第3話 死にかかった男

 「……お前、何をした?」


 問い詰めるような俺の言葉に女の子は少しだけ顔を強張らせた。そして、意味が分からないといった感じで小首を傾げる。それに合わせて、彼女の肩まで届く柔らかそうな髪の毛が宙で揺れた。


 そのまま立ち上がろうとした俺を女の子が押し留めた。


「あ、まだ立てないんだよ。血もいっぱい出ちゃったから」


 確かに女の子が言うように下半身には力がまだ入らないようで、どうにも立てそうになかった。


「おい、どういうことだ。お前、俺に何をした。何で傷が治っているんだ?」


 女の子は首を傾げるばかりで何も答えない。


 何だ、こいつは……馬鹿なのか? 

 俺はそう思い、溜息を軽く吐いた。


「お前、名前は?」

「あいな……だよ」

「で、お前は何でこんな時間にここにいるんだ?」

「うんと、あいなはいつもこの辺にいるんだよ」


 この近くに住んでいるということなのだろうか。

 彼女の返答を聞いて俺はそう思った。


「親は? 母親とか父親と一緒じゃないのか」

「うんと、分かんない」


 ……やはり少し馬鹿なのだろうと俺は結論づける。


「……何だか分からねえけど、お前が助けてくれたのか?」

「うん! あいな、お医者さんするの上手なんだよ」


 あいなは嬉しそうに笑っている。やはり、彼女にとってはお医者さんごっこの延長だったらしい。


 どういうことだ?


 俺はもう一度、その言葉を胸の内で呟いた。誰かに刺されたことは間違いない。あれだけの血が流れていたのだし、痛みも確かにあった。視界が暗くなりかかっていたのはあの時、間違いなく意識を失いかけた。もしくは死にかかっていたのだろうと思う。


 しかし、信じられないことだが、刺されて死にかかった俺をあいなが助けてくれたのは、今の状況から考えると間違いないように思えた。


「まあ、何だか分からねえけど、助かったみたいだ……な。ありがとうな」

「うん!」


 あいなが嬉しそうに頷いて、その場でぴょんぴょんと飛び始めた。


 俺はといえば、動かせるのは上半身だけで、まだ立ち上がれそうにはなかった。刺されて死にかかっていたのだから、それも当然ということなのだろうか。


 気持ちが落ち着いてきたようだった。俺は改めて、あいなに視線を向けた。真冬だというのに、あいなは薄いシャツと膝下までのズボンを履いている。


「お前、その格好で寒くないのか?」


 そんなあいなの姿を見て俺は素朴な疑問を口にした。


「うん、寒くないよ」


 俺はもう一度、あいなの手足に視線を向けた。寒空の中で剥き出しになっているあいなの両腕と両足には、かつて俺が見慣れていた物がいくつもあった。


「お前、その痣とか傷、どうしたんだ?」

「えー? えっと、転んだんだよ」


 あいなはそれまでとは打って変わって、急にか細い声を出す。そして、俺から痣や傷を隠すつもりなのか、背中の後ろで手を組んだり、両足を交差させたりをし始めた。


 そんなあいなの様子を見ながら、いつだってそうなのだと俺は思う。こうして子供は親を庇うのだ。かつては俺や俺の妹もそうだった。どんなに糞な親だとしても、こうして子供は親を他人からは庇ってしまうものなのだ。


「……まあいい。何だかよく分からねえけど、お前はもう帰れ。助けてくれてありがとうな」


 俺はそれだけを言った。未だに信じられないが、あいなが俺を助けてくれたのは間違いないのだろう。だが、助けてもらったことに感謝はするが、彼女の境遇に同情も深入りする気もなかった。


 そんな俺の言葉を受けて、あいなが途端に悲しそうな顔をする。泣き出すのかと俺は一瞬、柄にもなく狼狽した。


「あいな、帰るところはこの辺なんだもん」


 言っている意味が分からなかった。やはり少し馬鹿なのだ。


「この辺って何だよ? だから寒いし家に、親のところに帰れって言ってんだよ」


 思わず語気が強くなった。たちまち、あいなが怯えたような顔をする。


「だって、あいなはね、ママのところには帰れないんだよ。パパはいなくなっちゃったし……」

「あ? 何で帰れないんだよ」

「あいなはね……死んじゃったから、もう帰れないんだよ」


 ……いよいよこいつは間違いなく馬鹿なんだなと俺は思う。


「……俺は大丈夫だから、お前はもう帰れ」


 俺はそう言って、あいなの肩を軽く押そうと片手を伸ばした。


 俺が伸ばした片手が何の抵抗もなく、あいなの体を突き抜けていく。俺は唖然としてあいなの顔を見た。

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