第34話 ミア

 俺はミアの後ろに続いて、ろうそくの明かりだけが頼りの薄暗い階段を下りていく。


「石壁……」


 俺はこの階段を覆っている壁に触れ、その感触を楽しんでいた。

 長年踏まれてツルツルになってしまった石の床とは違う、ざらりとした手触り。年季が相当に入っているのだろう。天井から壁にかけて、水が滴ったような茶色いシミがいくつも見える。

 歴史の厚みを感じて、素敵だ。


 だが、今日からしばらくここに寝泊まりすると思うと、少し気が重たい。


「ねえ、獣人さん」


 ミアが立ち止まり、ぶっきらぼうに声を掛ける。

 振り返ってはいるが、伏し目がちで、俺と視線を合わせようとしない。


「俺はイツキっていうんだ」

「……あちこち触らないで」


 ミアは再び前を向いて階段を降り始めた。


「……俺さ、悪い獣人じゃないよ」


 ミアは何も答えない。


「まあ……悪い事をしたかしなかったかで言うと、したかもしれないけど」

「……そう」

「そうなんだ。それでこの塔を直しに来たんだよ。ミアさん……ちゃん?」


 彼女は勢いよく振り返り、俺の顔をぎりっと睨んだ。


「ミアって言わないで」

「……え……」

「名前で呼んでいいのは、賢者様だけよ」


 彼女の声が石壁に反響して、こだましている。


「……それじゃあ、なんて呼べば……」


 ミアはそれに答えず、また前を向いて歩いていく。

 俺もゆっくり、さっきよりもずっと距離を取って、歩き始めた。




 ◇◇◇




「ここ」


 ミアが扉を開いた先には、想像していたよりも遥かにラグジュアリーな設備が整っていた。

 シャンデリア。天蓋付きのベッド。小さめのタンスに、本がぎっちり詰まった本棚。

 確かにこれは、牢屋なんかじゃない。ちゃんとした『客間』だ。


 ただ、大きな問題があった。明かりがないということだ。

 どうやらシャンデリアはMODによる光源で動いているらしく、設備が壊れているので動作していないようだった。

 今は、置かれたろうそくだけが光を灯している。


「私は賢者様と話してくるから、貴方はここにいて。……絶対に動かないで」

「あ、うん。わか――」


 俺が返事をし終える前に、バタンと大きな音を立てて扉が閉まった。

 参ったな。塔を直すのも急がなきゃだけど、ミアがこのままあの調子じゃ、気まずくてしょうがない。


 俺はベッドに腰を下ろして、本棚を見る事にした。


 六法全書ほど分厚い、賢者の丘観光案内。

 歴史書『賢者の丘のすべてがここに! ヒミツのヒストリー』。

 プレイヤー神話大全『イチから解説、分かるプレイヤー神話』。


 本棚の荘厳さと装丁の美しさに騙されたが、タイトルだけ見ると小学校の学級文庫だ。


 左を見る。入ってきたドアのある壁には、使われていない暖炉が備え付けられており、冬の時期に誰かが使ったのか、煤まみれのまま放置されていた。

 右の壁には、美しい風景画が飾られている。油絵のような風合いで、賢者の丘を描写しているようだった。


 立ち上がり、振り返る。

 後ろの壁には、ドレッサーと小さいタンス。あとは、謎のドアが1つある。

 客が泊まれる部屋ということを考えると、シャワールームとトイレ、とかなのかな。

 まあ、明日以降もしばらくはこの部屋と作業場所を往復するだけだろうから、あとでチェックすればいいか……。


 ぐぐっ、と大きく背伸びする。

 ここは暗いが、まだ昼前だ。

 今日はまず、立ち入り禁止地区に落ちているという残骸を拾うところからスタートだろう。

 効率を考えたら、残骸を全部拾ってから組み立てなおすほうが早いはず。

 どれほどの残骸があるかは分からないけど……とりあえず、インベントリは空っぽにしておいたほうがいいよな。

 特に、この塔に土とかは使わないだろうし……。


 インベントリを開く。

 アンサスの壁を作るのに集めた材料が、まだ結構残っていた。


 そのまま、タンスの前へ。

 そしてここに土ブロックを……入れていいのか?

 ゲームのロークラなら土を入れても「そういうアイテム」として処理されるが、この世界だと土は具現化されて「土」になる。

 もしこれがタンスの中にぶちまけられたら、回収は至極困難……というより、せっかく掃除しただろうミアが黙っちゃいないはずだ。

 鉄や石みたいに固形で形を維持してくれるものならまだしも、土……。


「ねえ」

「ひょぅ!?」


 突然声を掛けられて変な声が出た。

 俺は右手に持った土を握りしめて振り返る。


「……なんだ、ミ――キミか……」


 ミア、と呼びそうになって、さっきの彼女の怖い顔が脳内を駆け抜けていった。


「その手のもの、どこから持ってきたの」

「……え」


 そうだ。ミアは俺がプレイヤーだということを知らない。インベントリの存在も理解していないだろう。


「お、落ちてた」


 とっさに、俺はうそをつく。

 ミアは、けげんな顔で俺をじっと見ている。


「……どこに」

「あ、あはは……」


 さすがに、この石で囲われた室内に土なんて落ちてるはずはない。

 俺はきょろきょろと目で探したが、そんなものが出てきそうな場所はなかった。


「変な人」


 ミアはぷいと俺に背中を見せる。


「賢者様から許可をもらった」

「な、なんの?」

「私のこと、ミアって呼んでもいい」

「えっ、わざわざその確認のために、あの長~い階段を往復してきたのか!?」


 ミアは、その質問には答えてくれなかった。


「……早く行くよ。土は置いていって」

「どこに置けば……」

「元あった場所」


 ミアはそれだけ言うと、さっさと部屋を出て行った。


「元あった場所、かぁ……」


 インベントリの中に入れておいて、外でこっそり捨てようか。

 それか、暖炉のそばにまとめて積んでおいて……でもそうすると絨毯汚しちゃうよな……せっかくミアさんが掃除してくれたんだし、それは悪いよなぁ……。

 俺は迷って、結局土をインベントリの中に戻した。

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