第6話
○
「結局のところ、今のあの試験機は、
アイビス小隊に割り当てられた格納庫の一角。その片隅の待機室で、シルヴィア、レイフォード、シオンの三人は一日の間に収集したクォーツとの試験内容のデータをまとめていた。
一日で実施された試験は、模擬戦が二回に、走行性能比較が三回。射撃性能比較が一回。結果は何れもクォーツの完勝だ。
レイフォードはシオンの鉄拳がまだ痛むらしく脇腹を抱えているが、女二人はそんなことに見向きもしない。
「そうね。冷却が追い付かなければ機体のトラブルに繋がるし、レーダーの熱探知にも引っ掛かりやすくなる。何よりパイロットが蒸し焼きになりかねないのは、乗り手として勘弁願いたいわ」
データから導き出した結論をシルヴィアが簡潔にまとめる。
シルヴィアの言う通り、機体の発する熱量が増えるということは、兵器としても機械としてもデメリットは多い。
特にクォーツの場合は機体を稼働させればさせるほどに熱が機体に蓄積される。それは設計段階でも想定されていたらしいが、実際には当初の想定を大幅に上回る熱が発生していた、といったところか。
恐らく、これは試験部隊も頭を抱えている最大の懸念材料だろう。
「つまり、慣性制御を使わせれば使わせる程、相手も参ってくってことか。寒冷地で使ってコクピットは快適ってんなら話は別でしょうけど」
レイフォードの冗談混じりの一言を流しつつ、ミーティングは進む。思案する中で、シオンは左眉を指でなぞるが、これは彼女が考え事をするときの癖のようなものだ。
「やはり、兵器として完成させるにはラジエーターやヒートシンクを改修するか、慣性制御の用途を限定するしかない、といったところね」
シルヴィアは意見をまとめ、報告書を作成する。
ミーティングを終え、報告書を提出し終えた後、一同は解散した。
○
それから三日後。夕日が太平洋に沈み始め、クォーツの試験が始まって最初の週末が訪れた。
ニュー・サンディエゴ基地から少し離れた場所……ちょうど街と基地との中間地点に、一軒の
ジャージラ・ダイナーの看板を掲げるその店は、基地に一番近い飲食店ということもあり、非番の兵隊が、決して多くはない休みを満喫するべく出入りすることが多かった。
ここのマスターは、三十年も前から店を切り盛りしているベテランだ。基地から訪れる面々の顔と好みのメニューは彼の頭の中に完全にインプットされている。
マスターの目の前に座る男………エイブラハム・ウィリアムズもまた、そんな常連の一人だ。
いつもの席……カウンターの一番奥に座り、いつもの安酒で酩酊に浸る。
しかし、彼の表情はいつもよりもどこか嬉しげだった。ほんの少しの表情の機微だが、付き合いが長くなれば、たとえ仏頂面な人間が相手でもそれを読み解くのは容易くなる。
「なんかいいことでもあったのかい?」
マスターが、グラスを磨きながら問うた。
エイブラハムはグラスを揺らしながら「いや、別に」とはぐらかす。が、すぐに「仕事がやっと軌道に乗った、それだけさ」と答えた。
エイブラハムも、場数を踏んだ軍人だ。機密を外部に漏らすようなことはしない。だが、少なくともこの喜びを、誰かと分かち合いたかったという気持ちが滲み出ている。
クォーツの実機試験が始まり、完成へ向かって一歩ずつ進んでいる。そのことに、エイブラハムは少なからず充実感を感じていた。
「いらっしゃい」
また別の客が、店に入ってきた。
マスターがすぐに声をかけ、席に座るよう促す。客はエイブラハムの左隣の席に座ると、メニューを手に取った。
「ミルクをちょうだい」
聞き慣れた声に、エイブラハムは安酒を喉に通すと、ちらりと隣の客を見やる。
そこにいたのは、細い身体にフライトジャケットを羽織った黒髪の少女。シオン・ウェステンラだった。
「なんの用だ」
グラスの中身を飲み干しながら、エイブラハムはシオンに問う。
「まだ、挨拶をしていなかったと思って」
マスターから白い液体の注がれたグラスを受け取りながら、シオンは見知った人間と話す態度でエイブラハムに接する。
その態度は、この二人が初対面ではないということを物語っていた。
「まあ、お互い知らない仲じゃないからな。結婚を約束してたホタル……お前の義姉さんはもうこの世にいないが、お前のことは今でも妹のように思ってるよ」
グラスを置き、エイブラハムは額に手を当てる。金属製の義手が、アルコールで火照った身体から熱を奪うのを感じる。
「どうした、前みたいにウィル兄って呼んでもいいんたぞ?」
そう言って、エイブラハムは茶化すようにシオンの頭を撫でる。
だが、シオンはエイブラハムを睨むと「やめて」と言ってその手を払った。彼女の表情は険しく、明らかに普段とは違う。
「……思い出話をしに来たんじゃないなら、お前は何をしに来たんだ」
「クォーツのこと。あれには義姉さんの研究が使われているんじゃないの?」
その言葉を聞いて、エイブラハムも表情を険しくして「何を根拠に」と返す。
「関係者なら、見ただけで分かる。それが誰の作っていた物かぐらい……でも」
「でもあれは、三年前の事故でデータのほとんどが失われた筈、か?」
シオンの言葉の先を、エイブラハムが言い当て、シオンが静かに頷く。
シオンの、真実を知りたいという意思を秘めた表情を認めると、エイブラハムは大きく息を吐き、口を開いた。
「あれは、俺がホタルから託された“遺産”だよ。そしてあの事故を仕向けた奴に復讐するための刃でもある」
今までにない真剣な眼差しで、シオンに面と向かって自身の目的を話す。言葉を紡ぐのに比例して左腕に力が入り、かたかたと音を立てて小刻みに震えていた。
「あの日、施設を襲撃して俺から
エイブラハム・ウィリアムズ。彼の背負うものは、シオンの想像より遥かに重かった。
シオンとエイブラハムの付き合いは、二人の接点であるホタル・ウェステンラが生きていた五年前にまで遡る。
テロで家族を喪い、養子としてウェステンラ家に迎え入れられたシオンが、義姉と義父に連れられて訪れた研究機関で出遭ったのが、エイブラハムだった。
当時の彼は真面目で、真っ直ぐな人間だったとシオンは記憶している。少なくとも、安酒に溺れるような軟な人間には見えなかった。
シオンから見ても、エイブラハムとホタルは釣り合いの取れた良い夫婦になれると確信できるほどに、良いカップルだったと記憶している。
しかし、それも三年前のあの「事故」が、全てを変えた。
研究機関の施設が原因不明の爆発を起こし、その大半が崩壊。そこに勤めていた職員の半数以上が爆発や火災、施設の崩落などで犠牲となった。
犠牲者リストには、シオンの義父と義姉の名前も含まれていた。
事故の後、エイブラハムとは一切の連絡も取れず、シオンは一人で生き方を考え、家族の仕事の手伝いをする傍らで覚えた
「復讐って、どういうこと。それがあの事故とどう繋がるの!」
椅子から立ち上がり、エイブラハムに怒鳴りかかる。周囲の視線がシオンとエイブラハムに注がれる。
「あの日、施設が武装勢力の襲撃を受けたんだよ。だが、その報告も上から握り潰され事件ではなく事故として処理された」
シオンの質問に、エイブラハムは淡々と答えるが、その語気は明らかに荒い。ダイナーのマスターも、彼の言葉は耳に入れないよういつの間にか厨房へと姿を消していた。
「しばらくはリハビリと真相究明の日々だったよ……。独自に動いてたら情報部の連中が便宜を図ってくれてな、それで俺に
「囮って……レンたちも?」
囮役という言葉に引っかかりを感じ、シオンは思わず席から立ち上がるものの、エイブラハムは沈黙を保ったまま、視線を背ける。
彼の言葉が正しければ、今回の新型機の試験は、敵対勢力からの襲撃を想定していることになる。
レンや他のスタッフたちは、自分たちの任務を信じてそれに打ち込んでいる。なのに、それを誰とも分からない襲撃者を誘い出すために使うというのだ。それは、部下たちに対する裏切りに等しい。
そして、何よりシオンにとって、義姉の遺したものを、そのように使われるのが我慢ならなかった。
「私の知ってるウィル兄は死んだみたいね」
義憤にかられたその言葉とともに、シオンの平手が義手の男の頬を叩く。しかし、頬を赤くしながらも、エイブラハムは眉一つ動かさない。
右手に痛みを感じながら、シオンは逃げ出すように店を後にした。
○
シオンは、エイブラハムへの失望と怒りを胸に抱きながら、夕日に染まるニュー・サンディエゴ基地の宿舎へと戻った。
ダイナーから基地まではそう遠くないとはいえ、徒歩では相当な距離を走ることになるだけに、部屋に着いた時には既にヘトヘトの状態でベッドに横たわっていた。
だが、今のシオンには疲労よりも虚しさを感じる気持ちが強かった。兄のように慕っていた人物が、あそこまで変わってしまったのかと枕に顔を埋めながら涙を流す。
「どうしてさ……どうして」
枕が涙を受け止め、彼女の表情を覆い隠す。だが、シオンの抱いている感情は枕程度では隠すことも、受け止めることもできない。
やがて蓄積された疲労が睡魔を誘い、少女は夢の世界へと落ちていった。
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