第6話 われ、ほっす
「けっこう美味いね」
「な」
皆が食後に飲んでいる熱々のほうじ茶は先ほど青空が淹れたものだ。熱い湯呑みが皆の臓腑を慈しむ。
「ごっそうさま」
食後のテーブルを海斗が拭きだしたのをきっかけに部屋の掃除が始まった。学校もない、仕事もないこの世界で長男だけが朝食の後の時間こそ掃除だのなんだの言っていた。不思議なことにこの空間はそのような作業すら不要なようだが、樹は楽な方に流れなかった。
「生きることは埃を出すこと」、が口癖だった長男の言葉を借りれば、埃が出ないと言うことは生きていない証でもある。「掃除がしたい」とは「生きている実感が欲しい」と同義語かもしれない。
「生きている実感」とは?考えても答えが出ない。
出てくるのは長男の最期の笑顔だけだ。
応えはでないけれど、目の前の椅子を拭くことはできるし、食器を洗うことはできる。いま、できることをやるしかない。兄弟がもくもくと拭き掃除にいそしんでいた折、赤色髪の次男がぼそりと呟いた。
「オレさぁ?帰ったら焼肉行く。で、店員さんナンパしていい?一緒に食べんの♪」
「おれはマッ●だな。フードコートで。ガキがウルセェとこ」
「ソラがガキなのに?」
「っせ!」
「僕は本屋ですね。モール内の」
「俺はコーヒーだな。チェーンの。たまにはモールの中も悪くない」
不思議なものだ。人付き合いが煩わしいと思ったこともあったのに、今じゃあの煩わしさが懐かしくなって欲しくなっている。『いらっしゃいませ』なんて笑顔で優しくされたらプロポーズしかねないし、今ならアイスを持った子供にぶつかられても「俺のズボンがアイスを喰っちまった」を言える気がする。「生きている実感」なんて、きっとその程度の積み重ねなのだ。兄に会えたら百億回ブン殴ることは当たり前だけれども、ただ、兄はその実感を手にしていたのだと思えば。恨むことはできない。
「ま、そんでも喋り相手がいるだけで御の字なのかもだけどね?」
「つかチームが家族って相当ラッキーじゃん?これで初見のヤツと同室だったらマジ詰んでたわ」
「ルール決めだの協調や親睦のだので余計な疲労はしただろうな」
「親睦会ってwUNOでもすんの?地獄なの?」
「わからないよ?オンナノコとツイスターゲー●かもじゃん♪」
「先生!おれ!おっぱいのおっきいミニスカの子がいいです!」
げらげらと笑う赤水色二人を横目にで銀司がモニター画面を拭いている。
無心でそこかしこを拭いていると長男のことを忘れることができるなんて知らなかった。兄から教わるべきことはもっともっとあったのに。
パパーン!
くつろいだ頃、天の声(アナウンス)はやってくる。
『おっはよぉう!よく眠れたかなぁ?今日はちょっとだけ運動が要るゲームだよぉ♪もちろん得意な子じゃなくても大丈夫★がんばればクリアできるからねぇ★』
紅緒が立ち上がったが、誰も何も言わない。屈伸運動をしてはストレッチで背筋を伸ばしている。
『お?紅緒くん行く!?今日も真っ赤なTシャツがカッコうぃーねぇ!』
「どーも♪」
『もしかしてお兄ちゃんが死んじゃってヤル気スイッチはいっちゃった?紅緒くんのスイッチってレバー式?ボタン派?』
「ボタンじゃない?あんたらへの殺ル気をOFFにするつもりないから♪」
『うまいこと言うなぁ★さっすが元ホスト!歌舞伎町で働いてたのは?15年前だっけ?』
「いやいや。もうちょい若いよ?オレは♪」
『ゴジラあった?』
「なかったな」
『ドンキはあった?パシられた?なにするの?』
「あった。パシりなんて当たり前だっつーの。煙草とライターなんて目ぇつぶっても買いに行ける♪」
『闘えない役立たずはトカゲのしっぽって切られちゃうもんね♪キレたことなかったの?』
「別に?オレが成り上がればいいだけだろ」
『ヒューッ★いいねぇ!かっこいい!!よ!男の中の男!!』
紅緒とアナウンスの掛け合いに三人は入る暇もない。
何か言いたいのに。何か言わなきゃ。何を言えばいいかわからない。なんと言葉を紡げばよいかわからない。口は動こうとするのに声が出ない。顔を上げてはうつむいて、パクパクと口を動かしては泣きそうにこちらを見上げる弟たちに紅緒が笑ってみせた。
「だーいじょうぶだっての!兄ちゃんならぜってー帰ってくるから♪」
「でも!」
「兄さん……」
「じゃあね、カイト、頼んだよ」
まるで留守番を頼むように。指で作ったピースを顔の横でフリフリと赤いTシャツの兄は重低音な電子音と共に姿を消した。
「ベニのときはぜってーなんか言おうと思ってたのに」
「……なにも言えないままでしたね」
青空と銀司が次男の消えた跡を見ながらボソリと呟いてみせる。
なんと言えばよかっただろう?なにが正解だっただろう?
クサくっても「生きて帰ってこい」」なんて言えればよかった?
照れ臭さなんてくだらないもの、今ならシュレッダーにかけられるのに。
もう会えないかもしれないのに、なんだって自分はーー
「アニキは帰ってくる」
「「……」」
「だからいいんだよ」
「「……」」
海斗はゲームが開始する前に、とモニターをショッピング画面に切り替えた。
「ほら。アイスでも食ってろ」
モニターには青空の好きなジャンボなチョコモナ●や濃厚バニラのソフトクリーム、イチゴにチョコレート、抹茶にシャーベット系とコンビニレベルで王道のラインナップが表示されている。
「モナカ」
「僕も」
二人が選んだのは一番金額が低いものだ。ちょっといいアイスを注文したかった兄としては罪悪感を抱えてしまう。
「遠慮しなくてもいいんだぞ?ギンもソラも貢献して獲得した賞金だ。一個千円のアイスだって食っていい。喰うならあのバカがいないうちだぞ?」
「いいんだよ」
「これがいいんです」
「?」
注文したアイスはすぐに届き、青空と銀司はいつ始まるかもしれないゲーム画面(モニター)を気にしながらパクついた。
「うっめ」
「えぇ」
あのときと同じバニラアイスの味に兄弟二人が笑う。
幼い頃の思い出が蘇る。なぜかは思い出せないが、長男も次男もいなくって、三人だけで二人を待っていた夏の日。いつ二人が来るんだろうなんて不安で怖くて、でもそれを言っちゃいけないと泣きたくても泣けなかったあの日。一人一個ずつ買ったモナカアイスがめちゃくちゃ甘くて冷たかった。
シャリっとかじるほどのラクトアイスは喉を冷やし、強めの薬品がよくきいたバニラの香りが優しく頭を撫でてくれた。それを食べていたら涙と不安はおさまって。長男次男が迎えにきた頃には三人のしりとりの最中だと二人が怒られた程だった。
なんであのとき三人でいたのかも、二人はどんな理由で不在だったかも覚えていない。ただ、三人で食べたモナカアイスはどちゃくそ美味かった。あの味は二度と味わえないと思っていたのに。
「ベニ、戻ってくるよな」
「ええ。」
あの夏と同じだ。兄は必ずやってくる。
********************
「いやいや。これってさぁ♪」
わかるよわかる。超絶見覚えのある建物、ギラギラのネオンに看板。知ってる。あそこのコンビニなんて昼も夜もお世話になったもん。あ、いっとくけどコンビニメシは買ってねーよ?自慢じゃないけど親代わりの樹と俺がメシを作ってたから?
でもさ?知り合いがいたら声かけあってたし、下っ端時代にはタバコどころかロックアイスだって買いにパシらされてさ?ジジくせー言い方すりゃ古巣(ホームグラウンド)ですよ?
紅緒が立っているのは新宿歌舞伎町。日本一の繁華街の中心地だ。ぐるりと振り返ると自動販売機には鉄パイプが立てかけられている。使え、いう意味だろうか?
(金属バッドに鉄グギじゃない分、いいのか?)
紅緒は鉄パイプを手に取り、左右にブンブンと振ってみせた。スイングを数回しているうちに通っていたバッティングセンターが思い出される。金属の手触りや感触、なにより夜の独特の空気やニオイは本物にしか思えない。
「なにこれ?『龍が如●』?」
勝手知ったる新宿歌舞伎町(ぽい)周辺。自分がホストを引退して数年経つし、店の入れ替わりはあるだろうが、ビルや区画ブロックの構造は変わってないはずだ。勝手知ったる庭が今回のバトルステージなら自分以外に適任者はいない。メンタルがヤバかった時に寄った喫茶店、煙草買ってたコンビニ、ヤクザを避けるための裏道ルやヤッベェ路はカラダが覚えている。走って逃げるなら任せろ!
「おいおい、白いホストスーツとか00年代が過ぎんだろ!」
紅緒の服装は光沢交じりのスーツになっている。足元もツヤツヤとエナメルの白ローファーだ。
誰だこれ選んだの!!いまどきのホストってジャニーズみたいな王子風とかカワイイ系だかでスーツなんて着ないんじゃなかった?いや、一周してスーツカッコいいの?え?どうなの?若い子的に。
(ま、現役みたいで気分は悪くないけどね?♪)
ポケットに入っていたヘアゴムで紅い長髪を後ろでひとまとめにくくっていると、なにやら建物の向こうから声が聞こえてきた!!
(誰か来た?)
この舞台がまだ「●が如く」と決まったわけじゃない。だからストーリーやクエストがどうとかはわからない。ただ、アクションバトルゲームだったら慣らし運転のための雑魚キャラが出てくるところだ。紅緒が気を引き締めるように鉄パイプを握りしめるとーー。
『ベニ!』
天から弟の声が降ってきた!!
『言っとくけどアクションとかバトルゲームじゃねーぞ!』
「ソラ!?」
紅緒は辺りを見回したが弟がいる気配はない。あちらから画面は見えているのか?チームの誰かが介入できるのか?
『その歌舞伎町で××ב!“#$%&’()――きゃいけないんだ!』
「えぇ!?聞こえねー!!」
天の声が消えた!まだわからないことだらけだったのに!四男を呼ぼうとした時だった!顔色の悪いコドモたちが角を曲がってきたのだ!子供といえど歌舞伎町でのコドモとは16〜8歳くらいの青年たち。五、六人ほどの彼らはフラフラヨタヨタとよろめいた歩き方に白目や焦点の合わない瞳(目)でこちらに向かって歩いてくる。白すぎる肌の者、膿んだドス赤黒い肌の者。どう考えても生きている人間とは思えない。
「んーと……?とりあえず、逃げで♪」
紅緒は鉄パイプを強めに握りながら足早に歩き出した。現れた子供たちは紅緒のあとを追いかけてはくるが、走ることはできないようだ。集団とは段々と距離が開き出す。
「バトルじゃない、って言ってたな?」
(聞いておいてよかった)
そうでなければバイオハザードよろしくどんどん殺しては無駄に体力を失って自滅したに違いない。大通りまで出たところで振り向くと、若者集団は見えなくなっていた。あの速度だ。ここまで追いかけてこられないかもしれない。
今回のゲームは今時の新宿に寄せているらしい。あちらに行けば例のゴジラはもっと見えるだろう。もしかして自分以外の人間もこのステージにいるのだろうか?そのときは誰かを蹴落とさなければいけないのか?あるいは?もしかして今度は誰かと協力するのだろうか?
(協力?考えたこともなかったけど――)
(あっちなら誰かいるかもな!)
とりもあえず、日本一有名な繁華街のアーチに足を向け、走り出す。
これが『龍●如く』じゃねーならなんだ?ゾンビいるぞ?『バイ●』ってことでFA?(古い?)で?これで謎解き脱出ゲームとか馬鹿なの?情報が渋滞してるっつーの!!
『兄さん!』
「ん?」
また天から声が降ってきた!今度は海斗だ!
『こっちでも色々考えてみたんだ!そこって歌舞伎町にそっくりな街だろ?』
「おう!」
『ギンが言ってた!クリア条件はホストの逆じゃないかって。ほら!これまでのゲームクリアは全部逆だったからって!』
「で?なに?」
『ごめん。それはまだわからない。こちらでも色々考えてはいるんだけど――』
確かに『歌舞伎町』や『ホスト』はヒントの気がする。ただ、弟たちはこんな界隈を知らない。答えが思い浮かばなくっても当たり前だ!(正直その方が兄としては嬉しい)
『とにかくみつけるから!待っててくれ!』
「サンキュな!でもま、こっちでもなんとかするわ!!」
紅緒の言葉が届いたのかどうかは解らないまま、通信は切れた。紅緒は後ろを振り向くと走るのをやめた。今のところゾンビ集団は追いかけてきそうにない。
**************
大通りから天をあおげば「歌舞伎町一番街」のアーチが煌々と光っている。味方でも敵でもない。ただただ赤いだけの光が辛い。
ま、とにかく「龍●如く」と「●イオ」に見せかけた『歌舞伎町からの脱出ゲーム』ってわけね?100%了解でっす!
とはいえ。なんで歌舞伎町なんだ?歌舞伎町って言ったらなんだ?
飲み屋?ホスト?キャバ嬢?風俗?ヤクザ?海外マフィア?半グレ?いっとき流行ったキッズ?ドラッグ?逆に行列のできるラーメン屋?いまどきアルタ前とか言わないよね?
ここは観光地化してきた一番街だからヤクザとマフィアの線は消してもいいかもしれない。
だが先ほどのガキのゾンビはなんだ?あれが噂のトーヨコ系って?
ドガッ!どがっ!ドガっ!!湧き上がる苛立ちを壁にぶつけだす。
「ザケんなよ」
潰し合いの末にのし上がる奴しか生きていけない街で、金のない子供はお呼びでない。所詮ガキが金を稼いだところで、もっと金を動かす連中の餌食になるだけだ。もちろん子供を喰らう大人は悪いが、こんな街に自ら来た子供を一方的に擁護する気にはなれない。
「愛されたいなら、闘えってんだ!逃げてんじゃねぇぞ!!」
ガッ!どガッ!ドゴっ!!!
数度か壁を蹴り終わったら、今度は呼吸を整えだす。
この街に必要なのは金と経験値?いや、それも含めた金だ。
そして?(ウラじゃともかく)この一番街で大っぴらに金(街)を動かすのは?酒だ。飲食店のことをまとめて水商売って言うくらいだ。
なんだかんだで酒はキーワードかもしれない。念頭に置いておこう。
脱出ゲームのステージが歌舞伎町な理由。俺がホストのスーツ着てる理由は?
酒?ホスト?金?考えろ。考えろ。自分を、常識を疑え。
「あぁ……」
白黒ファッションのゾンビたちがゾロゾロと歩いている。ゆっくりでカタツムリほどの遅さだからまだ追いつかれないだろうが、こちらに気がつくのも時間の問題だ。
落ち着け。バイオハザードでもなければ喧嘩で解決のヤクザバトルでもない。これまでのゲームクリアの傾向からしてきっとそうだ。真っ当にクリアしようとしたら負け。
「すべて逆」
これがこの空間での一連のゲームクリアの条件だった。少なくとも俺たちは全部裏をかいてクリアしてきた。だから今度もきっとそうだ。量産型のザコをいちいちまともに相手をしている場合じゃない!
「うわああああああああ!!」
声に顔を上げると、青年男性がゾンビの群れに向かっているではないか!掛け声とともにそこらに赤い血潮が飛び散り、それはよくあるC級映画で人間がゾンビに勝利している希望に満ちた姿だった。ゾンビの頭をわり、踏み倒し、なぎ倒し。ちぎっては投げちぎっては投げ。思わず完成を揚げたくなるほど、甘美な戦闘。ーーだが、倒しても倒しても起き上がるゾンビは休む暇など与えてくれない。
「うあああああああああああああああああああ!!」
青年は悲鳴ともに体を裂かれ、肉体を食らわれ始めている!
「だよね?」
彼には悪いがこちらも命は大切だ。加勢して自分が殺されてどうする?ミイラ取りがミイラになんてーー
「いやまぁアレ、ミイラじゃなくてゾンビなんだけど?♪」
ソラがいれば最低なジョークも笑ってくれるのに。はぁ、なんてため息とともにパイプを握り直してみせる。
鉄パイプはあるが、あの数相手ではキリがない。何かないか?一度に雑魚を倒せるマシンガン?ガトリング弾……いっそ手榴弾?火炎瓶?ロケットランチャー?
バカ!おちつけ!かんがえろ!おちつけ。おちつけ。おちつけ。おちつけーーーー
「できるかあああああ!!だぁ!頭脳プレーはカイとギン向けなんだよ!あー!!」
(焦るな!って言う方が無理じゃね?)
ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしりっていた時だった。
「おお!?」
目に飛び込んできたのはギラギラひかるドン・●ホーテそっくりな巨大ビル!陽気な歌が流れていないのが変な感じがするが、考えたらドンキではなくドソキやドノキかもしれねぇじゃないか!それじゃあ歌は流れなくてもしょうがない!
(なんだっていい!食い物!いや、それ以外だ!きっと何かある!)
それは勘であり、賭けだった。ゾンビはまだこちらに気がついていないが、仮に店内まで追いかけてこられたらあのジャングルで勝てる気がしない。
(指くわえて見てるとか?オトコのやることじゃねぇっしょ!)
負ける可能性より勝つ可能性を視るのが次男だ。そうやって夜の世界を闘ってきたのだ!
(ゾンビより早けりゃいいんだろ!?)
賑やかなポスターを抜けて階段を降りた。どうして地下に走ったのか自分でもわからない。だけど勝手に脚が動いたのだからしょうがない!
(いちいち考えるな!)
(分析に意味はない!)
大量の菓子、つまみ、調味料、大量に並ぶドリンク類を確認しつつも足を進める。食料は大切だが、とても今すぐ何か役に立つとは思えない。
(なんだ?何がある!?)
タオルと硝酸でインスタントダイナマイトを作った少女マンガがあったがーー今こそあんな知識が欲しい。科学で解決できるほどの頭脳なんて持ってないし、ゾンビ殺しまくってウェイできるほどケンカも強くない。新宿で硝酸なんて売ってないだろうし、今からうんこで作れるわけもねぇし!オレ、人類が石化した世界で生き残れる自信もねぇわ!
(ちがう!これはマンガじゃない!落ち着け!考えろ!もっとなんかーー)
「お?」
紅緒の脚がリカーコーナーで停まる。
自分で言っていたじゃないか!歌舞伎町は酒の街。酒がこの街を握る。
人間は酒の餌食。奴隷。そう、酒が人の運命を握っているのならーー!!
「イケるわ!」
重くなったレジ籠を抱えながら紅緒が動き出す!がちゃがちゃとやかましくも賑やかなPOP階段を駆け上がると、今度は一階のレジ横に向かった!
「あった!」
自分が働いていた頃からもう何年も変わっていない売り場!愛してる!!
お目当てのものをいくつかスーツのポケットに入れていると、今度はタイミング良く季節の衣料品が目に入った。ガチャガチャに掛けられたジャージをハンガーのまま何着か持ち出して建物の入り口に戻れば――!!まだゾンビたちはここまで来ていないようだ。
「あーよかった」
紅緒は店先でしゃがむと地下から持ち出した酒の封を開けた。ポリエステル100%と表記された長袖のジャージに「スピリッツ」をジャバジャバとかけ、ハンガーの穴から服を通してぐるぐると巻きつければ!出来上がりだ!
「お?案外いいんじゃね?」
ジャバジャバぐるぐる。作業を繰り返して十個ほどできあがった!これだけ作ればいいだろうか?ハンガーの柄が持ち手になることは考えていなかったが、我ながらいいアイディアじゃなかろうか?インスタントダイナマイトは作れないが、酒とハンガーでなんちゃって火炎弾の出来上がりだ!
「くっせぇwww」
理系得意の弟たちならなにかできたかもしれないが、自分には思いつかない。今の自分にできる精一杯。歌舞伎町の土地勘がそれなりで、ドンキになにがあるかを知っていてーー。
「このためにあったってこと?」
振り向き仰ぐが建物は答えない。街を見下ろすゴジラはなにも答えない。目の前の歌舞伎町はがちゃがちゃとやかましいのに、静かだ。夜明けの歌舞伎町とも違う、本当に音のない世界。それは少しだけ紅緒の胸を締め付けるが、同時に「殺っても良いんだ」という安心を与えてくれる。自分を追いかけてきたゾンビ集団が馬鹿正直に大通りを歩いてくれるおかげで不安や怯えが薄れてきた。
「昔も今も世話になりまくりだなwww」
ポケットの100円ライターのレバーを動かし最大火力にして、「スピリッツ」が染み込んだジャージに火先を寄せればーー。
「うを!」
ボォ!と服が勢いよく燃え出した!!
「あっちぃ!あっつ!マジあっつ!!」
ヤバい!柄が短すぎる!アツい!このままハンガーを持ち続ければ自分が燃えてしまう!
(ポリエステル燃えすぎだっつーの!!)
「こええよ!!もぉ、これ、ほんと俺向きじゃないから!いや、バカすぎてオレ向きだけど!」
弟たちには聞かせたくない涙声は咆哮でかき消して!近づいてくるゾンビの集団に向かって走り出す!
「すまんな!」
まず、後方集団の真ん中の連中に向かって一つめの炎を投げつけた!炎はゆっくり歩きだった少年ゾンビたちの服から服に燃え移り、彼らはボォオオ!と音を立てて燃えてゆく。
「そら!」
休む間もなく火をつけたらもう一つ。今度は中盤を歩くゾンビたちに向かって置いて!
「もいっちょ!」
もう一つ!今度は先頭に向けて置いて!
「もいっちょ!」
「もいっちょ!」
「もいっちょ!」
***************
「……もういいか?」
紅緒がはぁはぁ、と尻と手をつき天を仰いだ。大きな炎はゴオオオと音をたててゾンビたちを燃やしていく。やがて動けなくなったゾンビたちは倒れると今度は次のゾンビたちの足止めになる。燃えた肉塊の壁はいくつもいくつも積み重なり、次のゾンビを燃やす。大通りで積み重なった肉壁は巨大な炎になった。炎の中の肉塊は炭になっている。さすがに生き返ることはなさそうだ。
ゲームの世界のおかげかグロテスクな臭いがしないのがありがたい。そうでなければ罪悪感で気が狂っていたはずだ。
「ふああああああ!!」
横断歩道を渡ってこないことを確信したら、紅緒は量販店の前で大の字に寝転んだ。鉄パイプや格闘でまともに応戦していたら体力切れで結局殺されていたに違いない。銃もなく、頭もキレない紅緒なりの攻略だがーーまぁまぁそれなりじゃなかろうか?
が、しかし。
「クリアじゃないんだよなぁ♪」
そうなのだ。ゾンビを殺したからと安心してはいけない。この新宿ステージからの脱出が目的なのだ。
「……アクエ●あっかな」
とはいえジュースくらいいただいても罰は当たるまい。ポケットのライターを確認している彼の爪先が煙草売り場に向かっていることについては触れないでおこう。
**************
「うあああああ!!」
殴っても刺してもダメだった!脳みそをかち割っても無駄だった。倒しても倒しても追いかけてくる!
「なんでだよぉおおおおお?」
走って逃げてもーー。彼が角を曲がった時だった。ゾンビの集団が前からこちらに向かって歩いてくる!
「うわああああ!」
わかっている。どこへ逃げようが、どんなに逃げようが、ゾンビたちは必ず追いかけてくる。足は遅くても逃げられない。こいつらとはまともに戦っても勝てるわけがない。
「なんでだよぉ……」
わからない。もう歩けない。ここが歌舞伎町もどきってことはわかったけど、自分はずっと地元暮らしだし、大学は大阪だった。日本人なら東京のことをみんなが詳しいとか思わないでほしい。走っても走ってもど同じようなチェーンの飲み屋のネオンの繰り返しで区別がつかず、ここがどこかもわからなくなった。梅田ダンジョンの方がマシだ。
最初に変な部屋から逃げて、他のチームをパクって巨大テトリスから逃げた。ババ抜きでは自分が死なずに済んだ。でももう無理だ。ここから逃げてもまた変なとこで殺されるに決まってる!
「もう……嫌だ……」
どこにも出口なんてない。もう家には戻れない。きっと母親にもカノジョにも会えない。見捨てられたのだろうか?最初は聞こえていたチームメイトの声も聞こえない。どこまで行ってもネオンとゾンビだけ。ここは一人で生きるには酷すぎる。森山が朦朧と足を動かしていた時だった。
「大丈夫?」
「え?」
天使?――じゃないか。赤色のひらひらしたドレスに幻を見てしまったのか?
こんな世界で初めて出会う人間が美女だなんて?
俺の脳は死ぬ前についに幻覚を見だしたのか?
「こっち!ゾンビはいないから!」
「あ、うん!」
目の前の女性は男の手を握るとこっちへ来いとぐいぐいと引っ張る。歌舞伎町なんて来たことがなかった彼にとって、どんなに心強いことか!
ふわふわと揺れる巻き髪、揺れるドレスの裾。自分が生きてきた世界では見たこともなかったシロモノ。
(あぁ!やはり女神は本当に居たんだ!)
(助けに来てくれたんだ!)
「ここなら楽になれるよ」
「ラク?」
建物に入り、彼女の横に並ぶ自動販売にずらりと並んだ「それ」を目にすると。
「ボタンを押せば出てくるから。どう使うかはキミしだい♡」
男は眩しく光る自動販売機に吸い寄せられたかのようにボタンを押した。現れたズシリと重たいそれをこめかみにあててーーーー。
パアァアアン!
高い音が歓楽街に響いた。
****************
「うっめぇ!」
ポカ●が冷えていたのは幸いだった。白いスーツや靴も随分と汚れてしまい、これでは夜の王子さまとは言えない。
「これじゃあホスト失格だわなぁ」
すぐ横のコーヒースタンドから失敬したお湯で作ったカップ麺はほかほかとあたたかい。麺をズルッと、スープをずぅっと啜る。ズぅ、ズル。ずる、ずぅ。温かい豚骨ラーメンの汁が腹に沁みたせいか爪先や指の先まで温かくなった。
「っめぇ!!」
歌舞伎町でカップ麺とかw現役時代でもやったことなかったわwww
三十過ぎてこんな無茶苦茶。現実世界ではできないぶん気持ちがいい。
「ローズ?」
「?」
飲み屋街の方から現れたのはドレス姿の女性だった。ドレスと言ってもファンタジーなお姫様ドレスじゃない。肩を出し、腰と尻のラインを強調させたいわゆるキャバ嬢ドレス。そしてその真っ赤なドレスの上の顔は見覚えがあって。
「彩奈?はぁ?なんで!?」
「だよね?ローズだよね?うっわ!ひさしぶり!!なにやってんの!!」
「そっちこそ」
「なんか知らないけどここにいたの」
「だよな」
自分だって上手く説明できる気がしない。「よくしらんけど」としか言いようがない。目の前のオンナの言うことはあっているのだ。
「あたしはゾンビから逃げてたんだけどさ?お腹すいたなーって?色々食べようとしたとこだったの」
目の前の知り合いの手元のコンビニ袋はパンや飲み物が透けている。あちらのコンビニから失敬したとはいえ、カレーパンとメロンパンなんて男子なチョイスに地味に好感度があがった。
「あたしも一緒に食べてイイ?」
「いいけど?」
紅緒が返事する前に、キャバ嬢は隣に座ってピクニックの準備をしている。
「じゃあ乾杯♡」
「なにに」
「えー?二人の再会を祝ってとかじゃないの?そーゆーキザな言葉こそホストの仕事でしょ?」
「じゃあ……このゲームからの脱出を祝って?」
「いいね♡」
カフェラテとスポーツ飲料のペットボトルがゴツンと音をたてる。
**************
「彩奈はここにきてどれくらい経った?」
「えー?どうだろ?一時間も経ってないと思うよぉ?」
「靴とか大丈夫か?」
「うん。そんなこまんないよ」
13㎝の高いヒールで飛んでは跳ねてを見せつけては笑う姿がたくましすぎて、つられて笑ってしまった。
「誰かあったか?女でも男でも」
「何人か会ったけど、死んじゃったね」
ドレスに血がついちゃった、と彼女が笑う。「赤くて良かったな」とは言ってはいけない気がして。
「……そうか」
無難な答えしか言えなかった。
「女はいなかったかな?死んでたのは男ばっか。みんなオラオラ時代のホストスーツだったよ。似合わないデブが死んでたんだけど、いろんな意味でかわいそうだった」
「これ、なんなんだろな。最初は『龍が如●』かと思ったんだけど』
「あ、知ってる!歌舞伎町で百万円払えって言ってくるヤクザと喧嘩するやつでしょ?」
「うーん?」
(そうじゃないような、だけど違うとも言い難い。でも肯定してはいけないような)
「でもゾンビなんて出てくる?」
「出ない」
自分以外の男もホスト風の格好をしていたとは。なかなか良い情報が聞けた。それにいまのところ女はいないらしい。とはいえ昔の知り合いまで現役嬢の格好をさせられている。
これにもなにか意味はあるのだろうか?それともあまりないのか?わからない。なにを疑えばいいのだろう?何がヒントなのだろう?
(樹はよく一人で前回のルールが読めたなぁ)
星の代わりにネオンが輝くだけ。ゴジラやペンギンは何も教えてくれない。
紅緒や彩奈が働いていた時は映画館なんてなくて、まだコマ劇場が建っていた。用がないから歩くこともあまりなかったが、あの界隈はインチキ臭くてダサいニオイがプンプンで。まだ生き残る昭和に己の内面を見せつけられて自分がイヤになった。だけどなぜかこのエリアは無条件で気が緩んだことも覚えている。
紅緒の瞳に過去の歌舞伎町が映っているような気がしたので、彩奈が話しかけて呼び戻した。
「ねぇ?ローズは?このゴジラって見に来た?」
「いや?初めて見た。存在は知ってたけど、みたいな?」
「そうだったの?まぁ、わざわざ来ないかぁ?」
「わざとこっち来ないようにしてたからさ」
「そっか。弟君たち養ってるって言ってたもんね」
「これ、いつできたの?」
「2015年」
「よく知ってんね」
「カレシと来たからねぇw写真撮らなきゃってつきあわされたもん。覚えてるw期間限定の尻尾が東口にあったんだけどね?それのボタンを押さなきゃってーー」
「は?ちょ、今のもっかい言って」
「え?尻尾の話?そこ食いつく?」
「ボタンってなに?」
「尻尾の横にボタンがあったんだよ。それを押すとゴジラの声が鳴ったの。ギャアアア、みたいな?あたしはどうでもよかったんだけど彼氏がさァーー?」
「なぁ!それどこ!?」
「え?アルタ前の広場」
「うっわ!マジか!ちょっと!おい!えぇ?ま?もう、ほんと、もぉ!!なぁ!おい!ちょ、そこ!行くぞ!」
紅緒はペットボトルをカラにすると立ち上がり走りだした!
「はぁ?なんで?」
かつての旧友にもお構いなし!走る、走る、走る!!驚く彩奈の質問になんて答えない。人も車の往来もない、信号もない新宿もどきの街はコンパクトで、アルタ前の広場まで走ってすぐだった!
「そう!これ!」
二人が巨大な尻尾のもとに辿り着くと、赤いボタンが横に建てられている。
ギンの言っていたとおりだ!この一連のゲームと同じ。ヒントはあの放送の時から!最初からあった!
『しっぽ』『ボタン』『赤』『15』。キーワードの全部がそろった!これがきっとクリアボタンだ!
「なぁ、たぶん、このボタン押すとクリアになる」
「え?そうなの?」
「ここに来る前に言われていたんだ。『トカゲのしっぽはすぐに切られる』『ボタンはどこだ』『真っ赤』『15年』。全部――全部ヒントだったんだ」
「うっわ!よく気がついたね!それじゃあこれ押せば脱出できるってわけ!?」
「先行けよ」
「は?なんで?ローズは?」
「オレはあとからでいい」
「なにかっこつけてんの!?いっしょに行こうよ」
彩奈が手をつなごうとローズに手を差し伸べるのに、彼は笑顔で首を横に振る。
「なぁ」
「?」
「お前は誰だ?」
「は?なにいってんの?彩奈だよ?歌舞伎町時代から知り合いじゃん?たまに飲んだじゃん?」
彩奈が驚いている。呆けたのか?なんて。
「だって。これもトラップだろ?」
「なんでそんなこと言うの?ひどい」
「お前が本物の人間じゃないからだよ」
「え?ちょっと?なに言ってんの?ローズ?いみわかんない!」
彩奈の綺麗な顔がしわくちゃだ。怒りと悲しみを吐き出さない表情は美しもあり、醜くもある。
ホストの最大の味方であり、友人であり、客であり、敵のオンナ。
ギンの予想はあながち間違っちゃいなかったんだ。ホストの逆。キャバ嬢がカギだった。
「俺も男しか見たことなかったんだ?で、会った女は彩奈だけだった。そりゃ怪しいって疑うだろ?」
「それだけ?」
「充分だよ。脱出ゲームは『常識(ぜんてい)を疑え』だ。だから自分の味方っぽい奴は徹底的に疑わなきゃいけない。あとは……カレーパンとメロンパンも割とヒントだったろ」
「え?なんで!?」
「オレも女相手の仕事をしてるから多少は想像つくんだわ?カレーパンとメロンパンが好きなのは大抵男だ。保守なんだよ。冒険できない。オンナの方が開拓心がある。非常時でもクリーム系を選ぶだろ?甘いデザートを選べるんだよ。でも彩奈はそんなの持っていなかった。ヤローのメニューすぎたんだ」
「そんな!」
「それに、食べ物を持ち歩かなさすぎた。たいていの男は足りなかったら足せばいい、って発想だろ?オンナは逆。余る前提で多めに作る。もちろん全員とは言わないけど……でもけっこうあたってない?」
「だから?」
「もし彩奈が本当の人間(オンナ)なら、食料をもっと多めに持ちだしていたハズだって言ってるんだよ」
「そんなのただの憶測じゃない!」
「あぁそうだ。だけどお前をプログラミングしたのは男なのは確実だろ?だから男のような行動をする。ドレスもだ。スカートとヒールでサバイバルなんて向いてないんだよ。フツーの女なら男が死んでいたら靴とかズボンを盗むんじゃないの?」
「……」
「あと一歩でリアルのオンナらしくなかったんだよ。ま、それもヒントだったのかもしれないけどな?」
「他の男は騙せたのに」
彩奈は雑誌の表紙を飾れそうな笑顔で肩をすくながら両手を広げた姿は負けを認めていた。
「ホストにとってオンナは真逆で必要な存在だ。だからこのステージにきたときからキャバ嬢が出たら疑うって決めてた」
「なんだ。最初からバレてたんだ」
「いや?最初は信じかけたけど?」
「じゃあどうして?」
「最後で確信した。ホンモノの彩奈は男がゴジラ見たいからって黙ってついて行くような女じゃない。その辺も男(プログラマー)の理想すぎたんだよ。歌舞伎町の女はそんなバカじゃ生きていけねぇからな?」
「本当にあなたの勝ちだったのね」
彼女は優しくボタンを撫でながら紅緒を見つめた。
「これは本物のクリアボタンよ?おめでとう」
「あんたは?」
「また違う男に声をかけに行く」
「クリアさせてやってくれよ」
「そんなの男次第よ。私とヤッてるあいだに死んだのもいたし、自分から死んだ男もいたもの。私は平等にヒントをあげるだけ。それが私の仕事だから」
「そうだよな」
ドゴオオオオオオオオン!
紅緒がボタンを押せば、新宿周辺がゴジラに襲われたような轟音と煙に包まれてーーー。
*********
目を開ければ、そこはもといた真っ白の部屋。目の前には弟たち。
【ステージクリア!】
モニター画面では文字が光っている。
「ベニ!」
「兄さん!」
二人とも抱き着きこそしないが、傍に駆け寄ってくる。ハグなんかできない年頃だが、自分の帰還を喜んでいるのは伝わる。
あの時と同じだ。仕事から帰ってくるなり駆け寄っては飛びついてきたころとなんらかわらない。
「おかえり」
「今帰ったよ」
現役時代、朝帰りだったときと同じセリフだ。あの時も今もなにがあっても戻ってこれたのは、オレには帰らなきゃいけない場所があった。帰りたい場所だった。たったそれだけだ。
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