10.二人の画策
フローリアンとツェツィーリアの正式な婚約が発表された。
よほどのことがない限り、これでツェツィーリアとの結婚は確定となる。
公務で出かけるたびにおめでとうごさいますと言われ、その度に嬉しそうな顔をしなければいけないのが苦痛だった。
ツェツィーリアはというと、イグナーツのことはなにも思っていなかったかのように過ごしている。けれど、ふとした時に出る憂いの表情でわかっていた。ツェツィーリアがイグナーツへの想いを断ち切れていないことは。
当然だよね……僕だって、成就することのない恋だとわかっていても、簡単には断ち切れない……。
いつも隣を歩くラルスに微笑まれるたびに胸が鳴く。
近くにいられる分、苦しくもあるのだが幸せなのだろうなと思った。ツェツィーリアはもう、イグナーツとはほとんど会うこともできないのだから。
「どうにか、ならないのかな……」
「なにがですか?」
勉強の手を止めて、自室で一人呟いた言葉に返事が返ってきた。ラルスだ。
「ねぇ、ラルス。男の気持ちを教えてほしいんだけど」
「王子も男じゃないですか。なんです?」
突っ込みながらも素直なラルスに、フローリアンは目を向けた。
「好きな人に婚約者ができた時、男の人って簡単諦められるものかな」
「それって、イグナーツ様のことですよね」
「うん……イグナーツはもう、ツェツィーリアのことを忘れちゃったかな」
「……諦めていないですよ、イグナーツ様は」
「え?」
断定的な発言に、フローリアンはラルスを見上げた。
「どうして言い切れる?」
「すみません、迷ったんですが……実は俺、イグナーツ様にお会いしてきました」
「えええ、いつ!」
「王子とツェツィーリア様のご婚約が成立した、次の日です」
「ちょ、なにしに!?」
「石を渡しにです」
「……石?」
石といわれて思い浮かぶのは、深い海の色をしたアパタイト。
ツェツィーリアに処分をしてと言われて、ラルスが持っていたはずだ。
「どうしてアパタイトをイグナーツに返しに?」
「王子はご存じないでしょうけど……婚約発表がされてすぐ、イグナーツ様が来ていたんですよ」
「来て……この城に?」
「そうです」
婚約発表がされた日は忙しくて、イグナーツが来ていたことも知らなかった。
「……僕に会いに?」
「いえ、陛下に直訴したかったようです」
「兄さまに直訴って……それは通らなかっただろう」
「そうですね、アポもなかったですし、門前払い状態で家族に引きずられるようにして帰っていったそうです」
「直訴って、やっぱりツェツィーのことだよね……」
フローリアンが確認のために聞くと、ラルスはコクリと頷いた。
イグナーツは侯爵家の者だ。アポイントメントがないと王に会うことも叶わないのはわかっているだろうし、そもそも婚約を取り消すように直訴するなど前代未聞だ。
王の不興を買えば、家ごと取り潰しになっても仕方ない事案である。もしフローリアンが門番でもそんな理由では絶対に入れたりはしないし、家族だったなら必死で引き留めるだろう。
イグナーツは冷静な紳士のようなイメージがあったが、思いのほか熱く、無茶をする男だったらしい。しかしそんな行動に出るということは、つまり。
「そんなにも、ツェツィーのことが好きだったんだ……」
やはりイグナーツとツェツィーリアは相思相愛だったのだと知って、激しく胸が痛んだ。
「俺、その話を聞いて、勝手だとは思ったんですがイグナーツ様に会いに行ったんですよ」
「……アパタイトを返しに?」
「はい。ちゃんと事情を知った方が、あんな無茶をせずにすむと思ったんで」
「それで……会えたんだよね? なんて言ったの?」
ラルスはその時のことを詳しく教えてくれた。
イグナーツは憔悴しているかと思いきや、どちらかと言うと静かに怒りを発していたらしい。
ラルスと会い、フローリアンの護衛騎士だとわかるやいなや、どうしてツェツィーリアなのかと詰め寄られたという。
「フローリアン様と結婚することはないと、ツェツィーリア様は彼に伝えていたようです。その……」
「なに?」
ラルスが言い淀むので、フローリアンは続きを促した。しかしラルスは言いにくそうに言葉を噤んでいる。それだけ言い出しにくい内容というのは限られているので、代わりにフローリアンが口に出した。
「わかった。きっとツェツィーリアは、僕に対して恋愛感情はないと言ったんだろう」
「……はい」
それはそうだろう。ツェツィーリアがフローリアンに抱いているのは友情だ。お互いに大好きではあるけれども、恋愛感情はひとつもない。
まったく気にすることではないのだが、なぜかラルスは申し訳なさそうにしている。
「いいよ、わかっているから。ツェツィーが僕にそんな感情を持ってないことくらいは。で、イグナーツはなんだって?」
「……殿下への愛がないということは、きっと殿下がツェツィーリア様の意思を無視して婚約を迫ったんだろうと言われました」
「その通りだね。王族からの打診なんて、そもそも断れない案件なんだ。ツェツィーリアはいやいや僕の婚約者になるしかなかった。イグナーツの認識は正しいよ」
坦々と事実を語るも、ラルスははどこか納得いかないように顔を歪めている。
「……俺、王子が何を考えてるか、やっぱりわからないんですけど」
「わからなくていい。それより、それからどうしたの?」
女だと言えないのだからわかってもらえるなんて思っていない。さっさと先を促すと、ラルスはひとつ息を吐いた後で話し始めた。
「俺はイグナーツ様に、この婚約を取りやめてほしいと涙ながらに訴えられました。かなり冷静にはなっていたようで、もう陛下に直訴しようというつもりはないようでしたが」
そんな風に言われたラルスも困ったことだろう。ラルスにはなんの権限もなく、どうしようもないことなのだから。
「それで俺は、あの日のアパタイトを出して見せたんです。これがツェツィーリア様のご意思ではないか、と」
あのひび割れたアパタイトを見たイグナーツは、どう思っただろうか。その場面を想像するだけで、胸が痛む。
「……イグナーツは?」
「しばらく放心状態でしたね。贈ったはずのプレゼントが、ツェツィーリア様自身の意思で処分を希望されたと聞いて、かなりショックを受けてました。それで諦めがついて気持ちを切り替えるきっかけになればと思ったんですけど」
「諦めて……ない?」
「あの顔は、諦めている者のそれではありませんでしたよ」
具体的な言葉はなかったのだろうが、人の機微に聡いラルスがそう言っているのだ。まず諦めていないと思って間違いない。
「すみませんでした、王子。勝手な真似をして」
「……いや、いいよ。よくやってくれた」
「え?」
間抜けな声を上げるラルスを横目に、フローリアンは考えを巡らせた。
婚約破棄などはそうそうできるものではないし、まず不可能だ。けれど、可能性はゼロじゃない。もし何かの折りに婚約を破棄することができたなら、そのときにこそツェツィーリアはイグナーツと一緒になることができる。
「ラルス」
「はい」
「ツェツィーとイグナーツの仲を、取り持って欲しい。誰にも内緒で」
「……は?」
「頼むよ」
そうお願いすると、ラルスは世にも不可解なものを見たように顔を歪めた。
「王子……気でも触れたんです?」
「大丈夫、正気だよ」
「王子の婚約者とその好きな人を取り持つとか、やばいですよね」
「だめだね。だから内緒でと頼んでる」
「だいたい、どうしてそんなことをする必要があるんですか。イグナーツ様には申し訳ないけど諦めてもらって、ツェツィーリア様の心を王子に向けるようにした方がよっぽど……」
「ツェツィーリアの心が僕に向くことはないんだよ。それに考えてもごらん。僕の好きな人はずっとそばにいてくれるのに、ツェツィーはもう会えないだなんて可哀想だろう?」
「それは……そうですが……」
肯定しつつも、やはりラルスは納得がいってない様子だ。
「僕は、ツェツィーが笑ってくれさえいれば、それでいいんだよ」
「そんなの……王子の気持ちはどうなるんですか!」
王子としてのフローリアンを考えてくれる、ラルスの真剣な顔。騙していて申し訳ない気持ちと、思われて嬉しい気持ちが混在する。
「ありがとう、ラルス。僕は大丈夫。僕がこうしたいんだ。そしてそれを頼めるのは、気持ちをわかってくれるラルスしかいないと思ってる」
真剣に真剣で返すと、ラルスは少し息を止めたあと、はぁっと吐き出した。
「ずるいですよ、王子。そんな風に言われたら断れないじゃないですか」
「すまない。感謝するよ。ああ、イグナーツには僕からの指示だとは言わないようにね。できれば僕の護衛騎士だということも隠して行動して欲しい」
「無茶いうなぁ、王子は!」
「だめ?」
やはり無理だろうかと身を縮めながら、目だけでラルスを見上げる。
するとラルスは一瞬、ハッとしたように固まってフローリアンを見つめていた。
「……ラルス? どうしたんだ?」
「……あ。いえ、なんでもありません」
「胸を押さえて、どこか痛いのか?」
「違いますよ、大丈夫です。イグナーツ様の件は任せてください。どうにかしますから」
「ホント!? 頼りにしてるよ、ラルス!」
フローリアンが飛び上がって喜ぶと、なぜかラルスは複雑な顔で笑っていた。
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