09.八つ当たり
ベッドに倒れ込んだまま、フローリアンは女である自分を呪い続けた。
少しするとエルネスティーネがやって来て、婚約者同士となる契約はつつがなく終わったと教えてくれた。
この国では派手な婚約の儀などない。一枚の紙に両家の保護者がサインするだけで終わる。女や子どもの気持ちなど、全く鑑みないやり方で。それでも兄は、フローリアンの気持ちを慮ってくれた方だろう。
エルネスティーネが出て行ってからも伏せていると、今度はラルスが入ってきた。
重い頭を持ち上げて、なんとか開けた目でラルスを見る。
「王子、ひどい顔ですよ……」
「……ツェツィーは」
「先程出て来まして、ノイベルト伯爵とお帰りになりました」
「……そう」
「なにがあったんですか」
泣き過ぎたせいか、頭が痛い。
なにがあったかなんて、話したくもないし話せるわけもなかった。
ラルスは不可解な顔をしながらも近寄って来る。握りしめられていたラルスの手が、フローリアンの目の前で開かれた。
「これは……」
ラルスの手の中で、悲しく光るアパタイト。
無事な石も多かったが、いくつかは傷つき、ひび割れてしまっているものもある。
「ツェツィーリア様が出て来た時、処分しておいて欲しいと渡されました」
「しょ、ぶん……」
「これは、殿下が贈ったものじゃなかったんですか?」
「違うよ。イグナーツだ」
「イグナーツ…… ウルリヒ侯爵令息の、イグナーツ様?」
頷くと、やはり理解できないといった様子で手の中のアパタイトを見ている。
「殿下は、ツェツィーリア様と婚約したと聞きましたが」
「そうだよ。だからツェツィーは、それを捨てたんだ」
「……殿下のことが好きだから、ですよね」
「違う! イグナーツのことが好きだからだよ!」
言葉にしてしまってからハッとしたが、すでに心は捨て鉢状態で自制が効かなかった。
ラルスは驚いたように目を丸めている。
「え? でもツェツィーリア様は殿下のことを」
「ツェツィーは僕のことなんか好きじゃないんだよ! むしろ、今日嫌われたに決まってる! 僕が彼女を、イグナーツから無理矢理に奪ったんだから……っ!!」
「王子……」
「僕だって……僕だって、こんなことしたくなかったんだよ……ツェツィーには、好きな人と幸せになってもらいたかった……だけど……っ」
止まっていたはずの涙が、また押し寄せてくる。
「僕には……ツェツィーしか、いない……ツェツィー以外の人は、だめだから……っ」
「王子……そんなにツェツィーリア様のことが……」
アパタイトを持っていない方の手で、そっと頭を撫でられる。
ひっくと情けないしゃくり声とともに顔を上げる。思ったより近くにラルスの顔があって、どきりと心臓が鳴った。
「大丈夫ですよ、王子。今はお二人ともつらいかもしれませんが、王子の思う気持ちは本物ですから。いつかちゃんと、ツェツィーリア様にも伝わって、素敵な夫婦になれますよ」
そう言ってなんの憂いもなく笑うラルスが憎らしい。
確かにラルスの言う通りになったかもしれない。フローリアンが男だったならば。
「無理だよ……なれるわけない」
「どうしてそう思うんですか」
女だから、とぶちまけそうになる。そして好きなのはラルスなんだと訴えそうになる。
「ラルスにはわからないよ、僕の気持ちなんて!」
「わかりませんよ、言ってくれなきゃあ! だから、教えてください!」
「そんなに僕の気持ちが知りたいなら、付き合ってる恋人と別れておいでよ! そしたらちょっとくらいは僕の気持ちが理解できると思うよ!」
己の口走った言葉にハッとしてラルスを見上げる。すると彼はひどく真面目な顔をして黙っていた。
そしてフローリアンもまた言葉を紡ぐことができずに、息を往復させるだけ。
しばらく時が止まったかのように互いを見つめていると、ラルスの方が先に口を開いた。
「お茶でも飲みますか?」
「……え?」
予想外の言葉にフローリアンは声を詰まらせる。ラルスは困ったように、それでも口元には笑みを讃えてフローリアンの頭を無遠慮に擦った。
「ちょっとは落ち着いたみたいなんで」
「……うん」
「じゃあちょっと淹れてきます」
ラルスが出ていくと、フローリアンは重い体を上げた。
怒りに任せてなんということを言ってしまったのか。自分勝手にも程がある。
「謝らないと……」
紅茶を淹れて戻ってきたラルスに、紅茶のカップを渡された。ベッドの上から動けないでいるフローリアンは、その場で紅茶を喉の奥に流した。
「……ごめん、ラルス……つい」
「いいんですよ。誰だってそんな時はあります!」
にっと笑うラルスはまったく気にした様子もなく、いつもの彼そのものだ。
「ラルスは今、幸せかい?」
カップを降ろしながら、フローリアンはそんなことを聞いてみた。
もしラルスが幸せだと答えたなら、この気持ちは封印して終わらせるべきだと思って。
大事なツェツィーリアの幸せを奪ってしまったことへの贖罪にすらならないが、ラルスを諦めるいいきっかけにはなる。
答えを求めて彼の顔を見上げると、ラルスは眉間に力を入れていた。
「幸せじゃあないですよ」
「……え?」
予想外のラルスの返答に、フローリアンは顔を顰めてしまった。
「どう、して……」
「そんなにつらそうで苦しそうで……王子がそんな状態なのに、俺は幸せだなんて言えないです」
「僕のことなんて放っておいてかまわないよ」
「そんなこと、できるわけないですよ! もう王子は俺の生活の一部だし! 王子が悲しいと俺も悲しいです!」
思いがけず熱い言葉を掛けられて、フローリアンの目尻に涙が溜まる。そんな風に言われて喜ばない女子は、きっといない。
「王子……」
「嬉しいこと、言ってくれるなよ……ばか」
ぐしっと涙を拭くと、柔らかいラルスの笑みが飛び込んできた。
やっぱり、好きだ……。
諦めるなんて、できない。
悲鳴をあげるように胸がきゅんとなり、顔が勝手に熱くなる。
「俺は、王子の味方ですから。覚えておいてください」
にっこりと笑っていつものように頭を撫でてくれるラルスに、フローリアンは気持ちを知られないようにぎゅっと唇を噛み締めながら「うん」と頷いたのだった。
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