四の輪 5
冬の、素早い夕暮れの道を、サジャの後ろからのろのろと歩く。
オストもテムも、アールも屋敷にはいなかったので、ライが、サジャを施療院まで送っていくことになった。前を歩くサジャは、ライの方を見ない。声すら、掛けない。ライの方も、何を言えばいいのか分からない。何時まで歩いても、皇都のすぐ近くにあるはずの施療院に辿り着かない。重苦しい空気が、ライとサジャを包んでいた。
と。
「私、……あなたのこと、大っ嫌い!」
施療院を囲む煉瓦塀が見えたところで、突然、サジャが振り向いてライを睨む。言われた言葉よりも、サジャの声が内包する強い響きに、ライは何も言えず俯いた。
その時。地面に落ちた巨大な影に、はっと空を見上げる。黄昏の空にあった、黄昏よりも濃い色の鬣を靡かせた巨大な獅子が、その前足に生えた鉤爪で、サジャが尻餅をついた側の煉瓦塀を突き崩したのが、見えた。
「あ……」
自分を襲う鉤爪に動けなくなってしまっているサジャを認める前に、サジャを襲う獅子を腰の剣で薙ぎ払う。折れると思っていた剣は、しかし獅子の黄昏と同じ色の横腹をやや深く斬った。これなら。ライの前に落ち、すぐに靄となって消えたどす黒い血に、唇を横に引き結ぶ。ライの方へと向いた獅子の、汚れた鉤爪を素早く避けると、ライは無防備な獅子の腹に剣を突き立てた。獅子の呻き声が、夕方の冷たい空気を震わせる。その呻きの中に、聞き知った声を認め、ライは思わず剣を引いた。この『幻獣』の中に、第一王子ノルドがいる! 驚愕するライの隙をついたように、獅子の爪がライの身体を地面に引き倒す。ライを喰おうとする獅子の獣臭と、ライの身体の上に乗る鉤爪の痛みに思考が途切れるのを感じながら、それでもライは、自由になる右足で獅子の傷付いた腹を蹴り上げ、少しだけ怯んだ獅子の脇腹にまだ掴んでいた剣を突き刺した。獅子の声に混じる第一王子ノルドの叫び声に唇を噛み締めながら、獅子から離れ、そして背中の翼を感じながら飛び上がる。ライを無視し、サジャに襲いかかろうとした獅子にライが空中から振り下ろした剣は、黄金の獅子の身体を真っ二つに切り裂いた。その傷口から零れ落ちるように出てきた、小さな身体を、抱き起こす。幻獣のどす黒い血に塗れた身体は冷え切ってはいるが、息は、……している。
「ノルド!」
ぐったりとライの腕に凭れる弟に叫び声をあげたサジャにその冷たい身体を引き渡すと、ライ自身も力を失い、その場に頽れた。
「ライ!」
塀の外の騒ぎに気付いた施療院の人々のものらしき足音の中に、レナの柔らかい声を聞き取る。
「ライ! しっかりして!」
耳に響くレナの、心地良い声に、ライは微笑んで目を閉じた。
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