虚の輪 2 地下迷宮の悪夢

 ぴったりと閉じられた扉に、唇を噛み締める。


 鍵を固定された上に外側から何か重いものを立て掛けているのであろう、押しても引いても動かない扉に怒りを覚えながらも、ヴィントは心を抑え、再び薄暗い地下通路に降り立った。


「寒く、ないか?」


 地上に続く扉と地下通路を結ぶ階段下にうずくまる二つの小さな影に優しく、声を掛ける。地下室に物品を取りに行ったまま戻らない二人の見習い騎士を探すのが、今回のヴィントの任務。その任務は、半分果たした。後は。


 持っていたランタンを、小さな影の一人に手渡す。ランタンの中の蝋燭の長さを確認し、腰のポーチから出した火打ち石と予備の蝋燭とをもう一人に手渡してから、ヴィントは羽織っていた黒のマントを震える小さな影に被せ、そして両手で、怯えた顔をした二人の見習い騎士の頭を軽く撫でた。


「大丈夫。すぐに、外に出られるから」


 しばらくここで待っていて。そう、声を掛けてから、獣に変身する為に額に精神を集中する。ここ以外の脱出口をできるだけ早く見つける為には、小回りが利く鼠よりも、身体が大きい猫の方が良いかもしれない。その思考のままに、皇都を気ままに歩く黒いしなやかな生物を脳裏に思い浮かべる。すぐに、ヴィントの視界は低くなった。


 地下の暗闇に対応する自分の瞳に、にこりと微笑む。ヴィントの変身に驚いた顔をした見習い騎士に「心配するな」と猫の声で言葉を掛けると、ヴィントは身軽に身体を翻し、光の無い地下通路を走った。


 暗闇が覆う地下通路はあくまで冷たく、そして不快に感じるほどの湿気に覆われている。そして人間が通ることのできる脱出口は、なかなか見つからない。猫の身体に感じる全ての感覚を研ぎ澄ませ、終わりの見えない地下を探りながら、ヴィントは苛立ちを抑える為に脳裏で数字を逆から数え始めた。


 と。松明とも、蝋燭の明かりとも異なる、強い光に、目を細める。人型に戻ると、光が漏れる部屋の入り口が、少し向こうに、見えた。その光に誘われるように歩を進める。入り口から部屋を覗くと、おそらく魔法の光なのだろう、そよとも揺れない光が並ぶ、奥行きのある部屋が、見えた。その部屋の奥に荘厳と置かれた、太い柱も。


 この部屋は、何なのだろう。好奇心のままに、奥に見える太い柱の方へと向かう。近付くにつれ、太い柱に太い鎖でがんじがらめに縛り付けられ、ぐったりとしているように見える、薄布一枚のみをまとった筋肉質な人の影が、ヴィントの視界に入ってきた。この人は、何故、こんなところに、このような格好で? 疑問が、ヴィントの足を更に柱の方へと向かわせる。次の瞬間、ぐったりとしていたようにみえた、柱に縛られた巨体の頭がヴィントの方を向いたと同時に、その巨体から発せられた幾筋もの光がヴィントに襲いかかった。


「なっ!」


 本能のままに一歩下がり、腰の剣で光を薙ぐ。前に北の国の女王エーリチェからもらった赤みを帯びた鋭利な剣は、ヴィントを絡め取ろうとする光を悉く追い払った。だが、先程よりも強い光が、ヴィントの視界を奪う。あっと思う間も無く、ヴィントの右手から剣が叩き落とされ、ヴィント自身の身体も光に絡め取られてふわりと浮いた。


 そしてそのまま、柱に縛り付けられた巨体の方へと運ばれる。取り込まれる! その思考が身体を駆けめぐる前に、ヴィントは精一杯の抵抗として、光に絡め取られて動かない両腕を振り回した。次の瞬間。右手が柔らかいものを強く叩いた衝撃と同時に、ヴィントの身体は固い石床に尻餅をつく。何が、起こった? 呆然と顔を上げたヴィントの視界に入ってきたのは、再びぐったりと頭を垂れた、柱に縛られた巨体の姿。


 何が起こったのか分からないまま、それでも剣を拾い、這うように、太い柱から離れる。身体の動きが鈍い。怪我は、していないように思うが。そう考えながら何気なく見た右手の甲に血が飛び散っているのが目に入り、ヴィントは一瞬、思考を止め、そして血に濡れた、右薬指にはめられた指輪をまじまじと見詰めた。この指輪は、ヴィントとの婚約を希望した幼い皇女レナが、婚約者である証として身に着けるよう、ヴィントに手渡したもの。レナの母の形見だというその指輪は、確か、銀でできていた。そこまで思い出し、もう一度、柱に縛られた巨体を見る。うなだれた巨体の右頬に、一筋の血の跡がある。と、すると、この巨体は。ヴィントを育ててくれた祖母ペトラが夜な夜な話してくれた物語と、この皇国の図書室で閲覧した歴史書から、ヴィントは答えを導いた。


 ヴィントの目の前で縛られているこの巨体は、その昔、ヴィントの故郷である南の国に暮らし、戦乱が絶えない現状を憂いてこの皇国を打ち立てた初代皇王アレオスに従った『幻獣』。初代皇王アレオスの覇業を助け、しかし暴走したが故にこの場所に封じ込められた、存在。その『幻獣』が、ここまでの『力』を持っているとは。幻獣の光に取り込まれただけなのにも拘わらずぐったりと疲労している自分自身の身体に、息を吐く。幸い、レナから受け取った銀の指輪が、ヴィントを守ってくれた。だが次は、同じ幸運が通用するか。とにかく、幻獣の弱点は、南の国で多く産出する『銀』であると、これはペトラから聞いて知っている。大切にしていた銀の短剣をエーリチェに渡してしまったことが、悔やまれる。早く、この場所から脱出して、銀製の武器を揃えるよう、言わなければ。ともすれば暗く塗り潰されそうになる視界を叱咤しながら、ヴィントは再び猫の姿を取った。

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