三の輪 6

 次の日。


「熱は、下がったな」


 身体を横たえていた、頑丈そうな木の板で周りを囲っている箱型のベッドの天井の高さを気にしつつ、頭をぶつけないように何とか起き上がる。そのライの額に触れて熱の状態を確かめるや否や、北の国を支配する女王エーリチェはライに乗馬の供を命じた。


「おまえの父、ヴィントのことを、教えてやろう」


 早い方が、良いだろう。息子であるアールとそっくり同じ、何処か傲慢な物言いに、ライは静かに頷いた。確かに、父のことを知る為に、ライは皇国の客人になっている。真実を知ることに恐れを抱きつつ北の国に向かったのも、その為。


 エーリチェとともに、北の大地を馬で走る。北の国の王宮は岩山の間に石碑のようにそびえ立っていたが、ライが馬で走る道も、草よりも岩の方が多かった。


「南の方や、川沿いには、少しだけだが肥沃な土地がある」


 ライの前を、すっきりとした背中を見せて走るエーリチェの声が、耳に響く。


「大半は、岩と山と雪でしかないがな」


 それでも、この地が皇国に併合されず、国として成り立っている理由は、岩山の下に眠っている黄金のおかげ。エーリチェの言葉に、ライははっとし、一瞬だけ南の方を向いた。南の国も、皇国に併合されなかった理由は、地下に眠っている銀の為だと言われている。南の国が初代皇王の覇道に協力を惜しまなかったからというのもあるが、南の国が接している、恵み深くもあるが敵も現れやすい開かれた海を持ち、銀を有する南の国を、皇国は現在も敬意を持って遇している。その恩恵に、ライも与っているわけだが。


「南の国が持つものが海なら、北の国が持つものは山、だな」


 険しくなった道の途中で馬を下り、ライを小高い丘の上まで誘ったエーリチェが、丘の向こうに見える高く険しい山々を指差す。丘から見える、北の山々は全て、山腹の半分まで雪で白く覆われていた。


「北の国の殆どは、雪と岩でしかない」


 不意に、エーリチェがライをじっと見詰める。赤く、艶やかなエーリチェの瞳に、ライは全身が熱くなるのを感じた。


「吹雪一つで、人の命などすぐに失われる」


 そのライに、エーリチェが豊かな笑みを浮かべる。


「ライ、そなたの父はな」


 続いての、エーリチェの言葉は、しかし丘の下から響いた悲鳴にかき消された。


「何だ!」


 長身を身軽に翻し、丘を滑るように下りるエーリチェに引き続き、ライも岩に足を取られながら丘を下りる。麓で、ライが目にしたのは、おそらく狩りの獲物であろう持ちきれないほどたくさんの鴨を地面に落とし、尻餅をついて震えるテムとノルド、そして、その二人に怒りの形相を向けている、人面熊身の白い幻獣。


「あれは」


 畏れを含んだエーリチェの声が耳に届くよりも早く、テム達と獣との間に割って入り、振り下ろされた太い腕を目の前の獣と同じ姿になって止める。


「逃げろ!」


 ライがそう言うより早く、テムとノルドは獲物を放り投げたまま、二人を睨むエーリチェからも離れるように、及び腰のまま逃げる。あとは。腕に食い込む獣の爪の痛みをこらえながら、ライは目の前の獣を、エーリチェから遠ざけるように前へ押した。その時。


「すまなかったな、獣の王よ」


 ライの横に現れたエーリチェが、白い獣に頭を下げる。


「この国の掟を知らない他国の者とはいえ、あの者達が、生きる為以上に命を奪ってしまったこと、北の国の女王が謝ろう」


 エーリチェの言葉に納得したのか、不意に、白い獣はライから身を離す。次の瞬間、獣も、テム達が置き去りにした鴨達も、きれいさっぱり消えていた。


「良かったな、ライ」


 エーリチェの言葉に、こくんと頷いて元の姿に戻る。次の瞬間。目眩とともに、ライの全身を暗闇が、覆った。

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