フローリアン編①

01.生まれた時から男として


 王妃である母は、いつもフローリアンにこう言っていた。


 女であることを誰にも悟られてはいけません、と──


 女の体を持つフローリアンは、ハウアドル王国の第二王子として生を受けた。

 そう、女なのに王子として扱われてきたのである。

 物心ついた頃からそうだったので、特に不思議には思わなかった。


 この国の王位継承権は、男にしか与えられない。そしてフローリアンには年の離れたディートフリートという兄がいたが、なぜか結婚する意思が見られなかった。

 だから女である自分を男として育てたのだろうなと、フローリアンは誰に言われるでもないのに、七歳を迎えた頃にはすでに理解していた。


 そんな兄にも、そして実の父親である王にも、フローリアンが女だということは知らされていなかった。幸いというべきか、フローリアンは父や兄と同じライトブラウンの髪に顔立ちもよく似ていたから、女だとは疑われなかったのだろう。

 女であるフローリアンを王子だと思い込んでいる父と兄が、それでもとてもだいすきで。特に兄のディートフリートは、ことさらフローリアンのことを溺愛してくれていていた。


「フローは飲み込みが早いね。優しいし、しっかり者だし、きっと良い王になれるよ」


 そう言って頭を撫でてくれた第一王子の兄は、二十八歳という若さでハウアドルの王に即位する。フローリアンが十歳の時だ。

 真面目で優しくて、何にでも一生懸命、そして部下にも国民にも愛され賢王とまで呼ばれている兄。そんなディートフリートを、フローリアンは心から尊敬している。


「私の次はフローが王になる可能性が高い。王になる自覚を持って、しっかり勉強するんだよ」


 王に即位した後はよくそう言われて、フローリアンは兄に認めてもらおうと必死になって頑張った。


 本当は、王になど──なりたくはなかったのだが。


 女になりたいなどと言っては、父も兄もぶっ倒れてしまうだろう。王家に生まれ、王子として育てられてしまった以上、もう自分にはどうしようもないということはわかっている。

 それでも将来を考えると憂鬱になって、ため息が漏れた。


「どうしましたか、王子殿下」


 護衛兼監視役の騎士、ラルスが不思議そうな声を上げた。

 彼は護衛騎士に就任したばかりで、まだ二十歳の若い騎士だ。他にも護衛騎士はいるが、女だとバレないよう数年置きに護衛騎士を交代させている。


「なんでもないよ。ちょっと勉強が疲れただけ」

「ふーん、どれどれ……うわ、なんだこれ!」

「こら、護衛騎士が見ちゃいけないよ」

「あ、申し訳ありません。つい」


 帝王学の教本を閉じると、フローは少し伸びをした。


「お疲れでしょう。お茶でも淹れるよう言ってきましょうか。それとも、気分転換に外にでも行ってみますか?」

「いや、僕は……ツェツィーに会いたいなぁ……」

「ツェツィーリア様! かわいい方ですよね!」

「ラルスもそう思う?」

「はい! 男ならば、誰しも憧れる可憐な花のような人です!」


 そうだ、そうなのだ。

 ツェツィーリアは、優しくて美しい完璧な女性である。フローリアンを女だと知っている、数少ない一人でもあった。


「あ、もちろん王子から奪おうなんて、そんな大それたことは思ってませんよ?」

「はは、当たり前だよ。奪えるわけがないじゃないか」

「おおー、さすがは王子。すごい自信だ」


 ラルスのその物言いが面白くて、フローリアンはくつくつと笑った。もちろん、ツェツィーリアをそんな風に褒めてくれたことも嬉しい。

 ツェツィーリアは、フローリアンと同い年の十五歳。王妃付きの女医バルバラの孫だ。

 バルバラの娘がノイベルト伯爵のところへ嫁いだので、その娘であるツェツィーリアは伯爵令嬢という身分である。

 フローリアンの本当の性別を知っているのは、王妃のエルネスティーネ、王妃付きの侍女ヨハンナ、女医のバルバラ、その孫娘のツェツィーリアの四人だけだ。

 同性の友人がフローリアンには必要だとバルバラが王妃に進言し、孫娘のツェツィーリアを連れてきてくれたのは五歳の時のこと。それから二人は幼馴染みという関係だ。

 当時は友達ができたのが本当に嬉しくて、ずっとはしゃいでいたのを覚えている。その可愛い幼馴染みのことを考えていると、コンコンとノックがなされた。ラルスが確認し、中に伝えてくれる。


「王子、お噂のツェツィーリア様ですよ!」

「入ってもらって!」


 間髪入れずに答えると、ツェツィーリアが美しいカーテシーを見せてくれた。


「フロー様、ご機嫌いかがですか?」

「ツェツィー、来てくれたの?!」

「はい。どうしてもフロー様にお会いしたくなりまして」

「はは、可愛いこと言ってくれるよね、ツェツィーは」


 フローリアンがツェツィーリアの頭を撫でると、ふわりと長い髪がなびく。

 ツェツィーリアはぱっちりした目に空色の瞳、プラチナブロンドの髪を持つ、女の子の中の女の子といった感じの可愛い人だ。落ち着いたミントカラーのドレスがよく似合っている。


「実は今、僕もツェツィーに会いたいと思っていたところだったんだよ」

「まぁ! では、以心伝心でしたのね」

「うん!」


 うふふと花が綻ぶように笑うツェツィーリアは、同性の目から見ても美しく可愛らしい。

 女だとバレてはいけないフローリアンにとって、全てを知ってくれているツェツィーリアは、唯一気の置けない友人だ。今では親友と呼べる仲になり、誰にも内緒の恋愛話をするのが楽しい。

 そんなフローリアンとツェツィーリアを、ラルスは腕を組んでうんうんと満足げな表情で頷いている。今までそんな護衛騎士を見たことがなかった二人は、顔を見合わせて笑った。

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