五の輪 4
それから、どこをどう歩いたのか、覚えていない。
気が付いた時には、ライは、土砂降りの雨の中に立っていた。
冷たい雨が、体温を容赦無く奪う。だが、皇城にも、近衛騎士の詰所にも、寄宿している伯母の家にも、戻ることはできない。この場所に、来るのではなかった。後悔が、心を噛む。帰りたい。南の、生まれ育った場所に。それだけを思いながら、ライは動かない足を動かしていた。だが、限界が来る。ぬかるんだ地面に足を取られ、ライは泥の中に突っ伏した。
暗い意識の中に、幾つもの顔が浮かんでは消える。幻獣の中にいた卑怯な近衛騎士達の、憎しみを忘れさせてしまうほどの辛さを張り付けた顔。父に見捨てられた絶望を浮かべた第一王子ノルドの顔。そして、初代の幻獣に取り込まれたアールと、取り込まれることなく命を落としたテムの、苦悶の表情。悲しみで苦しくなった胸を楽にしようと、ライは冷たい泥の中で息を吐いた。しかし、脳裏に張り付いた記憶が、ライを捕らえて放さない。
と。
「ライ!」
突然の温かさに、ほっと息を吐く。背中にある、固いベッドの温かな感覚を覚えながら目を開けると、柔らかな碧色の瞳が、ライを心配そうに見下ろしているのが、見えた。
「ライ!」
その瞳の持ち主、レナの温かな指が、ライの髪を撫でる。
「大丈夫?」
心から心配するその問いに、ライはこくんと、頷いた。そしておもむろに、目を閉じる。何があったのか、レナに尋ねられるのが、怖い。尋ねられれば、今まであったことを全部、口にしなければならない。それが、怖い。温かなベッドに横たわっているにもかかわらず、ライの全身は震えに震えていた。
と。急に、身体が持ち上げられる。次に気付いた時には、ライの身体は木の箱の匂いがする場所に、あった。馬の匂いも、ある。荷馬車の上だ。ライはそう、判断した。隣に見える、少女の姿には、見覚えがある。
「南の国へ」
御者に指示するレナの声が、優しく耳に響く。
「兄上の考えは分からない。でも、ライは南の国に帰した方が良い」
そして。ふわりと温かいレナの腕が、ライの身体を抱き締めた。
「ライ、サジャを、お願い」
心地良い声が、耳に響く。その声に、ライはこくんと、頷いた。
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