五の輪 1

「あいつら、飛び出して行って、大丈夫なのか?」


 地下に降りるなり競争するように細い道に入っていったテムとアールを心配しているのであろう、従兄のオストの、普段の温厚さとはかけ離れた苛立ちを含む声が、暗く細長い空間に響く。そのオストが手にしているカンテラの明かりの小ささに心細さを覚えながら、ライは少しだけ、俯いた。


 皇国の危機に現れ、皇国を助けるという『幻獣』が、このところ頻繁に地上に現れている。皇国に未知なる危難が襲いかかろうとしているのだろうか? それとも、皇国を救うものではあるが、同時に、暴走により皇国を滅ぼそうとした過去をも持つ両義的な存在でもあるが故に皇城の地下に閉じ籠めた初代の『幻獣』の封印が解けかかっているのではないのか? 幻獣の出現に危機感を覚えた皇王レクトは、『二つ輪』以上の近衛騎士達に皇城地下の探索を命じた。


 地下を探索し、『幻獣』の封印を強化すること自体は、これまでにも近衛騎士達によって何度か行われているらしい。ライの父、ヴィントも、行方不明の同僚を捜すという別の目的でこの地下に潜り、結果として幻獣の封印を強化した功績によって五番目の『輪』を授けられたと、伯父であり、近衛騎士隊長でもあるフィルは言っていた。まさか自分も、父と同じ事をすることになるとは。不安と、僅かな好奇心に、ライの胸は騒いだ。


「そう言えば、ライ。父から聞いたけど、四つ目の輪を断ったそうだね」


 しかし、その高揚感は、すぐに、悲しみに塗りつぶされる。


「はい」


 オストの言葉に、ライは力無く首を横に振った。


 そっと、左袖の方へ目を移す。僅かな光に揺れる左袖に縫いつけられた『輪』は、三本のまま。皇女サジャを襲った幻獣を退治し、サジャ姫と、幻獣の中に取り込まれていた第一王子ノルドを救った功績により、皇王レクトはライに新しい、四つ目の輪を授けた。しかしライは、近衛隊長であるフィルを通じてその輪を断った。断った理由は、明白。ライが助けた第一王子ノルドは、今も意識を失ったまま、レナの施療院で治療を受けている。たとえノルドが意識を取り戻したとしても、元のように歩くことは無理だろう、と、ノルドの見舞いに行ったライにレナは告げた。そのレナの、悲しさに沈んだ碧色の瞳を、思い出す。ノルドを助けることができず、レナを悲しみに沈ませた。そんな自分が、『輪』を受け取ることなど。それに。皇城の奥で聞いた、皇王レクトと近衛騎士隊長フィルの鋭いやりとりを、思い出す。自分が、サジャと結婚して皇王になるなど、無理だ。レクト陛下は、何を考えて、ライを皇王にしようとしているのだろう。暗闇の中、ライは大きく首を横に振った。幸い、レクトとフィルのやりとりについては、その場で聞いたライと第二王子ユニ、そして父に問い糺したサジャ姫までで止まっている。イーディケ伯母も、おそらく伯母と同じようにサジャから事情を聞いているであろうレナも、何も言わない。そのことだけには、ライは正直ほっとしていた。あのやりとりは、誰にも知られてはいけない。知られてしまったら、アールは、そして目の前のオストは、どう思うか。それが、怖い。前を歩くオストの広い背中を見上げ、ライはもう一度、強く首を横に振った。


 オストが捧げ持つカンテラの明かりの後ろをふらふらと歩きながら、大きく息を吐く。皇都にある皇城の地下は、幻獣を封じる為に、広大な迷宮になっているらしい。この地下の何処に幻獣が封じられているのかは、皇王自身にも分からないそうだ。だから『探索』が必要だと、近衛騎士隊長フィルは騎士達に訓示した。


 『幻獣』とは、何者なのだろうか? 歩きながら、思考を巡らせる。ライも、そして父ヴィントも、自発的なのか無意識なのかはともかくとして『幻獣』に変身することができる。そして、かつてライが倒した幻獣達の内部には、人間がいた。平原でライ達を襲った怪鳥の姿をした幻獣には、二本の『輪』を左袖に持っていた、先だってサジャに取り入ろうと策を弄してライに濡れ衣を着せた、西辺境伯の息子でもある近衛騎士が。北の大公の未亡人が暮らす館を襲った猿の身体に蝙蝠の翼を持った幻獣の中には、サジャに取り入る辺境伯の息子の手助けをした西辺境伯領出身の近衛騎士が。そして、サジャとライを襲った炎の鬣を持つ獅子の幻獣の内部には、第一王子が。と、すると、幻獣とは、無理矢理としても自発的なものであるとしても、人間が変身するものであるのだろう。しかしながら、ライやヴィントのように自発的あるいは無意識に変身する場合はともかく、無理矢理である場合は、いったい誰が、彼らを幻獣に変身させたのだろうか? もしかしたら、この地下に、その解答があるかもしれない。自分の出した結論に、ライはこくんと頷き、顔を上げた。


 だが。

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