四の輪 1

 故郷の町では見ないレベルの喧噪に、目眩を覚える。


「大丈夫か?」


 しかし、前を歩く従兄オストの心配そうな声に、ライは微笑んで首を横に振った。ほんのしばらくの間でも、ここに暮らすのであれば、慣れなければならない。


 オストに誘われるがままに、皇都にある市場地区を、ライは訪れていた。皇都を形作る三角形の一点、二つの川の合流地点にある見張り塔を起点として広がる、皇都の衣食を支える市場は、身を切るように鋭い北風が吹いているにもかかわらず、羽織っているマントを脱ぎたくなるほどの熱気に包まれている。肉と魚の匂い、調理する油の匂い、物を売り買いする人々の怒鳴り声と忙しない足音。いずれも、ライには経験の無い、少し恐ろしく感じてしまう、光景。


「こっちだ」


 きっちりと羽織った黒いマントの裾をぎゅっと握り締めたライの耳に、再び、オストの声が響く。心配そうにライを見下ろすオストにこくんと頷くと、ライはオストの白いマントを目印に、人混みの中を歩いた。しかし何故、オストはライをこんな喧噪の中に誘ったのだろう? オストを見失わないように歩きながら、首を傾げる。オストは、もう一人の従兄テムとは異なり、面倒見の良い、どちらかといえば物静かな青年。近衛騎士の訓練場と皇城の図書室、そして寄宿している伯母の家との往復しかしていないライを案じて、皇都の一面でもある盛況な市場の案内を買って出たのだろうか? そう思いながらライが辿り着いたのは、見張り塔の近くに位置する、宝飾品を扱う店が並ぶ一角だった。


「毎年これくらいの時期に、サジャ姫の誕生会が開かれるんだ」


 辿り着いた場所に違和感を覚え、再び首を傾げたライに、オストが淡々と説明する。


「二つ輪以上の近衛騎士は必ず招待されるから、今のうちから渡すプレゼントを選んでおいた方が良いと、義母が」


 なるほど、そういうことか。そっと、上着の左袖を見る。ライの上着には、新しい三本目の線が入っていた。北の国にて第一皇子ノルドを助けた件で、皇都に戻ってきてからもらったもの。


「エーリチェから是非にと言われたのでな」


 新しい『輪』を与えられた時に言われた、皇王レクトの言葉を思い出す。大したことは、していない。だが、是非にと勧められれば、断れない。もう一度、左袖を見詰め、ライは少しだけ唸り声を上げた。


 同時に思い出したのは、テムとアールのこと。


「その、誕生会には、テムとアールも招待されるのですか?」


 心に浮かんだ疑問をそのまま、オストに尋ねる。北の大公の未亡人の奸計を見破ったことを褒められ、アールも四つ目の輪をもらっている。テムも一応『二つ輪』だから、誕生会には一緒に行くことになるのだろう。しかし、ライの予想は、少しだけ外れた。


「うーん、アールはともかく、テムはサジャ姫を『お転婆』だって、嫌っているからな」


 本人が行きたいとは言わないだろうし、姫と皇王の前で無礼なことをされては困るので、父である近衛騎士隊長フィルがテムを行かせないと思う。オストの言葉に、ライは少しだけ微笑んだ。確かに、テムならやりかねない。


 オストと話をしながら、通りの露店を見て歩く。店の前に並べられた宝飾品はどれも見事。だが、最南伯に住む職人達が作る物の方が、細工が綺麗だと、思う。どれが良さげかと尋ねるオストに、ライは首を横に振った。


 と。


「ヴィントは、南の国に送る贈り物に布製品を選んでいたな」


 高いところから、聞き知った声が響く。顔を上げると、伯父である近衛騎士隊長フィルが、きちんと手入れをした髭を震わせて馬に乗っていた。


「確か、北の国との捕虜交換で帰ってきて、前の皇王から『三の輪』と報奨金をもらった時、だったかな」


 見張り塔の警備を確認に行った帰りだと言うフィルが、通りの向こうに僅かに見える、布製品が並ぶ店の方に顔を向ける。


「うん、そうだ。確か、厚手の毛布と、薄紫色の毛織物を買っていたな」


 伯父フィルの言葉に、記憶が刺激される。ライを育ててくれた曾祖母、ペトラが肌寒い日に身体に巻いていた毛布は、おそらく、父ヴィントからの贈り物。そして、薄紫色、菫色は、……母が好きだった色。母が葬られる時に着ていた、ドレスの色。故郷から無理矢理引き離され、この街で暮らさざるを得なくなっても、父は大切な人たちのことを忘れてはいなかったのだ。想いを噛み締めるように、ライはゆっくりと、頷いた。


 もうそろそろ家に帰るようにとの伯父の言葉に頷いて、来た道を戻る。来る時は気付かなかったが、市場には、食料品や薬草を売る店の他に、革製品や武具を売る店もある。その一つ、大小様々な剣が並べられた店の前で、ライは少しだけ足を止めた。


「どうした?」


 そのライの耳に、オストの声が響く。


「剣なら、北の国の女王から良い物をもらったのでは?」


 オストの言葉に、ライはそっと右手で、腰の左側に差した剣の柄に触れた。銀色の、しかしどこか血のように赤みがかった刀身を持つ、厚みがあるが軽い剣。過去に皇王に仕え、七つ輪をもらったという北の国の騎士グレンが、初代皇王に仕え皇国の統一に力を貸したという幻獣が暴走した際、幻獣に止めを刺す為に使ったという剣を打ち直した、二振りのうちの一つだと、エーリチェは言っていた。そして。もう一振りの剣は、ライの父ヴィントに渡したと、エーリチェは言った。父が亡くなった時に、その剣も亡骸と共に埋められたという、ことも。


「いーなー」


 北の国の王宮で、ライがエーリチェから剣を受け取った時の、アールの膨れっ面が脳裏を過ぎる。


「俺も欲しい」


「そなたには、ヴィントが持っていた銀の短剣を渡しただろう」


 そのアールに呆れるエーリチェの微笑みも。


 アールは、あの、幻獣の血で汚れた短剣をちゃんと研ぎに出しただろうか? 露店に並べられた短剣を見ながら、息を吐く。ライが持っていた銀の短剣は、北の大公の未亡人の館が幻獣に襲われた時に、幻獣に対峙して無くしてしまった。その短剣の重みが腰に足りない。新しい短剣を買った方が良いのだろうか? いや、あの銀の短剣はお守りのような物。他の短剣で代用できる物ではない。


「もうそろそろ帰ろう」


 オストの声で、我に返る。


「サジャ姫へのプレゼントは、もう少し後でも大丈夫だ」


 そのオストの言葉に、ライは心の中でポンと手を打った。そうだ。サジャには、短剣を贈ろう。前に、騎士達に襲われる前に、剣術を教える約束をしていた。色々あって遅くなってしまったが、まだ、大丈夫だろう。そんなことを考えながら、ライが脳裏に思い浮かべていたのは、サジャ姫ではなく皇妹のレナ姫、だった。

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