第7話 セリシアの英雄


 セシリアはその日、自分の運命を呪った。

 いや、そこまで大仰ではない。

 ただ運が悪かっただけだ。

 いつもの見回りがてら、ベヒモスの縄張りを調査するだけ。

 ほんの五分で終わる簡単な仕事だった。

 議会への定時報告書を仕上げた後は、みんなで上層街の酒場へ行って飲み明かそうと笑いながら話していた。


 しかし、


 セシリアの目の前には、


 明確な『死』が


 よりにもよって、縄張りの主が帰っていたのだ。

 

 ――――巨獣ベヒモス。


 かつての結晶大戦でアウロラ有志連合軍を蹂躙した悪名高きモンスター。

 それも、王の名を持った『ケーニッヒベヒモス』だ。

 数多の勇者や英雄、狩猟団、同族の若獣、竜族を退けた孤高の猛獣が、本当に、どうしてこんな日に縄張りに帰っているのか。


 その王者たる風格は、存在する威圧感だけで震えが止まらない。

 同僚の男は腰を抜かし足下に崩れ落ち、隊長が介抱するも、本人だって恐怖で青ざめている。


 そんな親衛隊を見たケーニッヒベヒモスが巨大な前足を踏み締める。

 ずしんと大地に響く重たい音だけ筋肉の厚みを感じるほどだ。

 格上の強敵と、すでに本能は理解していてこちらを標的にしているのも分かる。

 喉がからからだ。

 早くて浅い呼吸が口内を干上がらせていた。

 唇も乾ききってかさかさだ。


 多分、いや、


 ――――逃げなければ確実に死ぬ。


 それでも、

 

 セシリアは剣を抜いた。

 

 こんなか細い剣で、何が出来るというか。

 腰を抜かした同僚、怖じ気づいた隊長。

 彼等を責めるつもりはない。

 伝説級の巨獣を前にして、恐怖に竦むのは仕方がないことだ。

 

 セシリアだって、


 ――――恐いのだ。


 当たり前である。

 剣の切っ先が震えるのも仕方ない。

 歯の根も噛み合っていない。

 肩も細かく揺れている。

 まともな呼吸すら不可能だ。

 

 その時、耳を劈く大咆哮が響いた。

 

 ケーニッヒベヒモスが、


 臨戦態勢なった瞬間、大地が鳴動して空気がぴりぴりとしてきた。

 巨獣の王が、伝説級の最上位魔法『メテオインパクト』の詠唱を開始したのだ。

 よりによって回避不能の広範囲魔法をちっぽけな自分達に使うとは。

 

 駄目だ――――


 逃げないと――――


 だが、身体はまったく動かない。

 人は真の恐怖を味わうと、身体が硬直してまったく動かなくなるようだ。


 誰か、


 助けて――――


 セシリアは声にならない叫びを上げる。

 

 凶悪なモンスターがここにいる。

 今にも仲間を殺そうとしている。

 今にも自分が殺されそうになっている。

 誰か近くにいないのか。

 

 ――――お願い。

 

 誰か、助けて――――




「よく頑張った」


 その時、


 白いマントを羽織った銀色の騎士が、


「後は任せろ」


 セシリアの前に現れ、


 ケーニッヒベヒモスと対峙した。


 その特徴的な長耳はエルフィン族を象徴する形。

 声色から判断するにの女性のようだ。

 なにより目を引くのは、眉目秀麗のエルフィン族の中でも、なお一層、輝くほど綺麗で整った顔。


 セシリアは、こんな状況下でも、彼女を美しいと思い見惚れるしまったのだ。


 しかし、すぐに自分を叱咤し我へと返る。

 よくよく観察すればどこの国ともわからない騎士の格好をしている。

 冒険者なのだろうか。

 背が高く、頼りがいのある大きな背中だ。

 またしても見惚れるしまったが、気が付けば彼女の身体から発せられたオーラで包まれていた。


 暖かく勇気がみなぎってくる。


 そのオーラは後ろの仲間達まで包み込み、まるで驚異から守るかのような、神の加護とさえ思える力と分かった。

 

 遙か上空を仰ぎ見れば、業火で地を破壊し尽くす隕石が墜ちてくる。

 まるで世界の終わりを象徴するかのような光景だ。

 あれがまともに墜ちれば、辺りは壊滅的被害を受ける。

 あらゆる生命を根こそぎ刈り取る死神の一撃だろう。

 

 そんな絶望とも思える状況なのに、

 

 震えが止まっていた。


「人間に仇なす巨悪の根源を許すわけにはいかない」


 長身の女騎士が言った瞬間、膨大な塵と粉塵が吹き荒び視界を奪った。


 ――――だが、身体に熱も痛みもない。


 凄まじい轟音が鳴り響き、一層の粉塵を巻き上げた。

 視界が塞がれ、辺りがどういう状況なのかまるで分からない。

 分かるのは、自分が死んでいないということだけだ。

 

 ――――銀色の女騎士はどうなったのか。

 

 横の方で重量物がずしんと落下した音がした。

 収まってくる粉塵の隙間からは覗くのは、ケーニッヒベヒモスの虚ろとした目だった。


 なぜここに――――、


 いや……、しかし、それは、


 ベヒモスの生首だった。


 ずらりと並ぶ牙の間から力なく舌を垂らしている。

 もはやその目に生を宿していない。


 あまりの展開に驚くあまり、セシリアは硬直しかできなかった。

 何がどうなってベヒモスの生首がここにあるか、意味不明である。

 だが気付けば銀色の女騎士が去りゆくところだった。


 セシリアは慌てて名前を尋ねる。

 

「…………ブロント」


 そう言い残して颯爽と姿を消してしまった。

 多分、最強種のベヒモスは、彼女によって倒されたのだ。


 それも一撃で。


 この日のことを、セシリアは一生忘れないだろう。

 

 銀色の騎士。


 彼女はこれから先、多くの人々を救うに違いない。


 彼女こそ、


 本物の英雄ヒーローだ。


 セシリアは予感する。


 これから先の世界は、彼女のような冒険者が主役となる時代になるだろう、と。

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