02.王妃のひみつ
エルネスティーネとラウレンツは、毎日毎日薬を盛られ続けた。
妊娠が分かるまでの三ヶ月間、毎日だ。
子ができたことをディートフリートに告げると、ようやく媚薬入り料理は出なくなってホッとする。
もう一生分の行為を果たした気分だ。若い時ならいざ知らず、もう四十を目の前にしている体である。
兎にも角にも、早目に妊娠できて良かった。長く続けば、本当に体が持たなかっただろう。
ラウレンツもディートフリートも、大きくなっていくエルネスティーネのお腹を見るたびに喜んでくれた。
二人はエルネスティーネのプレッシャーを避けるために口には出さないが、男の子を望んでいることだろう。
しかし、エルネスティーネだけは女の子を望んでいた。
神様どうか、女の子をお与えくださいと。毎晩星に祈るほどに。
月日は流れ、ぱんぱんに張ったお腹が徐々に痛みを増してきた。
とうとう、分娩の日がやってきたのだ。
「母上、頑張ってください!」
「男は何もできんのが悔しいな……頑張ってくれ、エルネス」
「はい……」
息子と夫は、そう言って部屋を出て行った。
分娩時の男性の入室は禁止されている。
今部屋にいるのは、女医のバルバラと侍女ヨハンナの二人だけだ。長い付き合いで、気の知れた仲である。
エルネスティーネの出産は、時間がかかった。
痛みと眠気で頭がおかしくなりそうなのを耐えて、耐えて、耐えて、ようやく生まれたのは本陣痛から一日半経った夜中だった。
生まれたばかりの「ほやあ」という可愛い声が部屋に広がる。
「王妃様、おめでとうございます。可愛い女の子でございます」
汗と涙でぐしゃぐしゃになっているエルネスティーネに、生まれた子の顔を見せてくれた。
女の子だった。
こんなに嬉しい事はない。
長年望んでいた女児が、ようやく自分の元にきてくれたと、エルネスティーネは喜んだ。
と、同時に。
とてつもない不安に襲われる。
ディートフリートは、男の子が生まれるまで、また薬を仕込み続けるのだろうかと。
夫に毎晩抱かれ続け、子供ができればまたこんなに苦しんで産まなければいけないのだろうかと。
そう、男児が生まれるまで……ずっと。
無理だ、とエルネスティーネは思った。
念願の女の子はもう生まれた。三ヶ月間、夫に抱かれ続け、もう心も体も満たされた。そして疲れた。
これ以上の高齢出産は、リスクが伴う。子を産むことは、己の寿命も減らしてしまうような気さえした。
「王妃様、陛下にお知らせして参りますわ。とても可愛い女の子ですと……」
「待って、ヨハンナ!」
エルネスティーネは侍女を必死で呼び止めた。
女児を産んだと知られては……だめだ。
「二人とも……お願いがあるの」
出産を終えた直後とは思えない、厳しい顔をしていたことだろう。
二人は不思議そうな顔をしてエルネスティーネを見ている。
「生まれた子は……男の子ということにしておいて」
「な、何をおっしゃっているんですか、王妃様?!」
女医のバルバラが声を上げたのとは反対に、ヨハンナはさすがに冷静だ。
「いつまで、でございますか?」
「おそらく……一生よ」
「娘を男として生かす覚悟が、王妃様にはお有りなのですね?」
女として生を受けた娘を、男として生かす。
なんという残酷な仕打ちをしようとしているというのか。
それでも、ディートフリートはユリアーナを思って、いつかは王族を離脱してしまうだろう。
この国には男児が必要なのだ。ラウレンツが若い妾を持ち、そちらに男児を産ませたなら解決できる問題かもしれない。
だがそれは、エルネスティーネの王妃としてのプライドが許せなかった。
王位を継ぐのは、自分の子であって欲しいというエゴ。
そのために娘を犠牲にするつもりなのかと、エルネスティーネは葛藤する。
「王妃様……お事情は、私にもなんとなくわかっております」
ヨハンナは、懊悩するエルネスティーネに優しい声を上げた。
「私は、王妃様のご意思に従います。王妃様のその罪悪感は、私が半分請け負いましょう」
「ヨハンナ……」
「この子に恨まれる時は、私も一緒ですわ、王妃様。そして私たちは、誰よりもこの子の幸せを願い、そのために尽力いたしましょう」
「ええ……ええ、そうね……」
もう一人産む気力も体力もない……産めたとしてもまた女の子かもしれないと思うと、そうするしか道はなかった。
ユリアーナには、ディートフリートと幸せになってもらいたい気持ちがある。そうすると、ディートフリートは王族を離脱しなければならない。
王位継承権は、血縁の男児に限られるのだ。胸に罪悪感を抱えたまま、それでもエルネスティーネは覚悟を決めた。
「この子を、王子として育てます。陛下にも、ディートフリートにも、誰にも言ってはなりません。わかりましたね」
「はい、王妃様」
「わかりました。一生、この胸に仕舞っておきましょう」
侍女と女医が、そう約束してくれた。
女児だとバレないようにしっかりおくるみをし、それからラウレンツとディートフリートを呼びに行ってくれる。
夫と息子は男児と聞いて、大喜びで部屋に入ってきた。
「母上、おめでとうございます!」
「エルネス、よくやってくれた。本当にありがとう」
喜ぶ二人を見ると胸が痛くなる。しかし、二人にまで心労をかけさせるわけにはいかない。特にラウレンツは無理をし過ぎたせいか、最近めっきり体力が落ちているのだから。
娘を王子として育てるというのは、自分で決めたこと。
騙すと決めたなら、最後まで騙し切ってみせる。その上で、可愛い娘の幸せを確保する方法を、模索する。
今はまだ、いい方法は思い浮かばなかったが。
「父上、名前は何にするのですか? 僕は、ハインツやイェレミアスというのが高貴な感じでいいと思うのですが」
「それよりも、バルトロメウスやギルベルトなんていうのはどうだ? 男らしくてかっこいいだろう!」
「ダメです!!」
男二人の提案を、エルネスティーネはバッサリと切り捨てる。娘にそんな男らしい名前をつけるなんて、とんでもない。
「いい名前だと思ったんだがなぁ……」
「では母上は、どんな名前がよろしいんですか?」
そう言われて、エルネスティーネは考え込んだ。
女の子が生まれた時には、フローラティーネと名付けたかったが、これは明らかに女性名だ。王子である娘に、つけられるはずもない。
「名前は……フローリアン……そう、フローリアンが良いと思いますわ」
「フローリアン! 良い名ですね!」
「ちょっと弱々しくないか? バルトロメウスの方が……」
「フローリアンにしてくれなければ、この子は抱かせません」
「わ、わかったよ。半年間、ずっと考えていた名前だったんだがなぁ……」
少しラウレンツが可哀想だったが、バルトロメウスなんて名前を娘につけさせるわけにはいかない。せめてもの、母心だ。
フローリアンは、父親と兄に抱かれ、やはりホヤホヤと泣いている。
その姿は、本当に愛あふれる親子の図で。
「生まれてきてくれてありがとう、フロー……」
そしてごめんなさい、と心で謝ったのだった。
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