五の輪 2
「……あ、れ?」
前を歩いていたはずのオストの姿が、見えない。静寂が包む暗闇の中に、ライはいた。
〈え、えーっと……〉
掲げた自分の掌すら見えない暗闇に、戸惑いが募る。それでも何とか息を吐いて、ライは気持ちを落ち着かせた。幸いなことに、ライの周りに、人あるいは獣の気配は感じられない。ライの身を害するものは、現在、ここにはいない。とりあえず、今、やるべきことは。窮地の時こそ冷静にならなければいけないという、曾祖母ペトラの言葉を思い出しながら、ライは腰のベルトを探り、念の為にと腰のベルトに配したポーチに入れておいた蝋燭と蝋燭立て、そして火打ち石を手探りで取り出した。その場にしゃがみ、蝋燭を差した蝋燭立てを床に置き、火打ち石で蝋燭に火をつける。全て手探りと勘が頼りだったが、それでも何とか蝋燭に火を付けることができた。明かりを確保したら、次は、はぐれてしまったオストを見つけること。蝋燭の火を頼りにきょろきょろと辺りを見回してから、ライはこっちだと思った方向に歩を進めた。
しばらく歩くと、蝋燭よりも強い光が闇の向こうに見えてくる。誰か、いる。ライはほっと息を吐いた。やはり、暗闇で一人は心細い。誰かと一緒に、できれば地上に出たい。ライは早足で、光の方へ向かった。だが。目的の場所に辿り着き、肩を落とす。光が漏れる場所にあったのは、がらんとした、奥行きのある部屋。周りと同じ色の石壁が、松明とは違う不思議な明かりに揺れている。魔法の、明かりなのか? ライは蝋燭を吹き消すと、壁に掛かる柔らかく強い明かりに見入った。その時。今まで毛ほどにも感じなかった人の気配に、はっと顔を上げる。細長い部屋の奥、一本の柱が立っているのが見えるすぐ側に、暗い色のマントに身を包んだ影が、あった。
「誰?」
その影に、叫ぶ。小さな声しか出なかったが、それでも、ライの声は部屋の奥まで届いたらしい。暗い影はおもむろにライの方を見、そしてライの方へとやって来た。
近くまで来た、その影を、まじまじと見つめる。背の高さは、ライと同じくらい。体格も、ライと同じように華奢。そしてライが外出する時に羽織るものと同じ、黒色のマントを羽織っている。マントに付いたフードを目深に被っているので顔は見えない。しかしマントの下に見える上着の濃い青色から、目の前に立つ青年が近衛騎士の一人であることだけは、すぐに判別できた。左袖は、マントに隠れて見えない。しかし三つ以上の『輪』を持っていることは、僅かに見える袖から分かる。
「……君は」
不躾な観察をするライに、青年騎士がフードの下の唇を緩ませるのが、見える。
「来なさい」
そして。ライに背を向け、部屋の奥に向かった青年騎士に、ライも無言のまま従った。
部屋の奥に向かうにつれ、その場所にある柱の様子がよく見えるようになる。薄い布一枚をまとった人物が、太い鎖でその柱に縛られている、その光景が。
「初代皇王アレオスを助けたという、幻獣だ」
その人物の方に、青年騎士が左腕を上げる。その時に見えた、左袖の輪の数は、七つ。
「南の国に生まれ、その場所で静かに暮らしていたにもかかわらず、愛する者の命と引き替えにアレオスに従った者。そして、約束を違えたアレオスに復讐をしようとしたが故に、自身の息子達によって、彼はこの場所に封じられた」
淀みなくそう言った青年騎士の声の後に、深い場所から沸き起こったような咆哮が、悲しげに、響いた。
「だが、封印は解けかかっている」
静かで、どこか空々しげな青年騎士の声が、ライの耳を震わせる。そして。不意に青年は、ライの目の前に立った。
「お守りは、無くしてしまったのだな」
ライの腰を見た青年騎士が、悲しげに目を伏せる。その青年の腰の剣は、どこかで見た形をしていた。
「仕方が無い、また次の機会を……」
首を横に振った青年騎士がそう言った、次の瞬間。
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