11.現実

 ツェツィーリアが、フローリアンの婚約者として城に移ってきた。

 王位継承権第一位の婚約者は、城で王妃教育を受けなければならないことになっている。

 結婚はまだ先の話だが、同じ城の中で暮らすこととなるのだ。ツェツィーリアの通っていた貴族専用の学校はこの時より行く必要はなくなった。つまり、イグナーツと会える機会がなくなったということでもある。


 フローリアンとツェツィーリアはお互いの休憩時間を合わせて二人の時間を作るのだが、この日はラルスも輪の中にいた。

 フローリアンがイグナーツとツェツィーリアの仲を取り持つと説明すると、ツェツィーリアは目を見張ってその愛らしい唇を開いた。


「フローリアン様、それ……本気ですの?」

「本気だよ。ツェツィーはイグナーツと会ってくればいい」

「しかし、それは……」

「音楽祭を観に行きたいと言っていたよね」

「それは、言いましたが……」

「イグナーツが出ているからだろう?」


 ツェツィーリアは一言だってイグナーツの名前を出してはいなかった。けれど、どんなに忘れようと思ったところで簡単に忘れられないものだということはわかる。


「申し訳、ございません……」

「なにを謝っているんだよ。僕だけ好きな人に毎日会えるのはずるいだろう? ツェツィーにだって会う権利はある。そりゃ堂々とは会えないし、遠くから見るだけになると思うけど……」

「ですがフロー様。これは許されることではございませんわ。音楽祭に行きたいと言ってしまった私が言える立場ではないことはわかっているのですが、フロー様に対する裏切りととられてもしかたありません」

「僕がいいと言っているんだから、いいんだよ」

「フロー様……」


 かわいらしい顔が少し歪んだのを見て、フローリアンはツェツィーリアの背中をそっと押した。


「ほら、行っておいで。間に合わなくなるよ。ラルスを護衛につけるから」

「ですが……っ」

「いいから。ラルス、よろしく頼むよ」

「任せてください」


 二人に変装の道具を持たせて追い出すと、フローリアンはほっと息を吐いた。

 今はまだ、この程度しかできない。これ以上のことをして誰かの目につけば、その時点でツェツィーリアが非難のまととなってしまう。

 それを理由に婚約破棄ができるかもしれないが、ツェツィーリアに汚名を着せるのは本意ではないし、家のことを考えるとツェツィーリアも嫌がるだろう。


「なにか、いい案が出るといいんだけどな……」


 ハッと息を吐くと代わりの護衛騎士がやってきて、休憩時間は終わりですと勉強を促された。

 後ろで監視する護衛がラルスでないことを残念に感じながら、フローリアンはペンを走らせる。

 ツェツィーリアが少しでも、楽しんでくれていればいいなと思いながら。



 ***



 ツェツィーリアと婚約して、七年が過ぎた。

 フローリアンは二十二歳となっていたが、まだ結婚はしていない。

 なんだかんだと言い訳をして引き伸ばしているのだ。もうさすがに周りの圧力が厳しくなってきたが。

 いつまでも逃げられないとはわかってはいる。しかし打開策が見つかろうはずもなく、日々を過ごしてしまっているだけだ。


 ラルスは、今もフローリアンの護衛騎士をしてくれている。いつもは二、三年で交代させているので、ラルスは今までで最長の護衛騎士となっていた。


「王子、陛下から重要な話があるということで、今すぐ先王の部屋に来て欲しいそうです」


 二十歳の頃よりもキビキビとして男らしくなったラルスがそう言った。いつか彼のことを諦められるだろうと思いながら、気持ちは変わらず続いている。

 ラルスは現在二十七歳。まだ結婚はしていない。

 父親の部屋への呼び出しということは、家族全員が聞かなければいけないということだ。先代の王ラウレンツは現在、体調がすぐれず部屋で寝たきりなのである。

 結婚の催促なら、わざわざ家族ですることもないはずだ。なんだか嫌な予感がしながらも部屋に入ると、すでに父、母、兄が揃っていた。


「兄さま、どうなさったのですか? 大事な話とは……」


 フローリアンが兄に目を向けると、ディートフリートはにっこり笑った後、両親の方に顔を向けた。


「私の元婚約者であるユリアーナが、国境沿いのエルベスという町で見つかりました」


 元婚約者、ユリアーナ。

 フローリアンも名前だけは聞いたことがある。確か、彼女の父親が不正を働いたために婚約破棄となり、王都を追放された元侯爵令嬢だと。


「ユリアーナが……? 元気にしていたの?!」


 エルネスティーネが歓喜の声をあげていて、フローリアンは呆然とした。

 どうしてそんな犯罪者の娘を気にしているのか、理解ができない。


「うん、元気だったよ」

「そう……良かったわ……」


 この二十年間、気丈に振る舞っていたエルネスティーネが鼻を鳴らした。涙こそ見せていないものの、フローリアンの胸にズンとなにかがのしかかる。


「ディート……まさか、ユリアーナを王妃に迎えたいと言うのではないだろうな……」


 ラウレンツの言葉にフローリアンは目を見開いた。

 先ほどから展開についていけないが、もしユリアーナという女性が王妃となるなら、フローリアンとツェツィーリアはお役御免になるはずだ。やった、と心で叫んだその瞬間。


「いいえ。私は王位をフローに譲って王族を離脱し、一般人としてユリアを娶りたいと思っています」


 予想外の言葉がフローリアンに降り注がれた。


「はぁあああ?! 兄さま?!」


 冗談じゃない、という言葉をかろうじて飲み込み、フローリアンは叫んだ。

 だというのに母は『やっぱり』と言いたげな顔をし、父はベッドの上でクックと笑い始める。


「な、何を笑っていらっしゃるのですか、父さま! 兄さまを止めてください!」


 フローリアンの言葉を聞いても、父の笑い声は止まらなかった。


「ははは、いつかそう言うのだろうとは思っていたがな。お前が弟を作れと言った時から、覚悟はしていたよ」

「ふふ、そうですね」


 ついていけない。どうしてこんなことになっているのか、まったく理解できない。

 そして、今すぐにでも王族を離脱したいという兄に、父は言葉を放った。


「お前の気持ちはよくわかった。だが王族を離脱するのは、次の王になるものを説得してからにせよ。わしからはそれだけだ」


 実質の先王からの承諾。ディートフリートの視線はフローリアンに移された。


「フロー」

「待ってください、兄さま! 僕はまだ二十二歳ですよ?! まだまだ、王の器ではありません!」


 フローリアンは必死になってそう言い訳した。

 結婚はともかく、王になるのはまだまだだと思っていたのだ。急に言われて決心がつくわけもない。


「フロー、頼むよ……お前しか、王になる者はいないんだ」

「無理です! 僕は若輩者で、まだ力も人脈も勉強も足りない! 兄さまのような国家政策ができようはずもないではないですか!」

「大丈夫。フローなら、私以上に素晴らしい国を作ってくれる」

「無茶を言わないでください……っいきなり言われて、はいそうですかと気軽に受け入れられる案件ではありませんよ!」

「私は昔から、王になる自覚を持つよう伝えていたつもりだけどな」

「それがこんなに早くなるとは聞いていないです……っ」


 青天の霹靂もいいところだ。

 兄のディートフリートは、四十歳ですでに賢王と呼ばれるほどの手腕を持っている。まだまだこれから六十歳でも、なんなら七十歳まででも王に君臨できる器であるというのに。


 どうして僕が王になんか……!

 僕は、女なのに……!


 怒りと悲しみが入り混じり、目からじわりと涙が滲んでくる。


「とにかく、僕はまだ王になんてなりませんから!!」

「あ、フロー!」


 兄の止める言葉も聞かず、フローリアンはその場を後にした。

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