三の輪 7
柔らかい感覚に、はっと目を覚ます。
「気が付いたか」
大きく目に映る、北の国の女王エーリチェの艶やかな微笑みに、ライの全身は一瞬、硬直した。そっと、頭だけ動かす。次の瞬間、自分の頭がエーリチェの柔らかで香しい膝の上にあることに気付き、ライは大慌てで身を捻り、エーリチェの膝の上から退いた。
「全く、無粋なところも、父に似ておるな」
そのライの行動のどこが面白いのか、エーリチェが声を立てて笑う。そしてエーリチェは、動揺で言葉も出ないライの、火照った頬をその細い指で撫でた。
「寒くは、ないか?」
そう言われて、改めて、周りを見る。三方を岩に囲まれた、僅かな枯れ草が生える場所に、ライはエーリチェとともにいた。
「ここなら、風はあまり入ってこない」
そう言ったエーリチェの顔色の悪さに気付き、側に落ちていた黒色のマントをエーリチェの膝に掛ける。岩の上に見える空は、灰色。先ほどの変身でまた全身が気怠くなってはいるが、幻獣化して早急に、エーリチェを王宮に戻すべきだ。そこまで考えたライの左手を、エーリチェの冷たい手が掴んだ。
「大丈夫だ。夕方まで、まだ時間がある」
そして。
「話の続きをしようか」
もう一度幻獣になるには、体力が足るまい。そう言って、エーリチェは、こくんと頷くライの左腕を自分の方へと強く引いた。
エーリチェに促されるまま、その細い身体に寄り添う場所に、腰を下ろす。動悸が、収まらない。エーリチェの、イーディケ伯母にも皇妹レナにも無い種類の笑みに、ライは無意識にエーリチェから顔を背けた。
「今はまだ良いが、吹雪の時は、互いに寄り添わぬと凍え死ぬ」
そのライの耳に、エーリチェの声が響く。
北の大公に唆され、秋の終わりに皇国に兵を向けた北の国。しかしヴィントが立てた策略によってエーリチェの父、先代の王は皇国に捕らえられた。父とは別に騎士達を率いていたエーリチェは、囮として自軍を惑わせたヴィントを捕らえ、春になるのを待って人質交換の交渉を始めた。その、冬から夏になるまでの間、ヴィントの知識と度胸を気に入ったエーリチェは、ヴィントを自分の従者として連れ歩いた。誘惑し、北の国の騎士とする為に。だが、ヴィントは、どんな時も、エーリチェに指一本触れなかった。
冬のある日。ヴィント一人を伴い北部の巡視に向かったエーリチェは、その帰途、不意の吹雪に道を誤ってしまう。視界を奪われ、凍えるまま、エーリチェとヴィントは小さな洞窟に難を逃れた。火打ち石も、燃やすものも無い、場所。その小さな空間で凍えるエーリチェに、ヴィントは自分のマントと上着を着せ掛け、そして自身の体温で、エーリチェを凍死から救った。
「そなたの父が、私に触れたのは、その時だけ」
冷たくも香しい、エーリチェの息づかいが、ライの胸を震わせる。
「しかしそれだけで、アールを宿すには十分だった」
エーリチェの告白に、ライは頷くしか、なかった。
冬の日が、消えかける頃。ライは巨大な鳥に姿を変えた。
エーリチェを背中に乗せ、北の国の王宮へと翼を広げる。ライの背中を温める、エーリチェの身体は、しかしライをかえって冷静にさせて、いた。
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