ある男の記録

御影イズミ

88回目の誕生日

 異能力世界エルグランデ。

 時は異世界進行が行われるよりずっと前の話。



「いやあ、誕生日、誕生日かぁ……」


 てくてくと施設の廊下を歩きながら、空に浮かぶ今日の日付を眺める男が1人。


 《無尽蔵の生命アンフィニ》研究被検体第4978番。

 コピーチルドレン・怠惰の者スロウス

 黄昏の後継者。組織の異端者。エーリッヒのまがい物。


 ……などという様々な異名を持つ彼の名は、エーレンフリート・アーベントロート。通称エレン。

 この世界で突如誕生した異能力《無尽蔵の生命アンフィニ》を持ち、その身体は不老を得て生き続けている。


 そんな不老な男が生まれてから長らく気にすることがなかった誕生日だが、何故か今回だけは気になって仕方がなかった。


 88回目の誕生日。88歳になる日。

 8という数字は横にすると無限の形になり永久が続くということから、エレンは8と言う数字をそれはもう大事にしていた。

 それが、2つも並んでいる。まさに無限と無限が折り重なる数字! と、なぜだかワクワクしてしまっていた。


「おや」

「おっ、エーミール」


 ふと、曲がり角で兄――というよりも同じ研究の被検体先駆けな男を見つけた。エーミールという名を呼ぶと、男は顔を輝かせて弟とも言える存在のエレンに向けて誕生日おめでとう、と笑ってくれた。


 同じ《無尽蔵の生命アンフィニ》研究に参加した者は、皆長く生きることは出来ていない。故にエーミールは、88回目の誕生日を迎えることが出来たエレンに対して喜びを浮かべている。

 これまでに何度も散った命を見てきたエーミールの喜びようは、自分が持つ喜びとはまた違う。生きられたことを嬉しく思う、長く生き続けたことへの感謝を込めた喜びが秘められていた。


 今日は何処かに食事でも食べに行こうと誘ってくれたエーミール。他の弟達も一緒に祝いたいだろうからと、色々と準備をしてくれているのだそうだ。


「で、費用はエーミール持ち?」

「まさか。兄さん持ちですよ、ご安心を。……何処に行きたいかわからなくて困ってたので、後で会いに行ってくださいね?」

「うげぇ、今日って研究所いる日だよな。会いに行って大丈夫?」

「大丈夫大丈夫、あなたの誕生日なのですから。行ってあげてください。ね?」

「うおー、あの研究所にいる時の兄貴、めちゃくちゃ怖いから行きたくねぇ~~。エーミールもついてきてくれよぉ」

「残念ですが、私はこのあとお仕事があるので。もう子供じゃないんだから1人で行ってくださいねー」


 ひらひらと片手をゆるく振ったエーミールはその場からスタスタと早足で離れ、エレンを置いていく。兄たる存在に置いていかれるというのは、88歳となってもちょっと心細いとはエレンの言葉。

 だが今日は自分の誕生日だ。めそめそなんてしてられない! と勇気を振り絞ったエレンはもう1人の兄であり……《無尽蔵の生命アンフィニ》研究の主導者の下へと向かった。



 《無尽蔵の生命アンフィニ》研究の施設は厳重に閉ざされているが、この施設で育ってきた者達は難なく通れる。故に、エレンも同じように通る事ができた。

 数人の研究者たちがエレンに向けて小さくお辞儀。エレンも軽くお辞儀をすると、ゆっくりと兄を探し始めた。


 大掛かりな機械がいくつも動く中、研究者たちが吹き抜けの廊下を見下ろしている。同じようにエレンも吹き抜けの廊下を見下ろすと、そこにいたのは……。


(……あ、兄貴)


 沢山の子供たちに囲まれた、代赭色の髪を持った男――エーリッヒ・アーベントロート。後に金宮燦斗と名乗る男がいる。子供たちは皆エーリッヒのそばにまとわりついては、抱っこされて、頭を撫でられて、両手を握りしめられている様子が伺えた。

 子供たちと遊んでいるように見えるが、実はこれも立派な研究の1つ。《無尽蔵の生命アンフィニ》という力を移植された子供たちは細胞の一つ一つに異常をきたす場合があるため、エーリッヒはその異常がないかどうかを確認している様子だった。


「はい、いい子ですね。元気で何よりです」

「えーりっひおにいちゃん、ぼくもー!」

「あー、ずるい! ぼくもぼくもー!」

「はいはい、順番にですよ。今日は私1人なので、順番に~」


(……兄貴、人数が多すぎてキレてるなぁ……)


 仕事をする兄を見下ろしながらも、エレンは兄たる人物の様子に感づいていた。

 もともとエーリッヒは子供が好きじゃない。それは、自分が生まれたときから相手をしてくれていたからよく知っている。88回目の誕生日を迎えた今でも、自分を相手にしてくれたエーリッヒの顔は忘れられない。

 むしろ子供の相手をする必要が出てしまった仕事をずっと続けているのが不思議なくらいだ、とエレンはほんの僅かに笑う。兄たる人物を尊敬はしているが、こればかりは本当に不思議だと。


 そんなエレンの姿を見つけた子供たちが、一斉にエレンに指差し始めた。エーリッヒがその言葉に気づいてエレンに振り向くと、そこにあったのは、まあなんとも素敵な兄たる人物の笑顔。生まれてこの方見たこと無いような笑顔があった。


「うおっ……兄貴、相当キレてる……」

「えれんおにいちゃーん! だっこだっこー!」

「だーーっこーーー!!」

「ええい、わかったわかった! すぐに行くから待ってろガキ共!」


 名指しされて呼ばれてしまっては行かざるを得ない。エレンはすぐさま研究者用のロングコートを羽織り、エーリッヒと同じ現場へと足を運ぶ。


 入った途端にわらわらと集まってきた子供たちは、その持ち前の体力を生かしてエレンに飛びかかる。子供の体力というのは恐ろしいもので、若人の体力と姿を持つ彼でもしっかりと立つことが出来ず、倒されてしまった。


「あはは! えれんおにいちゃん、よわーい!」

「えれんおにいちゃん、えーりっひおにいちゃんよりよわーい!」

「やかまし! 抱っこされたいなら一列に並べ! 俺ぁ兄貴に用があるんだからとっとと終わらせるぞ!!」


 テキパキとエレンも子供たちの様子をチェックし、大人数の調査を行う。施設にいる子供たちは皆、このやりとりをただの遊びだと思っているようで、時折エレンやエーリッヒの髪を掴んで離さない子も現れた。

 だが、もうすぐ運動の時間だとエーリッヒから告げられた子供たちは名残惜しそうにも離れていく。運動担当はまた別の研究者が行ってくれるため、全員のチェックを終わらせたエーリッヒはエレンと共に子供たちを見送った後、貼り付けていた笑顔を取っ払って眉間に皺を寄せ、愚痴を呟いた。


「研究のためとはいえ、1人はしんどいっつーの……」

「はは……兄貴、おつかれさん。悪いな、入るのが遅れて」

「お前がいると知った時はマジで1回首を締めてやろうかと思ったぐらいだ。……で、なんの用だ。さっき、用があると言ってたが」

「ああ、それなんだけど」


 用を告げようとして、ふと、エレンは頭にある思いが過ぎってしまった。


 ――あの子達はこれから先、生きられるかもわからないのに……俺が誕生日を迎えた事を喜んでいいのか? と。


 さっきまで抱っこしていた子供たちは、いつ死ぬのかもわからない。たった今、死ぬことだってありえる研究体だ。そんな子供たちを前に、自分の88回目の誕生日を祝っても良いものなのだろうかと、傷心気味になってしまった。

 自分が喜ぶ合間にも死んでいる《無尽蔵の生命アンフィニ》研究の子供たちがいる。それを考えてしまうと、どうにも口が先を告げる事ができなかった。


 だから、エーリッヒはエレンに思いっきりでこぴんをした。そんな心構えではこれから先を生きるのも辛くなるぞ、と。

 既に数千人もの死を見てきたエーリッヒの顔は、揺らがない。死を悼むことは大事だが、他者の死に囚われることは己を殺してしまうことと同じだと彼は呟いていた。


「……兄貴は、辛いって思ったことねーのかよ」

「ある。けれど、持ち手のいない風船のように勝手に離れていったよ。……今のお前の年齢のときにな」

「え、マジ?」


 エーリッヒもまた、同じ感情に陥っていたことに驚くエレン。

 普段から仏頂面で、時には笑顔を無理矢理作って貼り付けているような人物が傷心する場面なんてあったのかという点が1番驚いたが、その前に自分と同じ年齢――88歳という少し遅めな年齢の時に、全てを悟っていたことにも驚いた。


 そして、ふとエレンは思う。《無尽蔵の生命アンフィニ》を一番最初に所持しているエーリッヒの年齢は、今いったいどのぐらいなのだろうと。


「……兄貴って今何歳だっけ」

「135。だから、もう47年前か」

「ひゃ……っ!? え、そんなに……?!」

「驚くほどじゃないだろう。そもそも常人から見れば、お前だって驚かれる年齢だろうに」

「ま、まあ、そう、だけどさ」

「そんな常人達も、あの子達の死を悼みながらも自分の誕生日を祝っている。それと同じことだ」


 冷酷なことだがと呟いたエーリッヒは、携帯端末を片手にスケジュールの確認を取る。後は報告書をまとめるだけなので、この後のエレンの誕生日を祝う食事はどうするかと問われ……エレンは考えた。


 さっき相手にした子供たちがいつか死んでしまうのならば、その子達を忘れないためにも子供たちと一緒に誕生日を祝って欲しい。そういう願いを付けて。


「……正気か? さっきまでしょげていたくせに」

「俺に出来ることはなんだろうって思っただけだよ。っつーわけで兄貴、セッティングよろしくな!」

「まったく……上に連絡つけるのも大変なんだぞ……」



 大きなため息をついたエーリッヒは端末を操作し、様々な権限を貰った後に準備を進めた。子供たちにもヒアリングを進めて、どんなパーティにしようかと思い悩んで。


 そうして開かれたエレンの88歳の誕生日パーティは、彼の心に、子供たちに、そしてエーリッヒの記憶にも残るものとなって開催された。

 子供たちの生きられない分を、生き続けてやる。そういう気持ちを心に残して。

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ある男の記録 御影イズミ @mikageizumi

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