二の輪 1

「暑い……」


 脱いだ上着の横に置いておいた手拭いで、全身の汗を拭く。訓練で火照った身体は、しかしすぐに、広場に吹く風で冷めた。


「あっついなぁ」


「ほんと」


 その風を気にしていない声が、隣で響く。顔を上げると、先程まで模擬武器で対戦していたアールとテムが、ライと同じように、近衛騎士の訓練場の片隅に置いた手拭いで汗を拭っていた。


 まだ汚れの目立たない、近衛騎士の濃青の上着を羽織りながら、その二人の様子を見るともなしに見る。アールもテムも、上着の下には白いチュニックを着ている。対してライは、黒のチュニックだ。上着は濃青で同じだが、下に着る服の色は自由なのだろうか? ライ自身は、この皇都でお世話になっているイーディケ伯母から渡されたものをそのまま着ているだけ、なのだが。訓練場を見回すと、近衛騎士が濃青の上着の下に着ているチュニックは、白色が多い。


「……ライ」


 取り留めもなくそんなことを考えながら、訓練場の隅に腰を下ろして休んでいたライの目の前に、アールの敏捷そうな身体が現れる。


「あ、あの、その、怪我の、具合は」


 ライと同じ、黒に近い蒼色の瞳を忙しなく動かしながらのアールの言葉に、ライは吹き出すのを何とか堪えた。


「あ、うん、大丈夫」


 笑顔がぎくしゃくしてしまうのは、やはり、アールが異母弟だから。


「そ、そうか」


 それでも、頷いたライに、アールが安堵の息を吐いたのが、何処か嬉しかった。口を利いて、くれたのも、アール自身が付けた傷とはいえ、ライの怪我のことをアールが心配している、ことも。ライに小さく頷いてから、くるりと背を向けたアールの白い髪に、ライは思わず口の端を上げた。


「結構、強いよな、アールもライも。年下なのに」


 そう言いながら、アールの横に従兄のテムが立つ。


「やっぱり父親が同じだからか」


 あくまで軽い、テムの言葉に、ライはアールから目を逸らす。アールの方は無言で、近衛騎士の詰所である建物の方へ去っていった。


「全く」


 そのライの横の地面に、テムが屈託無く腰を下ろす。


「アールの奴、怪我を気にしてるんなら、ちゃんと謝ればいいのに」


 テムの言葉に、首を横に振る。別に、アールに謝ってほしいわけじゃない。それが、ライの正直な気持ち。ただ、……アールと、もう少し話がしたい。ただ、それだけ。


「……あの」


 沈んだ気分を振り払う為に、もう一度訓練場を見回し、テムに話しかける。


「今日は、前より人、少ないですね」


「ああ」


 ライの問いに、テムもぐるりと訓練場を見回し、そして大きく笑った。


「年上の奴らは殆ど全員、西の方へ幻獣の見物に行ってる」


「幻、獣?」


 続いてテムの口から出た言葉に、ライは耳を疑った。テムの言う『幻獣』とは、曾祖母ペトラが言っていたものと同じもの、なのだろうか? 父ヴィントが、変身していたものと。


「この皇国の初代皇王陛下は、どんな敵でも蹴散らしてしまう幻獣を飼っていたそうだ」


 ペトラから聞いた言葉よりも強い言葉が、耳に響く。


「今でも、皇国に逆らう者は、幻獣が始末してしまうらしい」


 今朝方、西の大公が差配している土地にその『幻獣』が現れ、西の大公の屋敷を破壊したらしい。皇国を助けるという幻獣は、しかしながら、ここ数十年の間、人々の前に現れることはなかった。だから珍しいと思ったのだろう、幻獣の噂を聞いた若い近衛騎士達は、幻獣とその破壊の跡を見ようと、皇王の許可を得た上で大挙して西に旅立ったらしい。テムの説明に、ライは肩を竦めた。幻獣のことを知ることも重要だとは思うが、その為に、近衛騎士の本分である皇王陛下やその周辺の警備と、その力を付ける為の訓練を疎かにするとは。最南伯領主である祖父ザインが聞いたら頭から湯気を出して怒るだろう。


「若い騎士で残ってるのは、うちの頭固い兄くらいさ」


 あくまで軽い、テムの声が、ライの耳を素通りする。その時。


「うーん、ライ、で、良いか」


 テムが口にしていた、当の本人、もう一人の従兄であるオストが、ライを手招きしているのが見えた。


「休憩しているところ悪いが、この者達の訓練を手伝ってくれ」


 オストの周りには、大柄なオストの半分くらいしかない、それでも頑丈そうな練習用の鎧に身を包んだ少年達がいる。おそらくアールより年下の、まだ正式に近衛騎士に任命されていない見習いの少年達だろう。ライは身軽に立ち上がると、尻と足に付いた土埃を払った。


「あの丸い甲の奴にだけは、手加減しとけよ」


 そのライの耳に、軽いテムの声が響く。テムのその忠告によく分からないながらも頷くと、ライは上着を脱ぎ、しかし鎧は身に着けずに模擬武器を手にした。鎧は、身を守る。しかし俊敏な動きを妨げる。ライに武術を厳しく仕込んでくれた伯父ルフの言う通り、鎧を身に着けてそれでも俊敏に戦うことができる体力をつけないと。そう思いながら、ライは、次々と向かってくる幼い攻撃を悉く躱し続けた。


 と。テムの言っていた、丸い甲を被った影が、ライの前に立つ。隙が多い。真っ直ぐにライに向かってきた攻撃を一息で躱すと、ライは半ば無意識に、隙だらけの背中に模擬武器を叩き込んだ。


「ノルド様!」


 ライの攻撃で尻餅をついてしまった少年に駆け寄るオストの声に、はっと我に返る。


〈……様?〉


 謹厳な近衛騎士オストが、敬称を付ける相手は、おそらく。


 打たれた背中が痛いのか、泣きながら甲を脱ぐ少年と、その少年を慰めるオストを、呆然と見詰める。


「あーあ、第一皇子を泣かせちゃって」


 背後から聞こえてきたテムの声の通り、甲の下にあった少年の顔形は、皇王レクトにそっくりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る