五の輪 3

「こっちへ!」


 声を豹変させた青年騎士が、その左腕でライの腕を掴む。たちまちにして、ライの身体は、部屋の隅に無造作に置いてあった空き箱の影に押しやられた。


「動くな。できれば息もするな」


 ある意味無茶な要求に、それでもこくんと頷く。青年騎士がライの方に背を向けると同時に、見覚えのある人物が部屋に入ってくるのが、見えた。


「まだ誰もここに辿り着いていないのか」


 その人物、皇王レクトが肩を竦めて大きく息を吐く。


「最近の近衛騎士には、相応の力を持つ者はいないということか」


 そう言いながら、皇王レクトは柱へと近づき、もう一度大きく息を吐いた。


「私が皇子だった時も、この場所に辿り着くことができたのはヴィントだけだった」


 レクトの言葉に、青年騎士が小さく頷いてから、そっと声を出す。


「陛下も、この場所に辿り着けたではありませんか」


「追従か。らしくない。それともその右腕が言わせているのか?」


 青年騎士の言葉に、レクトの嘲笑が空間に響いた。その時。


「ここは……」


 部屋に響く、アールの声に、はっと身を震わせる。顔を上げると、レクトに気付いたアールが跪く姿が、見えた。


「皇王陛下。まさか、これが」


「そう、世を惑わす幻獣の、根本原因だ」


 アールの震える声に、皇王レクトが深く頷く。


「しかし私では、この者を封じ直すことができぬ。若い近衛騎士の力が必要だ」


 そして。皇王レクトの言葉に従うように、アールは剣を抜くと、鋭い気合いとともに柱に縛り付けられた人影にその剣を刺した。次の瞬間。


「うわわわわっ!」


 耳に突き刺さるアールの声に、思わず隠れ場所から立ち上がる。しかしライの方を振り向いた青年の、フードで隠れて見えないはずの鋭い視線に、ライの身体は金縛りにあったかのように動かなくなった。声すら、出ない。柱に縛り付けられた人物から発せられる血のような光に捕らえられたアールが苦悶の表情を浮かべる様を、ライはただ見ていることしかできなかった。


 と。


「アール!」


 アールと行動をともにしていたのであろう、テムの声が、アールの叫び声に重なる。アールを助ける為に柱へ飛びかかったテムの身体は、しかしすぐに光によって弾かれた。その光の中で、アールの影が大きくなる。光の中に見えた、三つの首を持つ竜の影に、ライの全身は震えに震えた。卑怯な近衛騎士達も、そして第一王子も、こうやって無理矢理に、『幻獣』の姿に変化させられたのだ。そして、その原因を、作り出しているのは。


「やはりこの者は、幻獣になるには力が足りなかったか」


 苦悶の表情を浮かべ、床に倒れたまま動かないテムを見下ろした皇王レクトが、醜悪な笑みを浮かべる。


「そしてアールは、……確かに、そなたの息子」


 そして。アールを吸収し、光を収めた柱を見上げたレクトは、残虐なことが目の前で繰り広げられても一言も発しなかった青年騎士の方を見て、口の端を上げた。


「そう言えば、そなたのもう一人の息子が、来ないな」


 レクトの言葉に、青年騎士が俯くのが、見える。


「あの少年は、どんな幻獣になるのか、それは後の楽しみに取っておこう」


 そして。残酷な言葉を後に残し、皇王レクトは部屋を去って行った。後に残ったのは、静寂。


 おもむろに、倒れたテムの横に立った青年騎士が、苦しげな表情のまま固まってしまったテムの身体を抱き上げ、部屋の外に出る。その時になって初めて、ライは、青年の右腕が実在のものではないことに気付いた。あの色は、……地上で暴れる幻獣が身にまとっていた、どす黒い靄と同じ色。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る