偽りの楽園

小夜姫の伝承

 ヒトは今日を生きる、“平穏”という名の楽園の中で。暖かい日差しが世界を照らし、穏やかな眠りへと……。

「故に凛鐘国りんしょうこくは、現在の神楽を中心とした金糸雀国かなりあこく東部に位置していたと言われており、まさに伝承縁の地である訳だが……」

 そこでふと、教科書を片手に教室を巡回していた先生の足が止まる。

 その視線の先には、栗色の髪をした少女が幸せそうに寝息を立てていた。

れん、楝ってば!」

 そんな彼女に、後ろの席にいた金色の髪をした少女が数回肩を揺する。そしてようやく少女--萩野楝は、閉じていた眼をそっと開いた。

「ぅん……、何……麗奈……?」

「おはよう萩野。オレの授業で堂々と寝るとは、良い度胸だな」

 そういって先生はにこやかに笑うが、顔の所々に怒りマークが付いていたのは明らかだった。

「すみません……。昨日は遅くまで起きていたのでつい--」

「そうか、夜遅くまで勉強していたのか。なら萩野、今から先生が出す問題に答えなさい。もし正解だったら、今回は見逃してやろう」

 先生は勝ち誇った表情を見せると、寝起きでまだ頭が冴えていない楝に問いかけた。

「では萩野。伝承に登場する小夜姫さやのひめについて、簡潔に説明しなさい」

 質問は意外にもあっけないものだった。その程度であれば、幼い子どもでも答えることができる。

「かつて闇の存在から世界を救った凛鐘国の姫、ですよね?」

「確かにその通りだ。ではその小夜姫がいたとされる凛鐘国は、現在のどこに位置している?」

 これは先程先生が授業で教えたばかりの内容だ。おまけに当時、彼女は夢の中だ。当然答えられる訳がない。

 授業中に寝ていた罰として、大恥をかかせる。それが先生の立てていた策略だった。

 しかしそんな先生の思惑とは裏腹に、楝はその質問に考える間もなく即答して見せた。

「凛鐘国が存在していたのは現在のここ神楽を中心とした、金糸雀国東部に存在したと推測されています。ちなみに争いの原因となったのは、当時敵国であった佐和国さわのくにが不作による飢餓に見舞われたため。そして争いの末両国は和平を目的に合併し、現在の金糸雀国の基盤となった。といった所でどうでしょうか、先生?」

「……座りなさい」

 完敗を帰した先生は悔しそうな表情を見せながら、教卓へと戻っていく。

 一方再び席に着いた楝に、後ろに座っていた友人、榊麗奈さかきれいなが小声で声をかけてきた。

「楝ってば、授業中に寝てるからだよ。答えられたから良いものの……」

「本当、わたしも答えられて正直ホッとしてる」

「はぁ……」

 いつものこととはいえ、何度注意されても治る気配はない。苦笑いを見せる楝に対し、麗奈はただため息をするしかなかった。



「ホームルームを始めるぞー」

 授業が終わりそれと入れ替わる様に、担任の望月が入って来た。彼はA組の担任だけでなく、学年主任もしているベテラン教師だ。

 噂では格闘家として百人の挑戦者を凪ぎ払ったと言われているが、真相は定かではない。

「さてホームルームを始めるといったが、今日は特にこれといった連絡はない!」

 ガハハと豪快に笑い出す望月に、クラス全員が呆れた表情を見せる。

 このテンションの高さもいつものことなのだが、正直どこからそんな元気が出るのか逆に気になる所だ。

「と学校面での連絡はないのだが、それとは異なる連絡がひとつある。昨夜、神楽天鎧通りにダークソウルが出た」

 ダークソウル。

 その言葉を聞いた途端、教室中からどよめきの声が走った。

 ダークソウルとは、この世界の闇に潜む化け物のことである。

 容姿は人間そのものだが、特徴として黒髪に紅い瞳を持ち、各々が異質な力を持っている。また理性はなく、本能として人間を襲い喰らう習性がある。

 彼らダークソウルにとって、ヒトはただの食糧でしかないのだ。

「それによる死者は二名だが、元凶となったダークソウルはハンターが討伐し被害は最小限に留まったそうだ」

 とはいうものの、ヒトが二人死んだことに変わりはない。それもあってか、クラスメイト達のざわめきはさらに激しくなった。

 すると生徒のひとりが、望月に手を上げた。

「先生!その出現したっつーダークソウルは、ハンターが倒したんだよな?」

「あぁ、そうだ」

「そいつを倒したのって、もしかしてダークナイトじゃねぇ?」

「詳しい情報は来ていないが、そのダークソウルは中位だったそうだから、可能性はあるかもな」

 その言葉を聞いて、クラスのざわめきがさらに加熱する。だがそれはダークソウルについてではなかった。

「ダークナイトか……。あいつなら納得だな。何てったって、人間の味方だしな」

「だよな!ダークナイトがいれば、ダークソウルなんて怖くないぜ!」

「でも、ダークナイト自身もダークソウルじゃない。もしかしたら、仲間のふりをして襲う気かもしれないわよ」

「だったらいちいち同属狩るなんて、面倒な事はしないと思うぜ」

「そうだけどさぁ--」

 賛否両論が飛び交う教室。そんな中楝はひとり、窓の外を見ていた。

 --ダークナイトはヒトの味方……か。

 世間から見たダークナイトの存在感など、そうした意味でしか持たれていない。

 しかし数あるハンターの中で最高のSランクを持つのは、ダークナイトともうひとり、ブラスターと呼ばれるハンターの二人だけということも事実。

 これらからしても、ヒトがそのような認識をするのは当然だろう。

 --まぁ、関係ないか。

 あれこれ考えても仕方がないので、途中で思考を蜂起する楝。するとタイミング良く、望月が口を開いた。

「とにかく!ここ数年は、ダークソウルの出現率が上昇傾向にある。だから遊ぶのも良いが、死にたくなかったら夜の外出は控えるんだぞー。では今日はこれで解散だ!」

 豪快に笑いながら望月が教室を出ると、それに合わせてクラスメイト達もぞろぞろと帰り支度を始める。

 楝も帰り支度をしようとすると、後ろの席にいた麗奈が力なく机に倒れ込んだ。

「あー!やっと終わったー」

「お疲れ様、麗奈」

「本当、誰かさんが授業中に寝ていたせいでね!」

 麗奈の不貞腐れた言動に対し、楝は「アハハ……」と言葉を濁しながら笑うしかない。

 すると今度は、麗奈の隣に座っていた銀髪の少年--如月良隆が声を掛けてきた。

「そんなに怒るなよ麗奈。楝が授業中に居眠りしているなんて、いつものことだろ?」

「良隆ぁ……。まぁ、そうだけどね」

 それと同時にため息をつく麗奈。楝との付き合いは彼女が一番長いため、このやり取りも日課になりつつある。

「でもこうしていると、今日も平和だなって思えてくるな」

「随分と悠長な物言いですね。さっきの先生の話、聞いていなかったんですか?麗奈」

「智輝……、水を指すような発言しないでよ。折角の安堵気分が吹き飛ぶじゃない!」

 水を差してきた少年--蔵前智輝の言葉に、麗奈はさらに不貞腐れてしまう。それがつい面白かったので、智輝は眼鏡を上げながらクスクスと笑っていた。

 すると不貞腐れた麗奈に変わって、今度は良隆が口を開いた。

「そうだぞ智輝。いくらダークソウルが危険だからって、そう毎日突っ込んでると、友達無くすぞ」

「良隆。僕はみんなのことを思ってですね--」

「お?何だ何だ!?」

 そこへタイミング良く、赤髪の少年--浅田拓郎が話に割り込んでくる。

 ニヤついている様子から、狙ってしたらしい。

「拓郎!人が話している時に、割り込まないでください。それと、僕の肩に寄り掛からないで!転ける!」

「知るかよそんなこと!第一智輝、おまえは頭が固すぎるんだよ。そんなに考えてたら、いつか漬物石になるぞ?」

「なりませんよ!」

 やり合う二人の様子に、その場にいた全員が思わず笑いだす。

 こうしてみると、毎日が平和だなと錯覚しそうになる。けれど、世界はそんなに甘くはない。


 この世界、小夜姫羅翔は古くから闇の住人達が住んでいる。それがダークソウルだ。

 ダークソウルは、死んだ人間の魂が、怒りや憎しみといった強い負の力によって悪霊となった存在。見た目は人間と変わらないが、漆黒の髪に紅い瞳を持ち人知を越えた力を使うことができる。

 そして最も恐ろしいのは、人間を喰らうことだ。

 ダークソウルは知性はあっても理性を持たず、ただ本能として人間を襲っては喰らう習性がある。

 なぜダークソウルが人間を喰らうのかは諸説あるが、本人たち曰く食事をするのと同じことらしい。故に人々は、常にダークソウルの危険と隣合わせで日々を暮らしている。

 ダークソウルは闇に潜む闇の住人。そのため光あるところ、日中に襲ってくることはない。

 そのため昔の人々は、夜は決して外出することなどなかった。

 けれど時代の流れとともに文明は発展し、人々は夜でも光を見出だす術を得た。

 おかげで夜でも光に溢れるようになったが、一歩路地に入ってしまえばダークソウルが徘徊する危険な状態になってしまったのだ。

 そんなダークソウル達から人々を守るために生まれた組織が、先にでたギルドだ。

 ギルドにはダークソウルを討伐するハンターの他、ダークソウルの研究を行ったりと世界規模で活動している。

 彼らハンターの活躍のおかげで、ヒトは今日も平和に過ごせている。訳なのだが……。

 事の発端は十年前、あるダークソウルがハンターとしてギルドに迎えられたことがきっかけだった。

 本来敵であるはずのダークソウルが、人間側につく。当然ギルドの決定に、ほとんどの民衆は反対した。

 ダークソウル側のスパイだとか、味方の振りをしてギルドを壊滅するつもりだとか。

 しかしそんな懸念は、その者の幾度とない活躍でことごとく覆される。

 ダークソウルの能力経緯の判明と、それを応用した秘術の誕生。

 なにより、ハンターですら太刀打ちできなかった、中位以上のダークソウルを次々と葬っていった。偶然その場にいた目撃者達は、そろってこう口にしたという。

 --“舞姫”と。

 以来ダークナイトは、人間の味方と世間からも認知されるようになった。女性ということ以外の素性も、目的も知らないまま……。

「……楝、楝ってば!!」

「えっ!?な、なに?」

「なに?じゃないわよ!明後日の放課後は、忘れないでよ!」

 つい思考に没頭してしまい、話を聞いていなかった。そのせいで、麗奈の顔はかなり不機嫌な状態になっている。

 これはマズイ……。

「えーっと……、何だっけ?」

「何って……。もう!明後日はやっと原石指輪プリズムリングが貰えるから、放課後みんなでリングショップに行こうっていってたでしょ!!」

 確かに先日食堂で、そのような会話を交わした覚えがある。

「ごめんごめん。ちゃんと覚えてるよ」

「本当かぁ?」

「怪しいところだな」

「楝はいつも、どこか抜けていますし」

「寝てばっかりだし」

 全員揃って疑いの眼差しを向けてくる。

 寝ていたりぼんやりしていることが多いのは認めるが、何もそんな眼で見る必要はないだろう。

「……い、良いじゃない!拓郎や良隆よりも、成績良いんだから!」

「な!?」

「それをいうな!」

 痛いところを突かれ、一瞬にして二人の表情が引き吊る。現に拓郎はいつも赤点スレスレで、良隆は彼ほどではないが下の方だ。

 原因がほぼ居眠りという点からしても、中程の成績を取っている楝に比べれば、人のことをいえたものではない。

「これは、楝に一本取られましたね。二人とも」

 盛大な笑い声が教室にこだまする。こうして今日もまた、平穏が過ぎていく。変わらない日常と、偽りの世界が……。

「それじゃあ、また明日ねー」

「ちゃんと睡眠とれよー」

 寮内のエレベーターで拓郎達と別れた楝は、学園で与えられている自室へと向かった。


 この国立鐘鴒しょうれい学園は、金糸雀国内でも有数の中高一貫学校で、中等部三学年、高等部五学年から成っている。

 加えて学園は全寮制で学園に籍を置くほとんどの学生が寮で生活している割に、部屋はひと部屋1LKと、学園の生徒数を考えるとかなりの数になる。

 国経営とはいえ、一体どこからそんな予算がでるのだろうかと不思議に思ったこともあったが、真相は不明だ。

 楝は自室の鍵を開けると、部屋に入るなり靴を脱ぎ捨て、台所を横切り、鞄を放り投げた挙げ句ベッドにダイブした。

 倒れ込んだ瞬間にふわっとした感触が、身体全体を包み込み即座に眠気が襲ってくる。

 --今日もなんか、疲れたな……。

 急激に押し寄せた睡魔に勝てるはずもなく、彼女は数秒もしないうちに夢の中へと旅立っていた。

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