第2話「商談」

 イスタニア王国の一都市タニタは、近年発展してきた街である。その理由は明確であり、すなわちイスタニア現国王が奴隷制を正式に認め、その主な取引をこのタニタに限ることを定めたためである。


 この政策は諸々の思惑・国内事情が絡み合っての結果であったが、しかしそこに間違いなく大きな影響を与えたと思われる人物が1人いる。


 それが、タニタの奴隷商人ルイス・アクロイドである。


 皇太子との個人的な繋がりもあるとされ、本人の冷酷で無慈悲な性格、そして小賢しいとも言える商才をもってして、他に正式な領主がありながらタニタを実質支配しているのが彼だった。


 かつてはその身一つで成り上がった男だが、初老となった現在ともなれば取引の規模も比較にならないほど大きく、彼自身が“商品”の取引に直接関わるようなことは稀となっている。


 とはいえ全くないわけではない。重要度の高い大口の取引は、未だに彼が表に出てきて主導する。商人としては当然のこととも言えた。


 そして彼はその日も、とある客への応対に出てきていた。取引の肝となる“商品”がそれだけの対応を必要とするものであったのだ。


 しかし初めから、この取引は成立しないものと決まっていた。なぜなら、その一見客が買い取りを望んだ商品は、売る相手がルイスの中で既に決定しているものであったからだ。

 そのため、始めから尋常でない金額をふっかけ、さっさと引いてもらおうと彼は考える。


 ところが。


「分かりました。……旅先でして、あいにくその額の持ち合わせはございませんが、こちらでの支払いで構わないでしょうか?」


 そう言って、ルイスの向かい側に腰を下ろした客であり女は、柔和な笑みを崩すことなく、平然と何かを懐から取り出したのだ。厳重に梱包され、やっと姿を見せるそれは、一見して価値があると明らかな一つの装飾品だった。


 それはブローチであり、模られているのは鷲の片翼。細い羽根はそれぞれ銀で覆われ、下品でない程度にとりどりの細かな宝石で彩られている。細部にまで拘って彫金されており、職人の確かな技術がなければ造りだし得ない素晴らしい一品だ。


 ルイスの提示した金額に釣り合っている、あるいは充分すぎるであろうことは誰の目にも明白だった。


 内心彼は舌打ちする。

 客の懐、すなわち支払い能力を見誤ってしまったのだから商人としては初歩的なミスだ。


 しかし、それというのも客の服装を勘案すればしょうがないとも言えた。

 旅先との言葉にルイスは一応納得した次第だが、とてものこと今回の“商品”を購入しようという者の様相ではなかったからだ。すなわち地味だったのである。

 加えてこれまでの会話から、あまり場慣れしていない印象も受けていた。


 もっと高額を吹っ掛ければ良かったと自身の浅慮を忌々しく思いながら、しかしルイスは表面上何食わぬ顔で商談を進める。本心としては売りたくなかったのだが、一旦提示した金額を今から変えては、それは信用問題に関わる。

 現在の客はもちろん、そこからどこへ伝わるとも知れない今後の顧客をも失うことになりかねない。

 論外だった。


「結構ですね。そちらで釣り合うでしょう。……鑑定書などはありますかな? なければこちらで専門家に見せる必要がでるのですが」


「はい、所持しております。確かな書類なのでどこに出しても問題ありません」


「……ふむ、確かに。こちらもこれで構いません。……では、商談成立でよろしいですかな?」


 ルイス自ら鑑定書の信頼性を判断し、客へと最後の確認をとる。これで了承が出れば契約書類の作成だ。


「はい。お願いします」


 まだ年若い女は始終笑みを崩さない。


 どうにもルイスはやりにくかった。彼が扱う物が物だけに、今回の客はどうにもその場から浮き上がっているのだ。


 対面に座っている女は、特に整った顔立ちというわけではないのだが、決して悪い育ちでないだろうことは容易に窺える。ルイスはタニタの一大奴隷商である。間違っても“常連”と言える顔ぶれの中にはお嬢様然とした者などいない。


 ましてや旅先で奴隷を、しかも一番取り扱いが特殊な“ヴォルフ”を購入するなど普通はあり得ない。

 部下にいくつかの指示を出しながら、ルイスは客に対し好奇心が湧き上がってくるのを感じていた。しかしそれをあからさまに出すわけにもいかない。顧客の事情を聞き出そうとするなど、この業界では禁忌にあたる。


 しかしそういえば、と、ルイスは“ある人物の情報”を思い出す。


「……旅先とのことでしたが、お客様はもしやオルシニアの方ですかな?いえ、私にも隣国に知り合いがいましてな。もしそうでしたら、かの国の様子など教えてもらえれば、と……」


 ルイスは軽く客への探りを入れる。彼女が“ある人物”本人ではないだろうかと当たりをつけて。もちろん言った内容は方便であった。隣国の情報は確かに欲しいが、それはあくまで自身の利益のためだ。


「ええ、そうです。イスタニアには見分を広めに参りました。国境を接していても大部分を山脈が隔てていて、両国の行き来は盛んとは言えませんからね。

 故国の様子はここ数年変わりありません。現陛下の治世が安定しておりますから」


 自然な調子で女は会話に応じる。


 しかし口にした内容は真実を射てはいなかった。オルシニアの現国王ウィル・エリアスは後ろ盾が弱く、異母弟にその地位を脅かされているのだ。本人の能力はそれなりであるようなのだが、それだけではうまくいかないのが国の統治。少しでも物が分かっていれば、間違っても“安定している”などとは表現しないだろうと思われた。


「そうですか、それは何より。5年前に前国王が亡くなった時はどうなることやらと思いましたが」


 探られることを警戒してごまかしたか、あるいは本当に物が分かっていないのか……。


「やはり隣国の情勢は気になるものなのですか?失礼ですが、あまりご商売に影響があるとは思えないのですが」


 さも好奇心だけで口を開いているかのような顔をして今度は女が質問を投げかける。実際奴隷制をとっていないオルシニアが些か政情不安定になろうとも、直接的な影響はルイスの商売にでてこない。


 だが、あくまでも直接的には、だ。


「ええ。あまり関係があるとは言えませんね。あくまでも私は知り合いの暮らしが気になるのです。あちらも同じ商人でして、扱う物は違いますが長い付き合いでしてね」


 ルイスが穏やかに返せば、女も「ああ、そうでしたね。失礼を……」等とにこやかに口にする。


 そのうちに同じ文面の二枚の契約書が彼らのいる部屋に持ち込まれた。ルイス側の押印と客の署名が両方に記されれば取引は完了である。


「ところで、オルシニアと言いますと面白い人物がいるそうですね。……確か名はリーン・ネリアス。ご存知でしょうか?」


 客がペンを取り、署名している最中に問いかける。一番動揺を抑えるのが難しい瞬間だ。


 案の定、一瞬だけ女の手元に乱れが生じる。しかしそれもルイスが感心する程に僅かだったのだが、筆跡には確かにそれが残っている。


「随分と隣国の情報に通じているようですね。その方の名は余り知られてはいないと思うのですが……」


 平静な顔のまま署名を終え、ペンを所定の位置に戻しながら、女は探るように返す。


「おや、そういう貴方はご存知なのですね」


「ええ、我が国のことですから。しかしイスタニアの商家まで一般的にご存知とはとても思えません。……何か彼の方に関わることでもあったのですか?」


「いえ、偶々小耳に挟んだ程度なのですが。……しかしその経歴に興味を持ちましてね。ご成長されればさぞ面白い功績を残されるのではないかと、今から注目している次第なのですよ」


 もはやルイスにはぐらかす気は全くなかった。こちらの立場を明確にするような言葉を口にする。


「……そういえば、私も一つ聞き及んでおります。このタニタの街を実質支配する奴隷商人ルイス・アクロイドは、イスタニア皇太子と個人的な繋がりがある、と。そのように隣国について詳しいのはそのあたりの事が関係しているのですか?」


「さあ、どうでしょうね」


 女の笑みがほんの少し意味合いを変えたようだった。これまでは表面的なものでしかなかったが、今浮かべているものは微かに挑戦的な色も窺える。


「ところで、後は“商品”のお渡しのみですが……。本当にご要望通りでよろしいのですね?」


「ええ。“彼”とは既に話がついていますから、鉄鎖など必要ありません。……それにあっても、“彼”にとっては無いに等しいでしょう」


 表立っては曖昧な反応を返しはしたが、ルイスも心中、女の言葉の後半には同意していた。今回の“商品”、すなわち“ヴォルフ”はとてものこと女一人に扱いきれるものではないのだ。そして同時に女に対する侮蔑の気持ちがもたげてくる。


――奴隷と“話がついている”……?


 何を馬鹿な、笑わせるのも大概にしろ、と、ルイスは嘲笑を抑えるのに必死だった。いかな“ヴォルフ”といえども奴隷であることには変わりない。そしてその身分に落とされた者が言葉のみのやり取りを鵜呑みにするなどあり得ない。


 拘束のない奴隷は奴隷とは見なされないのは当然だ。即ち女の要望は、“商品”の身分解放を意味する。ルイスにとっては正気の沙汰とは思えなかった。


 例え隣国オルシニアが制度上奴隷を認めてなかろうと、それは大きな問題ではない。大枚叩いて買ったものをその場で打ち壊しているようなものなのだ。

 だが、だからこそ、ルイスは女にこの“商品”を売り渡すことに比較的素直に動いたのだ。




 後のことは部下に任せ、女が部屋を出ていくと、ルイスは椅子に座りなおしながらひっそりと笑みを浮かべる。


「あの女とヴォルフを追い、監視しろ」


 短く呟かれた言葉に合わせ、それまでほとんど存在を感じさせていなかったいくつかの気配が壁越しに動き始める。


「……さてさて、“姫君”はただの世間知らずか。それとも本物の女狐か……」


 まず前者であろうとは思いながら、ルイスは一枚だけ残された契約書を取り上げる。二枚目は当然、客の手元にあるのだが、そこには“メアリー・ヒンス”と署名され、既にそのインクも乾いていた。


――仮にもオルシニア王家に連なりながら、偽名を使い国外で何をやりたいのだかな。


 半ば呆れを滲ませながら、ルイスは独り言ちる。


 彼が先程名を出した人物、“リーン・ネリアス”が今回の客であったと、既にルイスは確信していた。署名時の反応だけではない。事前に情報を得ていた外見的要素も一致している。


 ルイスは部屋から出ながら待機していた他の部下たちにも指示を出す。

 1つは“殿下”への報告。彼女に“注目している”のはその“殿下”であり、また余談だが“ヴォルフ”をルイスが献上しようと考えていたのもその人であった。だからこそ競にもかけずに残していたのだ。


「ああ、それとこちらの紙も処分しなさい。……偽名での署名でしょうし、どうせ早晩、意味のないものになりますからね」


 そう言うルイスが示したものは、先程作成されたばかりの契約書。


 その2つを指示された男は黙然と従い、廊下の奥へと消えていく。


 そしてもう1人にも顔を向ける。


「あの客とヴォルフの動向は逐一知らせ、万が一にもこの街から出すことのないように。……意味は分かりますね?

 何しろあの“ヴォルフ”ですからね。多少の損害は構いません。そのように、あとの細かいことはお前が取りまとめなさい」


 こちらも同じく、静かに行動を開始する。その様に満足しながら、ルイスは一人廊下を歩き、次の客への対応に向かう。その歩調には余裕があり、とてものこと予想に反することは起こらないと確信しているかのようだった。





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女王と狼 秋人司 @AkitoTukasa

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