6, 幸福と記録


 「ね、百合、知り合いでしょ?」


 にこにこ笑顔を絶やさず振りまく兄が視界に入ると同時に、少女が抱きついて来た。

 うわ、と思ったが思っていたほど小さくて軽くて衝撃はあまりない。


 「初めまして! おはようです! 沙菜穂です! 宜しくね、おねーちゃん!」


 元気一杯な自己紹介を言い終えるとにぱーっと笑う。そんな少女はどこか兄の面影がある。颯一実の兄ではなく、旺耶他人の兄の。

 颯一はそんなやり取りを素通りし、私の側にあった荷物を持ち玄関を抜けて行ってしまった。旺耶もそれに続いた所で沙菜穂から「おねえちゃんも入って! お部屋は二階だよ!」と引っ張られ、私は志岐家にお邪魔することとなった。

 外観と変わらず、綺麗かつ優しい雰囲気の内装だなと思った。通されたこれから自室となる部屋には、日当たりの良い机とベランダがあった。颯一曰くベランダは三箇所あるから好きに使えばいい、との事らしい。


 程なくしてリビングに案内された私は兄とさっちゃんの会話を聞く。聞くだけならカップルだ。勘弁してほしい、犯罪にしか聞こえない。二十七の教師と小学六年生の会話であるには、距離が近すぎる。


 「あ! 先生! またひどいクマ作ってる! 徹夜したでしょ!」


 沙菜穂の言葉に あはは…… と弱く笑いながら兄は汗をうかべる。何故バレたんだろ と言いたげな顔をしているが、赤の他人がみても分かるほど目元には濃いクマが染み付いている。

 むう、と頬を膨らませた沙菜穂は、兄の両頬を幼い小さな手で、ぷにぷにと触り始めた。


「許さないんだから! ちゃんと寝てよ!」


「ごめんってば……」


「アイス奢ってくれたら許してあげる!」


「えぇ……将来ちょろい女の子になっちゃうよ」


 そんなやり取りを目の前でされたものだから、頭を抱える。ちらりと颯一の顔を見る。彼は平然としていて、こちらの視線に気づくと「……いつも通りだ」と呟いた。いや、止めろよ。何慣れてんだこいつ。

 冷ややかな目を兄に向け、呆れたように呼んだ。


「兄貴……」


「百合、冗談だからそう拳を強く握らないで」


 焦る兄に、「問答無用!」と拳骨を一発お見舞いする。「あ痛ぁ!」と悲痛な叫びが響くと共に、袖口で口を抑えて堪える、颯一の隠しきれない笑い声が耳に残った。


 そんな会話をすませ、二人で外へと出ていくと言った。玄関先まで出て、颯一と共に二人を見送る。生徒に見つかったら終わりでは、なんて考えがめぐるが、遠目から見ればただの兄妹、親子に見える。杞憂のようだ。

 隣に立っていた颯一は頑なに話そうとしない。せめて何か話してほしい。こう思ったのは初めてじゃないようで、違和感を覚える。

 「颯一」と呼ぶ。返事はないがこちらの目は見てくれる。綺麗な瞳で見つめられると、少々困るのだが。

 呼ぶのはいいが、話題がこれっぽっちもない。うーん、と頭を捻るも、朝の報道番組しか出てこなかった。


 「たしか、好きだったよね。颯一。あのバンド」


「……他に聞きたいことないのか」


 もう大分と先に行ってしまった二人の背中を見つめ、彼は言う。「え」と戸惑いの呼吸が入ったところで、彼は一つ冷や汗を浮かべていた。その瞬間私の方をぱっと向き、がしりと両肩を握られた。ぎゅっ、と掴まれてしまい、恐怖で震えてしまう。彼の目は戸惑いの色があるものの、真剣だった。

 数秒、視線が交差する。表情はお互い、変わらない。颯一は、手を離すと溜息を吐き、こっちへこい、と手招きをしてきた。話がある、といった雰囲気で緊張してしまう。


 私の部屋の隣、即ち颯一の部屋に招かれ、指定されたソファに腰掛ける。彼はぽつぽつと話し始めた。


 「確認が先だ。お前、をどこまで覚えてる?」


 部屋に入る前に用意されていた、氷の溶けかけたジュースを口にし、答える。


 「……なんのこと?」


 彼は少し寂しそうに俯いた。そのあと、ぽつりぽつりとこの世界はループしていると話してくれた。

 正直言って、理解はできない。したくない、と言えばそうなのかもしれない。家族が死ぬ理由がわからないまま、尚且つ友人も次々にいなくなるってことに耐えられない。果たして、誰が信用したいと思うのだろうか。

 けれども、颯一が嘘を言っている訳では無い、というのは痛い程わかる。


 「おまえ、今日起きて涙が出なかったか?無意識に」


 図星だった。彼の目を見て、コクリ、と頷くと、「それが証拠だ。兄貴がいなくなるのは現実だったからな」と返される。


「そうか。……思い出させるのも辛いが、記憶の管理人がいる。そいつと接触すれば嫌でも思い出すはずだ」


「管理人……?」


「お前はあんまり関わりたくないかもな」


 颯一は近くにあったノートを手に取り、カチカチとシャーペンの芯を出した。


 「全部メモしてやるから、政府にある自室に入れとけ。彼処は時空の干渉を受けねーらしい。とは言っても時間は流れてるらしいけどな」


「そうなの?」


「現実世界の一分は湊地区の一時間だ。だから睡眠とかは湊地区の方が効率は良い」


「とんだチートじゃん」


「ある意味都市伝説だからな」


 ループ世界のこと、関係者、湊地区の地図(といっても行ける場所は限られているからあまり意味は無い)、そして政府の構内図をさらりと書き上げ、パタンとノートを閉じた颯一は再度こちらを見る。


「このループの鍵は三つだ」


 真剣で、でも何処か苦しそうな瞳で颯一は語る。その話に緊張感を覚えながら耳を傾ける。


「一つは臎。あいつが死ねば世界は壊れると思えばいい」


 脳裏に、私の中の臎の記録が再生される。笑ったり、喧嘩したり、時には恋する乙女の表情をする彼女が。

 そして、存在しないはずの記憶が駆け巡る。彼女の瞳よりさらに濃く赤黒く濁った水溜まりが、彼女から広がるさまを。

 どっ、と汗がにじみ出る。手は震え、持っていたコップを落として割ってしまう。パリン! といった音にビクリと反応する。


「あ、ぁ、ごめんなさ……」


 弱々しく謝ったところで、このコップが元に戻ることは無い。幸い、液体は飲み干していたので、床が濡れることは無かった。

 拾わなきゃ、と思い手を伸ばす。颯一は「触らなくていい」と言いながら立ち上がり、新聞紙で破片を集めて包んだ。包みながら、彼はこれ以上話すのはどうなのだろうか、と呟いた。その横顔に、私はここで聞かなければ逃げることになるのでは無いかと感じた。

 決意をするべきは、彼ではなく私だ。

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