミアも……守ってあげられなかったなぁ……。

 俺……

 誰かの大切なもの……壊してばっかりだ……。


「何に生まれ変わっても、……必ず見つけ出してやるぞ……! だから忘れるな! イツキ!」


 イツキ……俺の、名前……。


「お主は『プレイヤー』の『イツキ』じゃ! 忘れるな! イツキ、忘れるな! 自分の名前を……イツキ……」


 あ、これ、ホントにもうダメかも……。

 プラムの声が聞き取れなくなってきた。


 寒い……

 ラウラのスープ飲みたいな……。

 あたたかい……あの……あー……。


 ……ヒョウドウ、おれは……。


「……イツキ……お主は……プレイヤー……」



 ……


 …………


 ……………………

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