03.王妃の決意

 王子として育てることとなった娘フローリアンを、エルネスティーネはかわいがりながらも厳しく育てた。

 誰の手も借りずにすむよう、着替えと風呂とトイレは早いうちに習得させた。

 誰であろうとも、絶対に人前で肌を晒してはならないと言い聞かせ、そして女であることを誰にも悟られてはいけないと言い続けた。

 どうして、とフローリアンがエルネスティーネに訊ねることはなかった。それが当然のように受け入れてくれていた。もしかしたら、なんとなく理由を察知していたのかもしれない。まだ五歳のフローリアンだったが、優しく聡い子に育っているとエルネスティーネは思っている。


「フロー。今日はお人形を持ってきてあげましたよ」


 フローリアンの部屋から人を追い出して二人っきりになると、エルネスティーネは女の子の人形を出して見せた。


「わぁ! おかあさま、ありがとうございます!」


 半ズボンにサスペンダーをつけたフローリアンは、昔のディートフリートそっくりだ。今はまだ、女だと気付かれないに違いない。

 フローリアンは人形のドレスをうっとりと見つめながら、一人でおままごとを始めた。


「これはこれはかわいいおじょうさん、ぼくといっしょにあそびませんか? まぁうれしいわ! なにをしてあそびましょう」


 おままごとの中ですら、フローリアンが男を演じていることに胸を痛める。

 このままではいけません、と言ったのは女医のバルバラだった。だから今日は、秘密の共有者を増やす予定だ。


 コンコンとノックが鳴った。バルバラとその孫娘のツェツィーリアが来たことを伝えられて、エルネスティーネは入室を促す。

 フローリアンが慌てて人形遊びをやめて隠そうとしたが、いいのよと微笑むと不思議そうな顔をしていた。


「フローリアン。今日から秘密の共有者が一人増えるのよ。あなたと同じ年のツェツィーリア。彼女の前では女の子として振る舞っても、構わないわ」


 そういうと、フローリアンは目をキラキラさせて、人形よりも可愛らしいツェツィーリアを見つめている。


「わあ、よろしく、ツェツィーリア!」

「はじめまして。ツェツィーとおよびくださいませ、フローリアンさま」

「ぼくもフローでいいよ! ともだちなんて、ぼく、はじめて!」


 子どもたちは早くもきゃっきゃと言いながら遊び始めた。

 正直、秘密の共有者を増やすことにはかなり迷いがあった。

 しかも相手はまだ五歳の子供なのだ。どこでうっかりと漏らしてしまうかわからない。

 それでも、と強く推したのは、ツェツィーリアの祖母であるバルバラだった。

 ツェツィーリアは年のわりにしっかりしていて、秘密と言われたことは絶対に言わない子だと、バルバラは言い切っていた。今までに色々と試してみたようだが、本当に人に言うことはなかったそうだ。

 不安はあったが、同性の友人を持たせてあげたい気持ちはエルネスティーネにもあり、結果的に折れる形となった。

 バルバラは女医としても優れているし、エルネスティーネは彼女のことを友人だとも思っている。

 楽しそうに遊ぶフローリアンを見て、ツェツィーリアを連れてきてくれたバルバラに感謝の念を抱いた。


「フローさま、わたくし、ドレスをもってきましたの!」

「え、ほんとう? みせてみせて!」


 バルバラが持ってきた鞄を開けて、子供用のドレスを取り出している。胸元にレースと花があしらわれ、フリルのたくさんついた優しいピンク色のドレスを見たフローリアンは目を輝かせた。


「わぁ、すてきだね!」

「フローさま、きてみてくださいませ」

「え、ぼ、ぼくが?」


 フローリアンの打ち鳴らす鼓動がここまで聞こえてくるのではないかというほど、ドキドキしているのが伝わってくる。

 そのドレスに手を伸ばしたフローリアンは、自分の体に当てがって頬を赤くした。


「すてきですわ! ぜったいぜったい、フローさまにおにあいです!」

「そ、そうかな? じゃあ……」


 そこまで言って、フローリアンは手を止めていた。どうしたのだろうと見ていると、娘は子どもらしからぬ悲しい笑みを浮かべている。


「みせてくれてありがとう」


 そう言って、フローリアンは手の中のドレスをツェツィーリアに返した。


「……きませんの?」

「うん。ぼくはいいんだ」


 そのやりとりを見た瞬間、エルネスティーネは罪悪感に締め付けられる。

 我が娘に、どれだけの我慢を強いてしまっていたのかと。

 ツェツィーリアの前でだけは、女の子でいても構わないと告げたのに、それでも素直になれないのだろう。


 そういう運命を強いてしまったのは……紛れもない、エルネスティーネ自身。


「王妃様?」


 バルバラが目を見広げていた。いつの間にかエルネスティーネの目から、涙がこぼれ落ちていた。


「おかあさま、どうしたの!?」


 心配そうに駆け寄ってくれるフローリアン。

 本当に、本当に良い子に育ってくれている。

 男として育てられていることに文句ひとつ言わず、王子として求められることを全てやってのけているのだ。


「……ごめんね……フロー」

「おかあさま? なかないで! ぼく、がんばるから……だいじょうぶだから! おかあさま、ないちゃやだぁ!」


 抱きついてくれる愛娘をぎゅっと抱きしめ返す。


「ありがとう、フロー。もう、大丈夫よ」

「ほんとうに……?」

「ええ、フローに力をもらえたもの」


 パッと顔を上げたフローリアンは、えへへと照れるように笑っている。


「よかった! ねぇツェツィー、つぎはなにしてあそぶー!?」


 フローリアンの興味はすぐにツェツィーリアの方へと戻っていき、エルネスティーネはほっと息を吐いた。

 しかし、とエルネスティーネは気を引き締める。


 私が被害者ぶっていてはいけないのだわ。

 被害者は、フローリアンなのだから。


 己に泣く権利などないことに気がついたエルネスティーネは、バルバラをそばに呼び寄せた。


「どうされました、王妃様」

「バルバラ。あなたを私は信用しているわ」

「ありがとうございます」


 エルネスティーネは、心からバルバラとヨハンナを信用している。許可なくフローリアンを女だとばらすようなことは、しないとわかっているのだ。


「私のこの信用を裏切ったときにはどうなるか、わかっているわよね?」


 じろりと初めてバルバラを睨んだ。

 その視線を受けた彼女は青ざめ、そして少し悲しげに首を垂らしていて心が痛む。


「わかっております。私も孫娘のツェツィーリアも、絶対になにがあっても他に漏らしたりはいたしません。この首に掛けて、お約束いたします」


 大事な友を脅し、それでも彼女は受け入れてくれる。

 胸が熱くなって泣きそうになったが、それをぐっとこらえた。


 すでに男であると公表したことは覆せない。

 もしも暴露されれば、エルネスティーネはもちろん、フローリアンもどうなるかわからないのだ。

 国民の不信を買うことは必至で、ラウレンツやディートフリートも失脚、王制を取り潰されることにもなりかねない。


 今までは、バルバラやヨハンナとは信用で成り立っていた。が、もうそれだけで守れるなんて驕っていてはいけないところにきている。

 愛するフローリアン、そして家族を守るためには、非情にならなければいけないのだ。


 家族とフローリアンを守るためになら、私は悪魔になりましょう。

 悪魔に涙なんて、必要ない。

 私はもう二度と……泣かないわ。


 二人の天使の振り撒く笑顔を見て、王妃は一人、決意した。

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