第5話 笑えないJOKE

 樹は「自分には出番がない」と早々から言っていたが、それはそれは説得力のあるものだった。兄弟たちの親代わりだったから時間がなかったなんて美談でなく、長男は本当にゲームの類に興味がなかったのだ。付き合いでトランプやUN●はやっても、ボードゲームの類すら自分用に購入したことがない。世の中には「そういう人種」もいるし、それは樹だけではない。

放送30分前。朝食を終えた兄弟たちは長男が淹れた食後のお茶を飲んでいた。

「私だってトランプならできるぞ」

「でもポーカーとか無理でしょ」

「かけひきや誰かを貶められば兄さんはもっと出世してますよね」

「……」

「これゲームプレイしながらのリアル脱出ゲームなのよ?一応ヒネりがあるんだよ?疑うとかできなさすぎでしょ」

「神経衰弱すらソラに勝ちを譲ってきたじゃないか。そもそも競争社会自体に向いてないんだ」

「あ!リアル鬼ごっこならいけんじゃね!?」

「30過ぎの兄さんと高校生のソラの体力を一緒にするとか鬼なの?」

「いっそ人生ゲームでも行われませんかね。兄さんの自由意思を奪えばワンチャン……」

「……」

 弟たちにボロクソに言われている気もするが、いちいち腹を立てないのが樹の良いところ。にしておこう。

ゲームができなくても困ったことなんてなかった。が、困るとしたら「今」だ。まさか弟たちの足を引っ張るとは思ってもいなかった。

 いつものように朝ごはんを作り、掃除はしたけれど、いったいこの先どうなるやら。


 パパーン!

兄弟たちの会議なんておかまいなしに、天の声はやってきた!

『やぁ、おはよう!朝ご飯は食べたー?』

「よ」

テンションの高い天の声に対して青空がどんより声で応える。

『あれぇ?元気ないなぁ?挨拶大事よ?』

「誰のせいだと思ってんだ!」

『いーじゃん?さっさとクリアしたら?そしたらハッピーになれるよぉ★』

「ぜってーこの部屋から脱出(クリア)してやるからな!」

『いいねぇ♪その意気♪』

青空がぎゃんぎゃんと吠えている横で海斗と紅緒が目くばせしながらうなずいている。

(あいつ、ウォーリー見つけすぎだろ!)

『さーて★今回のゲームはぁ?』

 ドゥルルルルル、なんて巻き舌のドラムロールが胃を痛くさせる。先ほど食べた味噌汁が出てきそう。

『ジャーン!みんなが知ってる【ババ抜き】でーーっす!』

「兄さん、行けますか」

「あ、やっぱオレ?」

「しかいないだろう」

「いっちゃんズル賢いもんなぁ」

「策謀力が高いってい言って?」

 満場一致の決定に紅緒が自分を指して笑っていた時だった。

『そしてそして!今回闘うメンバーはこちらで決めますよぉ!じゃじゃーん!』

 モニターには樹の名前と写真が映し出されたのだった。

「え」

「うそ」

「なんで」

 兄弟全員が飲み込めないでいるのに、放送は容赦なく進めようとしている!

『はい!指名された人はスタンバイしてねぇ!もうじき呼ばれますよぉ!』

 なんで、どうして、選ばせろ!四の五の言っている暇はなさそうだ!

「おそらくこの運営のことだ。ゲームとは別に謎解きが前提だろう」

「兄さん、それだけは忘れないでください!」

「心配させてすまない」

「いやいや!兄さん悪くないから!」

「それな!」

まるで「はじめてのおつかい」のような見送りに、長男が笑っている。

『準備はいーいー?』

「っし!頼むぜ!」

兄弟たちで長男の肩をバシィン!と叩いた瞬間!

 ヴン!

低い電子音と共に緑色のTシャツ姿が消えた。

********************


 樹が目を開けると、どこまでも広がる青空の下には自分以外の人間がいた。大きな円卓を前にそれぞれカラフルな髪色の人間たちが腰かけている。

堂々とたたずむ者、ニコニコと笑う者、うつむいている者、明後日の方向を向いている者、口笛を吹くもの、金髪、銀髪、赤白黄色とカラフルな髪型に、いかにも高校生から三十代後半の者まで、外見や年齢も三者三様だ。

『はい!じゃあババ抜きの時間だよぉ★』

 皆の手元に一気にトランプが配られた!

『みんなやったことあるでしょ?ルールは知ってるよね?隣の人から一枚ひいてペアが出来たら捨てる。手持ちの札が無くなった人からあがり。最後にジョーカーを持っていたら負け!簡単だよねぇ?』

「「「「「「……」」」」」」

『ペアがそろってる人は今のうちに札を捨ててねー!みんなが捨て終わったら開始だよぉ!』

 静かな空間で黙々と手持ちのペア札が捨てられてゆく。ちら、と周囲の顔は見ても目線を合わせない。緊張、警戒。トランプとはこんなものだったろうか?

『もぉ~★だんまりはよくないよぉ?トランプだよぉ?フツーもっと和気あいあいだろ?

★楽しくよろうよぉ★』

 初対面の人間とどう和気あいあいしろというのだ?新幹線の停車駅で古今東西でもやれと?

『うーん?じゃあとにかくやっちゃおっか?はい!じゃあ金髪のパンクなお兄さんから時計回りにひいていってね!ようい!スタート!』

「え?俺!?じゃあ」

「……」

「……」

「……」

「あ、ペアだ」

 ギャルが二枚捨てた。次に引いた男性はちらちらとあちこち見ては落ち着かなさそうに視線を散らしている。

(彼がもっているのか?)

「……」

「……」

「……」

「私も」

 またペアが捨てられる。次はペアにならなかったらしく、次の者はペアを作れなかったようだ。樹の順番になったがペアはそろわなかった。

(脱出を忘れるなと言っていたな)

ギンとカイトがさんざん言っていた。ゲームはあくまで表面上。本当に大切なのは脱出だと。そのための謎解きだと。

 樹はテーブルや椅子を指先で触りつつ、不自然にならないようあちらこちらを見てみたが、特別なにか仕掛けがあるようには思えなかった。

ソラが言っていた。この世界はアリ地獄だと。自分たちの焦る姿や失敗を視られているのだと。

だとしたら?運営陣はこのババ抜きでなにを楽しむのだろう。

ジョーカーがあちらこちら右往左往しながら焦る姿?恐怖の表情?安堵?

 高校生らしい少女はあからさまに嬉しそうに笑い、隣の男性はあからさまに落ちこんでいるが、それも信じていいかわからない。

(だって『最後にもっていたら負け』だろう?)

 むしろ途中まではあえて持っていた方が優位じゃなかろうか?

 途中で捨てて最後に戻ってくるより、最後に確実にひかせた方がよくないか?

なにが勝利へのコツなのだろう?

油断するとぼんやりしかけてしまうのだが。

(疑ってください!)

(とにかく疑えばいい!)

 そばに居ないのに弟たちが背後で怒鳴ってくるので許されない。笑いながら樹がカードをとるとーー

(きた!)

 ついにジョーカーが来た!カードを抜かれた女性はあからさまに安堵のため息をついている!

(これはあえて持っておいてください!)

(最後に手放せば勝ちだ!)

(肝心なのは最後だから!)

(生きてよ!)

 弟たちの声が聞こえてきたことで、指先が震えていることに気がつき、弟と同じ仕草にもう一度笑った。

(カイトやギンも勝利を確信した時は震えると言っていたな)

 樹はJOKERをわざと手前にして他のカードを後ろ側に重ねると、次の女性はただの数字のカードをとった。ペアがそろったと喜んでいる!

 *************


 ババ抜きの様子は部屋のモニターから見られるようになっている。白い部屋では四人が固唾をのんで見守っていた。

「もしかして兄さん、ジョーカーひいた?」

「え?なんで?」

「椅子にもたれた。呼吸が深い」

「……ほんとうだ」

 たいていの人間がテーブルに肘をついているのに、樹だけが悠々と椅子にもたれている。ともすれば天を仰ぎ、ゆったりと焦りがない。アドバンテージを手に入れた人間の行動だ。

「ま、ジョーカーのひかせ方は教えておいたからさ♪」

「まじか!」

 紅緒が悪そうな顔で笑ってみせるので青空が「そちもわるよのう」なんてノッてくる。海斗と銀司も頷いた。長兄も確信したのだろう。ジョーカーは手元に残していい。下手に動かなくていい。今は他人がクリアしていくのを見送っていい。最後に手放せば勝ちだ。

 見下ろしたテーブルでは一人、また二人とクリア!の声が聞こえる。クリア者とまだカードを持った者は天国と地獄のように明暗がわかれているのに、樹は自分もクリアしたかのように穏やかに笑っている。

「菩薩かよ」

「父兄参観だろ」

 四男と三男としてはこんなときにも温厚な長男に呆れるしかない。

「今気がついたんですが」

「「「ん?」」」

「これ、トランプ中に脱出できる要素、ありますか?」

「なさそうだね?」

「と、いうことは?フツーにババ抜きが終わるまで待たなければいけないと?」

「まぁ、ねぇ?」

「兄さんたちは?これがフツーのババ抜きだと思いますか?」

 四人の瞳にはクリアした連中の笑顔が映る。難関大に合格したような、国家試験に合格したような、逆上がりが出来た時のような笑顔。

 普通はそうだ。クリアしたら生き残れると保証されたようなものなのだから!

「ソラが言いました。運営の連中はこのゲームの参加者の絶望や苦悶の表情が見たいのだと。それを楽しんでいるのだと。それは正解だと思います。むしろ運営はそのために僕らをここへ連れてきた、といっても間違いないでしょう」

「うん」

「この世界での一連のゲームは全て『前提が逆』でした。『××しなければ出られない部屋』はむしろ『努力しない方が出られる部屋』でした。緑の部屋はヒントが沢山あるとみせかけて答えが最初から用意してありました。テトリスは詰んだら終了でした。ほとんどが『常識とは逆=正解』でした。――ということは?」

「?」

 青空が首をかしげるが、紅緒と海斗は拳を握って銀司と笑いあっている。

「JOKERはもっていたら勝ち、ってこと?♪」

「おそらく!」

「うっわ!マジか!」

 パァン!青空と銀司のハイタッチが大きく響く!!

「そうか!イツ兄、それがわかってる!?」

「えぇ!」

「だから椅子にもたれたんだ!勝利を確信したから!」

 他のチームには申し訳ないが、樹は大事な家族だ。必要なんだ。絶対に帰ってこさせたい!!帰還を喜びたい!

「今夜くらいは兄さんにメシ作ってやらないとな♪」

「そうですね」

 カレーと牛丼がまだ残っているのになにか作ったら怒るだろうか?だが、こんなときにも弟たちの好物を作ってしまう兄貴を労ったって罰はあたるまい。紅緒が夕飯のメニューはどうしようか、なんて話題を振ろうとしたときだった。

「……なぁ、あいつ、気がついてね?」

「え?」

「ほら。まだトランプ持ってるヤツでさ?あれ。あっちの。あいつ」

 青空がじろじろと樹を見ている男を指さした。

「まさか」

 例の男はクリアしていく人間が嬉しそうにするたび、トランプで口元を隠して笑っている。

「ほら!やっぱり!」

「正解に気がついている人間がいても不自然ではありませんよ」

「兄さんが手放さなければいいだけだ」

 クリアしていく人間が減り、ついに例の男が樹から引く番になった。


「おまえさ?もしかしてずーーーーっとJOKER持ってない?」

 低い声にひるまず、樹は正面から視線を受け止めた。

「だったらどうした?」

「もしかして最後までJOKERもってるつもり?」

「……」

 意地悪そうな口調に樹がうつむいたことでテーブルがざわつきだす。いい人!なにそれ天使?なんて声がどこからか湧いている。

「へー?あんな声援が湧いても平気なんだ?」

「弟たちが待っているんでな。これでも必死なんだ」

「俺もだヨォ!」

 ドゴッ!

目の前の男は突然立ち上がり樹を腹から蹴りたおす!

「うわ!」

「ひっでぇ!」

 兄弟たちの罵倒もあちらの会場には届かない!倒れてもトランプを手離さない樹を容赦なく蹴っては踏んづける!

「よこせ!」

「うあああ!」

手をぐりぐりと踏みつけたことでようやっと樹が手を開くと、すべてのトランプを力づくで奪い取ってしまった!彼がJOKERを手に入れてしまった。

「マジか」

「っくしょう!」

「やった!やった!これで生き――!!」

 男はご機嫌に高笑いをしながら――


 パァッァァァッァァアン!!


 水風船が破裂するようにはじけた。


「な――――っ!?」

赤い血があたり一帯に点々と後をつけただけで、肉塊のひとかけらも存在しない。

「キャアアアアアアア!」

「うわあああああああ!」

 なにが起こった?

 テーブルでトランプをしていた者はパニックで悲鳴をあげ、モニターを見ていた人間は全員凍りついて動けなくなった。

『はいはーい!今のはルール違反だよー!!これはババ抜きだよー?あんなふうにカツアゲするゲームじゃないよー?』

「……」

『安心してね!あーゆ―怖いのは運営がちゃんと始末するから!』

「……」

『はーあー、馬鹿ってほーんと迷惑だよね♪はい!続き、ドゾー!』

 テーブル席の悲鳴は落ち着いたものの、先ほどのような明るい笑顔のモノはいなくなった。また、重苦しい空気に戻っている。先ほどまではクリア模様やあれこれのリアクションが見られたのに。

ゲームの参加者の大半があれがJOKERを最後までもっていたものの末路だと思い込み、震え泣きながらまたゲームを再開しだした。

***********

 ついにラスト一組。樹の目の前にいる女性だけだ。彼女はJOKERを引けば生き残りだと気がついていないのだろうか?おどおどびくびくと不安で苦しそう。

「よかった」

 兄弟四人、皆が勝利を確信していたのだが。

「これ、ダメだ」

「は?」

「兄さんは――勝てない」

 紅緒が絶望色の瞳で呟いた。

***********


 びくびく顔の女性に向けて樹が穏やかに笑いかける。

「突然申し訳ない。もしかして貴女には幼いお子さんがいらっしゃいますか」

「え?あ、はい!……でも、どうして?」

「先ほど、順番を待っているとき、左右にゆっくりと揺れていたので。子供をあやしているときの癖ですよね」

「そうです。恥ずかしいですね。なんか」

 抱っこをしているとき、歌っているとき、あやすとき、一緒にテレビを見ながら。子供がいない時だろうが、ついつい揺れてしまう経験を樹は知っていた。

「お子さんはおいくつですか」

「2歳です」

「あぁかわいい盛りですね」

「そう……なんですかね。まいにちがわたわたで。余裕ないです」

 髪をかき上げる女性の左手の薬指を紅緒が睨んでいる。

「ざけんな」

 ぼそりと吐き出した言葉に末弟が意を痛めた。

「私は年の離れた弟を親として育ててきました。大変なこともありましたが、幸せもありました。我ながらいい男に育てたと自負しております」

 樹の子育て自慢に女性が笑っている。

(いったい何の話だ?)

 三人がぽかんとしている横で、紅緒だけがため息をついている。

「それと同時に思いました。もう私の出番は終わったと」

「「「は!?」」」

(ちょっとまて!ちょっとまて!お兄さん?)

「あなたは育てなければいけません。まだ死んではいけない身なんだ」

(ねぇちょっと、なにいってんの?)

 誰か説明!青空が振り向いても紅緒は答えない。涙を流さず、怒鳴りながら壁を蹴っている。

「次の世代の命を護り育むのが年上の役目だとしたら。私はあなたより先にそれを終えています」

 裏返したままの一枚を女性に渡そうと樹が彼女の手前に置いた。空中でトランプが浮いたまま。女性は意味が解っていないまま困惑している。

「最悪だ……」

「ざけんな!イツ兄!!」

「なんで!なんで今なんですか!!」

 四男と五男が涙と鼻水を流しているのが目に入らないのか!?ともに弟を育ててきた次男が壁を殴っている姿を視ろ!

こっち見ろ!そんな赤の他人なんか知るか!

 兄貴が死んだら悲しむ弟がここにいるんだぞ!!目を覚ませ!なぁ!こっち見ろ!


「私は母親がいない環境を知っています。母親なしの苦しさも知っています。幼すぎる母親や虐待されている子供ならともかく、望みまれ必要としあっている母子を私には引き裂けません」

「……?」

「信じられないかもしれませんが、このゲームはJOKERを持っている人が生き残ります。おそらくですが、クリアした者が一斉に死ぬ筈です。……先ほどのように」

 先にクリアした者はそれに気がついていないようだ。わいわいがやがやと浮かれている。

「えぇ?」

 温度差が信じられず、女性は眉を潜めて半笑いだ。

「思い出してください。この一連のゲームのクリア条件は全て普通と逆なんです。それに気づいた男は私からJOKERを奪おうとしました。私がJOKERを手放さないよう努めていたことを見抜いておりました」

「あ……!」

「ですから受け取ってください。そしてお子さんのもとへ戻ってください」

「そんな!でも……!」

「命は次の世代を育てるためにある。私は先にその役目を終えただけです」

 女性の手元にJOKERを強引に受け取らせ、もう一枚を受け取ると。

「やめてくれ……」

「ふざけんな」

「兄さん」

「ベニ、カイト、ソラ、ギン。ありがとうな」

 まるで四人が目の前にいるかのように宙に向かって笑いかける。樹が手元のペアを捨てた瞬間。

「「「―――――――――っ!!!」」」

 画面は真っ黒になり、LOSE の文字だけが白く浮かんだ。


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