二の輪 3

 次の日。


 雨が止んだのを見計らい、ライは薬草が生えていると本に書いてあった場所へと足を運んだ。


 大陸を西から東へ流れる二つの河、大河ルダルとミナ河の合流地点に、皇都はある。その二つの河に挟まれた大地、皇都の皇城の裏側部分に広がるのは、荒れ地。皇城内の図書室や近衛騎士の詰所から毎日眺めてはいたが、改めてその場所に立ち、ライは思わず身を震わせた。動くものの気配が、無い。まだ秋の初めだというのに、すっかり枯れてしまった草が、風にそよいでいるだけ。寂しく、物悲しい。心が締め付けられるように感じ、ライは大股で、荒れ地の向こうに見える、これもまた幾分灰色っぽくみえる森の方へと歩を進めた。


 草を分けるように荒れ地を歩いても、鳥一羽、獣一匹見当たらない。河からの靄の所為か虚ろに見える森のすぐ側まで辿り着き、辺りを見回しても、鳥も獣も、虫でさえも、ライの視界には入ってこなかった。こんな場所に、役に立つ草が生えているというのだろうか。不気味さが、ライの背を震わせる。しかし確かめてみることは、必要。ライは一人頷くと、意を決して灰色の森に足を踏み入れた。


 と。動くものの気配が無かったはずの、ねじくれた木の根の間で、濃い影が動く。思わずあっと叫ぶ前に、ライの目の前に小さな影が現れた。


「これは珍しい。大きな人間だ」


 小柄なライの半分ほどしかない、しかしきちんと人間の姿形をした者が、ライを見上げて髭を震わせる。


「何か食べ物をくれぬか? 何も入っていないパンか、果物を」


「あ、はあ」


 小さな人間にこくんと頷き、背負っていた布鞄を下ろす。持って行くようイーディケ伯母から言われた大きなパンを一つそのまま小さな人間に手渡すと、小さな人間は髭の端を上げた。


「一つ丸々もらってもよろしいのか?」


「ええ」


 布鞄にはまだチーズとミートパイ、そして今年収穫されたばかりの林檎が入っている。探索後の昼御飯には十分足りる。


「そのナイフで半分にした方が良いのでは」


「大丈夫です」


 ライが腰に差している銀色の短剣を見やった、小さな人間の言葉に、ライは静かに笑った。この銀の短剣は、ライの出身地である最南伯領の大人達は皆身に着ける、ライにとってはお守りのようなもの。刃は一応付いているが、ライ自身、鞘から抜いたことも使ったこともない。ある意味、飾りのようなもの。


「そうか」


 そう言って、しかし小さな人間は、パンを手にしたまま、ライをじっと見詰める。


「おまえ、ヴィントの息子だな。姿形だけでなく、匂いも同じだ」


 そして。次に聞こえてきた言葉に、ライは驚いて口を開いた。


「父を、知っているのですか」


「知らいでか」


 ライの言葉に、小さな人間が再び髭を震わせる。


「ヴィントは、薬草を探しによくここに来ていた。ここへ来る度に、俺に、パンや果物をくれた」


 そして。小さな人間は手の中のパンを一口で腹の中に収めると、ライを手招きした。


「こっちへ来い、ヴィントの息子よ」


 その誘いのままに、小さな人間の後をついて森の中を歩く。遠くから見た時の印象そのままに、森の中も、視界が悪く、どことなく暗い雰囲気が漂っていた。足下も、悪い。何度か木の根に躓きそうになり、その度にライは顔をしかめた。


 と。不意に、小さな人間が立ち止まる。その小さな影の向こうに見えた、木々の間の小さな空き地に転がっていたものに、ライはもう少しで悲鳴を上げそうになった。


「な……」


 空き地に転がっていたのは、頭蓋骨。しかも一つではない。見えただけでも四つ、下草の間に無造作に転がっている。


「卑怯者達の末路だ」


 口を押さえたライの耳に、あくまで静かな声が響く。


「この者達は、レクトを暗殺しようとし、主君を守って戦ったヴィントをなぶり殺そうとした」


 次に聞こえてきた言葉に、ライの思考は真っ白になった。まさか、父は、ここで、……殺されたのか。


「ま、卑怯者達は皆、ヴィントに殺されてしまったがな」


 しかしながら。次に響いた、小さな人間の事も無げな言葉に、ほっと息を吐く。やはり、父は、強い。だが。


「でもあいつらは、ヴィントの右腕を斬り落とした」


 続いて響いた言葉に、身体が動かなくなる。


 利き腕を斬り落とされてもなお、ヴィントは幻獣と化して迫り来る敵を皆殺しにし、そして怪我をして意識を失ったレクトを皇都へと運んだ。しかし、幻獣の姿で皇都へと飛ぶ途中で力尽き、墜落した皇都裏手の墓地で、ヴィントは息を引き取ったという。小さな人間が発する、沈んだ言葉に、ライは頷くことしかできなかった。


「皇王レクトは、卑怯者達を葬ることを禁じた」


 そのライの耳に、更なる言葉が響く。


「ヴィントの剣と右腕も探しに来たが、右腕だけは、見つけることができなかった」


 そして。再びの手招きに、ライは俯いたまま、小さな影に従った。


 しばらく、無言のまま、暗い森を歩く。不意に目に入ってきた一条の光に、ライは思わず目を瞬かせた。


「レクトは見つけられなかったが、俺は見つけた」


 木々が疎らになった場所の、それでも少し暗い大樹の根元を、小さな人間が指差す。


「そしてここに埋めた」


 春にこの場所を埋め尽くす、紫色の小さな花。その花を好んでいたらしく、ヴィントはしばしば、花が咲いている時もいない時も、この場所に佇んでいた。小さな人間が話す、父の右腕をこの場所に葬った理由に、目頭が熱くなる。ライの母は、自分の持ち物全てに、小さな菫の花を刺繍していた。母が好きだった花を、父はきちんと覚えていたのだ。父は、……母のことを、覚えていたのだ。


 ライの頬を、涙が流れる。我慢していた嗚咽が、冷たい森の空気を震わせた。


「ヴィントの息子に会えて、良かった」


 思い切り泣き、涙を拭ったライの横で、小さな人間が笑う声が聞こえてくる。そして。


「ヴィントは、自分の意志で幻獣になった」


 不意に変化した、静かな声に、はっとして小さな人間の方を見る。小さな人間は、その小さな瞳でライを見詰め、そして目を細めた。


「気をつけろ。古の力を使い、人を幻獣に変える者がいる」

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