ダークナイト
全てを飲み込むかのように広がる漆黒の世界。そこに小さく咲く一輪の花は、世界に馴染むことなく静かに佇んでいる。
透き通るような青い花弁、氷の彫刻ではないかと思える存在感。
それはまさしく……。
「氷……花……」
そこで意識が覚醒し、瞼がうっすらと開く。ぼやけて視界がまだ不鮮明だが、白い枕の先にケースに入れられた青い花は見えた。
氷でできたその花は、いつもなら陽の光に照らされて輝くのに、今はただ部屋の照明を反射している。つまり……。
「もう、夜か……」
ポケットにあった懐中時計を確認してみると、午後八時を回っていた。
帰宅したのが四時頃だったので、四時間は寝ていたことになる。
ここ数日は昼夜逆転に近い生活をしていたせいか、このままでは今後の授業にも影響しかねない。
--それだけは嫌だな……。勉強できる機会なんて、あと何年できるかわからないんだし……。
とはいえ授業中に寝て、なおかつ罪悪感が出てない時点で話にならないが。
とりあえず、夕飯の仕度でもしよう。
そう思い、楝がベッドから起き上がろうとした瞬間、襟に付いていたピンバッジから雑音混じりの音が響いた。
『ダークナイト、任務だ』
途端、楝の微睡んでいた意識が、一気に覚醒する。
昨日も夜通しだったのだから、正直寝かせて欲しい。しかし、そんなことで“奴等”が待ってくれるはずもない。
『詳細は本部にて伝える。至急本部に出頭せよ』
「了解。直ちに向かう」
楝はすぐさまベッドから起き上がり、自室にある備え付けのクローゼットを開けた。
中に入っていたのは、制服と私服が三着。その中から黒色のロングコートを取り出すと、制服の上に羽織りフードを深く被る。
これが仕事での……いや、本来の彼女の姿だった。
闇に蠢く同属を狩るダークソウル、ダークナイトとしての。
「転移!」
そして音もなく、楝は自室から消えた。
楝が眼を開けると、そこは見慣れた大扉の前だった。
本当は室内へ直接転移したほうが正直楽なのだが、過去にそれで何度か騒ぎを起こしてしまったことがある。
以来統括室への直接転移は、ギルド側に禁止されてしまったので致し方ない。
小さなため息をもらしながら、楝は扉を数回叩く。すると扉の奥から、聞きなれた声が返ってきた。
「入りなさい」
言葉に従い、楝が扉を開ける。室内に入ると、そこには椅子に腰かけた四十代半ば程の男が、必死に書類仕事をしていた。とはいえ数が多い。そのせいか、山積みされた書類に埋もれて、当人の顔が見えない。
一体どうしたら、こんなに仕事を溜め込めるのだろうか。
「書類の中で、海水浴はできないぞ」
「好きでしている訳ではないよ! 全く幹部達と来たら、一度に書類を持ってくるから処理をするのが大変だよ」
そういって愚痴を溢すこの男の名は、奥村史彦。
ギルド、スピル・ローゼンを取り仕切る総統括責任者--ギルドトップであり、楝を拾ってくれた恩人だ。
彼がまだ現役だった頃、彼女の願いを聞き入れ、ハンターになるきっかけを作ってくれた。
もしあの時出会ったのが彼でなければ、今彼女はここにいなかったかもしれない。
「それで? 書類に埋もれる図を見せるために、わざわざ呼んだ訳ではないだろう?」
頭上に散らばった書類を退かしながら、楝は奥村に訊ねる。
すると、ようやく書類の海から脱した奥村は、直ぐ様真剣な表情でこちらを見つめた。
普段はああなのだが、こうして見ると、やはり彼はギルドを仕切る人物なのだなと改めて思う。
「昨夜、神楽通りに出現したダークソウルを君に討伐してもらった訳だが……。それから二時間後の今朝午前四時五十分頃、現場から二百メートルほど離れた路地で、新たなダークソウルの反応があった」
「それは……」
正直、呆れて言葉も出ない。直前に同属が狩られたというのに、まるで何事もなかったかのような有様だ。
けれど、それがダークソウルなのだ。彼らは知性があっても理性はない。たとえ同属が狩られようとも、自分が人間を喰えればそれで良いと考えている。
狩る側としては、そういった思考はありがたくもあり、面倒でもあるのだが。
「下位種であれば通常のハンターで対処できるが、反応から中位種の中級あるいは上級と推測される。故に……」
「わたしを呼んだ訳か」
ダークソウルには強さに応じて下位、中位、上位と階位分けされていて、階位内でもさらに下級、中級、上級と分類されている。
そして、階級が上がるに連れて、ダークソウルはその強さを増していく。
一方のハンターは、強さに応じてC、B、A、Sとランク分けされ、基本は二人一組のペアで行動している。
理由は、純粋な力差にある。
通常、一般ランクであるBランクハンターが対処可能なのは、中位下級以下のダークソウルまで。それも、二人で対処した場合でそれだ。
そして、高ランクといわれているAランクハンターですら、中位中級の対処が限界。
そう。彼らの階位とハンターのランクは、実力的に釣り合っていないのだ。
そのため、階級が高いダークソウルに対して、人間側には立ち向かう手段がない。
だからこそ、彼女のもとに任務が回ってくるのである。
「上位相当である君ならば、対処できると判断した。ダークナイト、ギルドトップより目標の討伐を命ずる」
「了解」
楝は軽く頷いた後、コートを翻して、そのまま仕事へ向かおうとする。だがそれは、奥村に呼び止められることで中断した。
「楝!」
人間としての名を呼ばれて、楝の脚が止まる。
またか……。
呼び止める理由など、察しがついている。とはいえ、無視することもできない。
楝は内心ため息をつくと、奥村の方へと振り返った。
「……まだなにか?」
「おまえは、本当にこれで良いのか?考え直す気はないのか?」
「その問い、昨日も聞いたぞ」
やはりそうきたか。ハンターとして活動を始めてから、幾度となく繰り返されてきた問答に、いい加減嫌気がさす。
彼の示す言葉の真意。それが何を意味しているのかは理解しているし、この十年人間として親代わりをしてくれた彼らの気持ちは充分理解している。
それでも--。
「何度聞かれても、わたしの目的は変わらないよ。そのためだけに、今まで存在してきたんだから」
「……復讐、か」
そう。“あの存在”をこの手で葬り去る。それだけのために、彼女はあの日ダークソウルになったのだ。
「だが今のおまえには、大切な人たちがいるだろう?」
奥村のその言葉に、一瞬言葉が詰まる。
麗奈、智輝、拓郎、良隆。
ダークナイトとしてではない、普通の人間としてできた、大切な友人達。
彼らは楝の正体を知らない。
もし知られてしまったら--、そう考えると不安に駆られることが増えた気がしなくもない。
「それでも、所詮わたしはダークソウル。ヒトと交わることは、できない」
頭では分かっている。けれど突きつけられる現実に、フードの下で目を伏せる自分がいた。
最初から分かっていたことなのに、今更馬鹿げてる自分に嘲笑しながら、いつものようにダークソウルの口調で話す。
「これ以上用がないなら、わたしは任務に向かう。“転移”」
そして楝は、複雑な表情を見せる奥村を残し、その場を後にした。
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