【出会いと別れ】あたしの美味しい空気(相田苺)

にけ❤️nilce

第1話 あたしの美味しい空気

 市川蓮とは産院で出会った……らしい。


 もちろん覚えてなどいない。両親学級で出会った親同士が、予定日が同じと聞いて意気投合したのだ。だから、生まれる前からずっと一緒。

 予定通り同じ日に生まれ、共に乳幼児クラブに通い、帰る団地も同じ。小学校でもずっと同じクラスで、相田と市川だから出席番号でもペアになる。高校も一緒。


 そばに蓮がいないのは、トイレと更衣室くらい。幼稚園の頃はそれに納得できなくてあたしはしょっちゅう蓮を引っ張り込もうとしたんだって……園の先生、さすがにそれはってるよね。全然、記憶にないし。

 とにかくいるのが当たり前すぎて、知りすぎていて、他の奴らとは比べようがないほど近い他人。それが市川蓮だった。




 蓮のことをどう思っているのかと迫られるのは、大概、蓮のことを好きな人がいるとき。またはあたしに付き合っている相手がいるときだ。

 蓮はあたしにとって空気みたいなもの。あって当たり前で、それについて感想も何もない。毎日、知らないうちに吸って吐いてしてるだけの空気を美味しいなんて言って歩いている奴は、どうかしている。


 だけど人にはそれがなかなか理解されない。「兄弟みたいなもの」と言っても「でも、違うじゃん」と一蹴される。違うかどうか、あたしには兄弟がいないからわからなくて、答えようがないのだけれど。

 わかってもらえないと、もう正直めんどくさい。空気についての感想を搾り出そうとしても言い訳じみたものしか出てきやしないし、そもそも何を答えたって一緒。結局相手の問題だから、あたしの答えがなんであっても意味なんかないんだ。

 付き合ってる相手には信じていてほしいのに。

 あなたの隣にいるあたしや、蓮のことを。


 蓮に負けるわけにはいかないんだなんて言って張り合うけど、全然勝ってるよ? 比べ物になんないよ。意識する意味もない。

 ……どんなに伝えても無駄。腹が立つくらい届かない。


 いもしないライバルに疲れて距離を置かれ、別れを切り出されるまでがセット。

 あなたにとってあたしはその程度だったんだって割り切ろうとしてきたけど、もううんざり。

 毎度、毎度、この先もずっと、あたし空気なんかに阻まれて一人で生きていくの? 

 冗談じゃない。



 だから邪魔なアイツと未来永劫お別れすると決めた。

 上京する。田舎を出るんだ。進学先は決まった。もう二度と帰らない。

 家族には観光旅行に来て貰えばいいし、祖母や蓮のとこのおばさんたちには年賀状でも書けばいい。

 とにかくあたしの周りから蓮の存在を振り払わないと、幸せな未来はないのだから。



 空港にあたしを見送りに来た友人が、口を揃えていまさら決心を鈍らせるようなことを言う。


「お別れなんて言って、すぐ寂しくなるよ? 絶対。蓮とはずっと一緒だったんだからさぁ」

「未来永劫なんて言わず、いつでも帰ってきなよねっ。悪いことは言わないから」


 自分達だって田舎を出るくせに。帰ったっていないじゃないか。無責任だなと言いかけて……そうだ、帰郷したところでタイミングを合わさない限り、顔を見ることもないんだと気づく。

 狭い田舎を出たら誰もあたしを知らない。当然蓮のことを知る人もいない。未来永劫なんて誓わなくても、蓮の影に邪魔されることはもうない。

 あたしはすでに自由なんだ。


「そっか。前言撤回。帰る。いつでも帰ってくる。これから出会う人は誰も蓮のことを知らないんだし。自由じゃん。二度とアイツに邪魔されたりしない」


 両手を広げて抱きつこうとする私をひらりとかわして、友人二人は目配せをする。


「うーん。あんたがフラれるのは、そういうことじゃなくてだよ。考えてもみなよ。苺の彼氏が揃いも揃って市川蓮のことを気にするのは、ねえ?」

「言っても無駄無駄。あんたたち、ちっとも自覚がないんだもん。蓮もそうだけど、苺がどれだけ蓮のこと……おっとあたしたち、お邪魔だね」


 歯にものが挟まったような言い方をしていた二人は、じゃあねと手を振り走り去った。

 ちょっと、薄情じゃない? あたし今から飛行機に乗るんだよ。

 次、会えるのいつか、わからないんだよ?


「苺」


 背後から名前を呼ばれる。くぐもった低い声。

 聞きなれたはずの声が、熱を帯びて聞こえる。こんな声知らない。


 田舎に別れを告げるとき、あたしは初めて本当の蓮に出会ったんだ。

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