05.認めてしまえば

 舞踏会の日、フローリアンは重い体を引き摺るようにして姿見の前に立った。

 フローリアンは、女にしては身長が高い方だ。

 一般的な身長の女性がヒールを履いても、まだそれよりは高い。男としては低めだが、取り立てて気にならない程度である。

 当然、ダンスは男性パートを踊る。結構密着するので、バレないように胸を押しつぶしてから服を着替えた。

 燕尾服にホワイトタイは、己のかっこ良さに笑ってしまうくらいに似合っている。ひらひらと揺れるドレスや優雅に舞うダンスなどとは無縁の姿。

 本来なら──という言葉が脳裏によぎったところで、フローリアンはそれを振り払った。


「どうしたんですか、王子殿下。せっかくの舞踏会なのに、冴えない顔して」


 舞踏会場に行くまでの馬車の中で、ラルスが不思議そうにフローリアンを覗き込んでくる。

 本日の舞踏会場は王城ではないので、出向く形だ。外を見ると、夕日が沈んでいくところだった。

 夕闇の街はきれいだが、ワクワクとした期待感など微塵も湧いてこない。


「僕は、女性と踊るのが苦手なんだよ」

「えー、なんで!! 殿下なら、選びたい放題でウハウハじゃないですか!」

「まったく、ラルスに代わってあげたいよ」

「いやー、彼女に怒られるんで、やめときます」

「……え?」


 唐突に出てきた『彼女』というフレーズに、フローリアンは目を剥いたままポカンとラルスを見上げる。


「か、のじょ……いたのか?」

「いますよー、まだ付き合いたてですけど」


 ラルスの嬉しそうな顔。

 確かにラルスは顔もいいし優しいし面白いし、まだ二十歳の健康な男性だ。彼女ができても、なんら不思議はない。

 なのに、なぜだかフローリアンの頭に、殴られたような衝撃が走った。


「そ、か……知らなかったよ……」

「あ、こういうのって報告した方が良かったんですかね」

「いや、どっちでもいいんだけど……そうだね、知っておいた方が、融通を利かせてあげられるかもしれない……」

「じゃー何か進展があったときには、殿下にすぐ報告しますね!」

「うん……」


 かろうじて、笑えていただろうか。でもすぐに嘘の笑顔だと見破ってしまうラルスだ。

 フローリアンは外に目を移し、闇に飲み込まれていく街を見続けた。


 馬車の中で綻び始めた胸の内は、舞踏会場に着いても変わらずに疼き続ける。

 舞踏会が始まっても、多くの令嬢がフローリアンに詰めかけてきても、まったく踊ろうという気は起きなかった。

 王子として、この振る舞いはダメだと頭ではわかっていても、心が追いついてくれない。


「どうしたんです、王子。気分でも悪いんですか?」


 人が少なくなったのを見計らって、ラルスが声をかけてくれた。しかしフローリアン自身、どうしてこんなにつらく体が動かないのか、よくわからない。


「ごめん、もうちょっとすれば……多分、大丈夫だと思うよ」

「人に酔ったのでは? ウルリヒ卿にお願いして、別室を用意してもらいましょうか」

「大丈夫……これは僕の仕事だから」

「けど」

「大丈夫だって言ってるだろ!」


 思わず声を荒げると、周囲にいた人たちが驚いたようにこちらを見ていた。

 どうしてこんな言葉を、こんな人の多い場所で使ってしまったのか。しまった、と思うも口に出してしまった言葉は取り消せず、冷や汗が流れる。


「申し訳ございません。余計なことを申しました」


 するとラルスは自分のせいであることを主張するかのように、即座に恭しく頭を垂れた。

 これで従者の失態だったと印象付けられただろう。申し訳なく思ったが、今は立場上謝ることはできない。

 しかし、顔を上げたラルスが酷く傷ついていたのを見て、ハッと気づく。

 彼は周りに印象付けるために謝ったのではない。心の底から詫びてくれていたのだ。ズキンと音がなって胸の奥が苦しくなる。


 どうしてこの男はこうなのだろうか。


 真っ直ぐで。


 朗らかで。


 不器用で。


 すぐ怒って、笑って、落ち込んではまた笑っている。


 優しくて、自分のことを弟のように思ってくれていて。



 そこまで考えると、さらに胸が重くなった。

 ラルスは、フローリアンが本当は女だということを知らない。

 だからだろうか、こんなに胸が苦しくなるのは。

 弟としか思われないから悲しいのだろうか。

 彼女を作っていたことが悔しいのだろうか。


 ピンッと背筋を伸ばして、一歩下がったところに控えてくれているラルス。

 視線が交差すると、いつものように微笑みを見せてくれる。


 胸が、痛い。


 弟にしか思われていないことが、ラルスに恋人がいることが、こんなにも苦しい。


 唐突に、好きだったのかと思った。


 認めてしまえば、びっくりするほどすとんと胸に落ちていく。


 ラルスといると楽しくて、まずい紅茶の時間ですら嬉しくて、頭を撫でられるとなんだか胸の中から言いようのない感情が溢れてきたことも。

 全ては『すきだったから』の一言で説明がつく。

 そして、今のつらく悲しい気持ちも。


 フローリアンは、フロアで踊っている一組の男女を見つめた。

 ツェツィーリアと、イグナーツだ。

 頬を染めて踊るツェツィーリアは愛らしい。楽しそうに踊るイグナーツは、心底嬉しそうだ。

 今は二曲目。連続でイグナーツと踊っているツェツィーリアは、約束など忘れてしまっているかもしれないなと思った。

 だがそれでも構わない。好きな人と踊れるというのは、とても幸せなものなのだろうから。


 チラリと後ろを見ると、ラルスが小首を傾げた。


「どうしましたか、王子殿下」

「……いや」


 ラルスが踊る相手は、自分ではなく、今付き合っている恋人とだろう。

 何を馬鹿な夢を見ているのかと、フローリアンは一人、自嘲した。

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