第35話 魔獣
立ち入り禁止区画には、分かりやすく麻縄が張られていた。
その麻縄が朽ちてかけているところを見ると、かなり前からここは侵入禁止に指定されていたのだろう。
塔の残骸の様子が、一部見えている。
しかし、草が膝上よりも高く茂っている上、塔は細かく四散していた。
やはりすべてのパーツを見つけるのは難しそうだ。
ロープを踏み、ミアと共にまたいで中に入る。
未舗装なのは当然だが、深い草とゆるい土で、足元がふらつく。
もし塔の残骸が地面に突き刺さっていたら。倒れこんだ先にそれがあったら……。
そう考えると、どうしても慎重にならざるを得なかった。
「……仕方ないな」
一度、足元に生えているこの草を全部刈り取って、行動しやすいようにするのが先決だ。
ひとまず、手で引っこ抜いてみる。
ブチっ。ブチっ。ぐぐっ……ブチっ……。
顔を上げる。
……こんな速度じゃ、何か月経っても終わらない。
プレイヤーの力を使ったら狙われるという話を聞いて、出来る限り自力でやろうかと思ったけど……さすがに一括採取ツールを使わなきゃダメそうだ。
草むらの中で、インベントリから一括採取ツールを取り出す。
立ち入り禁止地区だし、人に見られる心配はないだろう。
「ミア、ちょっと離れてて」
「……? 分かった……」
対象をそこにある『雑草』にセットして……っと。
一括採取ツールは本来、目の前の一種類のモノだけを採取するアイテムだ。
しかし前回『泥』を採取したときは、土も石もまとめて全部入手していた。今回もそうなら、上手くいけば草を全て回収できるはずだ。
ツールを持ち、起動する。
ザザザザザザッ!!
装置が光った瞬間、目の前に広がっていた大草原が同心円状に消えさった。
その間、わずか2秒ほど。わーお。ロークラのままだったら、フリーズしてもおかしくない処理だ。さすが現実、全く重くない。
「な……え?」
ミアはあっけに取られて、変な声を上げる。
「い、今の……何? 魔法……?」
魔法MODじゃない。科学MODだ。とはいえ、『行き過ぎた科学技術は魔法に見える』という言葉もある通り、おそらくミアの目には魔法に見えたのだろう。
「みんなには内緒な」
「賢者様に……ほ、報告義務が……」
「あー……うん、プラムにならいいよ、言っても」
ほかのヤツに知られると厄介だが、『賢者様』なら俺の素性を理解しているから問題ないだろう。
「プロの建築家になると、こういうこともできるようになるの……」
「あー……まあ、そういう道具? 道具使ってるだけだから、俺は」
「……勉強になる」
彼女は真面目な顔で一括採取ツールを拾い上げる俺を見つめていた。
嘘というか、ごまかしている気分の悪さはある。
だが、プラムとも確認した通り、俺は狙われているらしい。できる限り、知っている人間は少ない方がいいだろう。
もちろん、ミアだってそうだ。
だったら、このまま「そういうこと」にしておいたほうがいい。
ゴゴ……と低い地鳴りのような音がした。
「ん……なんだアレ」
見ると、遠くに茶褐色の大きな物体があった。
それはモゾモゾと動いて、動いて、動いて……やがて、黄色に光る鋭い眼球がこちらに向いた。
「……ドディシュ! 逃げるよ!!」
「ドディシュ? 寝ぼけた熊みたいに見えるけど……」
「クマじゃない! いいから早く街に逃げるよ! 追いつかれたら殺されちゃう!」
ミアは俺の腕を引っ掴んで、ぐいぐい草むらの向こうへ引っ張ろうとする。
「ま、待って待って! 街についてきたら危なくない!?」
「ドディシュは日の光に弱いの! 長くは動けないから!」
そんなこと言っても、信じられないスピードでこっちに向かってきてるんですけど!?
「獣人さん! 早く!」
いや、あのスピードで来たら逃げきれない。
今動きを止めても、慣性だけで吹っ飛んできて体当たりされる。
そうしたら、俺はもちろん、ミアだって無事じゃ済まないだろう。
……仕方ない。
インベントリを開いてとにかく最初に掴めたものは、さっき刈り取ってスタックされていた、大量の草だった。
「ゴアァァァァッッ!!」
ドディシュが右前脚を俺の頭上に振り上げる。
「顔面がお留守だぜ!」
ドドドド!!
開いた手から、大量の草が噴水のように飛び出し、ドディシュの顔に連撃を食らわせる。
1本2本の雑草ならまだしも、カンスト寸前の質量をもった草だ。
ドディシュの放物線を描く落下運動は途中で押しとどめられ、反対に押し返されだし、やがてその体は仰向けにひっくり返って吹き飛んだ。
「っしッ!!」
その隙に、自動建築機を取り出す。石を入れ、設定範囲を最低、最高速にして起動する。
自動建築機はドディシュの周りをぐるぐると周り、一瞬で石を敷き詰めた。石棺だ。
囲めた途端、内側からドゴドゴと、壁に向かって体当たりする音が聞こえる。
相手は石だが……念には念を、だ。
石壁を重ね、さらに地面を軽く掘って、地下にも石壁を伸ばした。
本当は念入りに金属壁にもしてやりたかったが、今の手持ち素材じゃ足りない。
とはいえ、これで地上は厚さ1.5m程度の石壁、地下も0.5mの厚みがある石壁に覆われたことになる。さすがに並の生物じゃ出て来られないだろう。
「ふう」
額の汗を拭い、ミアを見た。
「これで大丈夫そう?」
「……獣人さん、あなた何者なの? ドディシュをあんな簡単に……」
「だから、イツキだってば。超一流の天才建築家」
ミアは疑いの眼差しをやめなかった。
「閉じ込めておいたクマ……ドディシュをどうするかも考えないといけないし、ちょっと疲れたから休んでいい?」
◇◇◇
立入禁止区画の入り口の近くに、木をくりぬいて作ったようなベンチがあった。
俺とミアはそこに腰掛け、ドディシュを覆った石棺を見ていた。
「私、小さい時の記憶ほとんどないの」
彼女は太ももの上に肘をついている。
「覚えてるのは、おっきい男の獣人が、私に向かって手を振っているところ。暗い森の中に、私は一人、置いて行かれた」
プラムが言っていた「森に捨てられていた」ということと一致している。
「走っても走っても、彼には追いつかなかった。諦めて木の根元に座り込んで、それからどれくらいの時間じっとしていたか分からない。空腹で、寒くて、動けなかった。やがて鳥が集まってきて、私をつついて……漠然と、『私、死ぬんだ』って思った」
はぁ、とミアは深いため息を漏らす。
「その時、遠くから馬の鳴き声がしたの。鳥がどこかへ行って、代わりに賢者様の声がして……それで、そこからは覚えてない。起きたら、賢者様のベッドで寝ていた」
ミアは前を見つめたまま、にやっと笑った。
「私ね、あのとき1回死んでるの。賢者様が、もう一度私に生きるチャンスをくれた。だから……私は、賢者様のためならなんだって出来る」
「……なるほどね」
「だから……賢者様を悲しませるヒトや困らせるヒトは、絶対許さないんだ」
彼女の視線が、へし折れた塔の断面に向いている。
こりゃ、「俺がやりました」とは言えないな……最悪、今ここで殺されるかも。
「あなたは、確かに『悪い獣人』じゃないみたい」
「え?」
俺は素っ頓狂な声をあげてしまった。
「獣人って、みんな粗暴でイヤなヒトだと思ってた……冷たくして、ごめんなさい」
「ああ……」
……獣人の男に対するトラウマ、みたいなものか。
そうか、それで……。
「賢者様に、『本当にあんなやつを塔に招いて大丈夫なのか』って聞いたの」
「あんなやつって……」
「『変なヤツだが、ワシの大事な仲間じゃ』って。『ミアにも優しくしてくれる』って。賢者様は、そう仰った」
プラムの聞き捨てならないセリフよりも、ミアの切なそうな表情のほうが、俺の心の中には深く残る。
「まだ獣人さんのこと、全部は信じられない。でも、少しだけ信じてみようと思うの。賢者様がそう仰ったんだから、きっと間違いない」
「……そうか」
「これで私と賢者様の話は終わり」
ぱしっ、とミアが手を叩く。
「それより、ドディシュをどうするか、考えはまとまった?」
「そうだなぁ……」
俺はポケットに手を差し込むフリをしてインベントリを開き、中から敵探知レーダーを取り出した。
ビコンビコンに光ってやがる。敵意むき出しじゃないか。
「それは……?」
「ああ、これはな……敵がどこにいるか分かるアイテムだ」
「光ってるのが、敵のいる証?」
「そういうこと」
「……世の中には、便利なものがあるのね」
石棺を見る。ここまで音は聞こえてこない。もう諦めてくれていればいいのだが、レーダーの反応を見るに、まだまだ怒っている。
「……あれ、森に追い返せばいいのかな」
「獣人さん、本当にドディシュのこと何も知らないんだね。あの魔獣は光と熱に弱くて、30分くらい日光の下にいると衰弱する。でも、普通の攻撃はほとんど効かない。しかも、森の動物を襲うの。だから、森になんて連れていったら駄目だよ」
「なるほどね……」
それじゃ、石で覆った天井部分をもっと高くして、中に日光を通してやれば大丈夫かな。
そうじゃなくても、あのまま放っておけば餓死しそうだが……。
俺は立ち上がり、再び石棺の……というより、ドディシュの処理に向かった。
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