第8話


バタバタバタッ


バタンッ、ガチャッ


旧トイレの奥の個室。

急いで鍵を閉める。


龍之介と流風はそこで息を潜めていた。



「……なんとか、撒けた、みたいだな……」


足音が近づいて来る気配はない。

龍之介は息を切らせながらも安心した。


流石の龍之介も軽いとは言え成人男性1人を抱えたまま全力疾走は苦しい。


立ったままズルズルとトイレの壁にもたれかかる。


「君、手の甲から血が出てますよ」


「あ〜……走ってる時に引っ掛けたか……」


ほっとけよと言わんばかりに放り出した手を流風が掴む。


「貸してください」


ポケットからハンカチを取り出し、ふんわりと血を拭うと、大きめの絆創膏を貼ってくれた。


(……女子のような気遣い、いやこの考え方は男女差別か……)


「消毒してないので、帰ったら洗って新しいのに変えてくださいね」


「……おー」


手当てされた手を暫し眺める。

それと同時にそういえば流風に対して怒ってた事を思い出す。


(いや、それはそれで、礼を言うべきか?)


迷ってると流風がジッとコチラを見ているのに気づく。


「……何?」


「……先程は、俺を抱えて逃げてくれてありがとうございました。君は体力もあって力持ちなんですね」


ペコリ。

丁寧に頭を下げられる。


その殊勝な態度に龍之介はツンケンしてた自分の態度がバカらしくなって。


「あー……いや、俺もコレ、ありがとな……

そ、それより!! そうだ、お前が口聞きした警官に連絡して来てもらおうぜ。黒銀の奴ら、あの人数で武器まで持ってると流石に俺の手に負えねー……」



誤魔化すように早口で捲し立てていると、ジジじっと蛍光灯が頼りなく点滅しはじめ、辺りが一瞬にして暗くなる。


  

「うわっ! なんだ?!」


「おや、停電……?」



ライトがわりにスマホをつける。

すると何故か目の前にいた流風の顔が照らされた。



「おわぁッ?! おまっ、びっくりさせんじゃねー!!! 何で眼の前にいる?!」


「電気が消えた瞬間、君が俺を引き寄せたんですが。もしやコレも無意識ですか?」



流風が繋がれた左手を振る。



「?! こ、これはっ、ちがう……!」


ペイっッ


ひっくり返すように流風の手を振り払う龍之介。

もう今更バレてるような気もする龍之介だが、それでも自ら怖がりである事を晒す気はない。


ジジじっと音がして、不意に電気が戻る。

しかし先程より明らかに電気の灯りが心許ない。



「っくりした……雷でも落ちたか? 雨なんか降ってなかったよな?」


「ええ、快晴でしたね」



そういえば。結構大きい声を出したのに黒銀の奴らがくる気配がない。


いやそれよりも何か不気味なくらい静かだ。


ココから出ても本当に大丈夫だろうか?


(何か、嫌な感じがする……)


怪談を思い出す。



『……手前から個室を1つづつ確認するようにドアが開く音がした……』



思い出して隠れてゾッとしていると、流風と目が合った。


「……君は、妖、いえお化けや幽霊が怖いのですか?」


直球だった。


いつもだったら、そんな訳ねー!ふざけたこと言ってんな! と馬鹿にされる隙を与える間も無く言い返す龍之介だが、流風がそんな考えで自分に聞いてくる人間ではない事は、もうわかっていた。


(悪気なく失礼な事を言う奴だけど、なんていうか裏がないんだ、コイツは)


取り繕うのも馬鹿らしくなった龍之介は、深く息を吐くと観念したように話し始める。



「……そーだよ。昔から、苦手っつーか、なんかよくわかんねーけど、ダメなんだ。……笑えるだろ、こんなデケー図体で、不良だヤンキーだ言われてる俺が、か弱い女子みてーな事言ってよー……」


言いながら地面を見つめる。馬鹿にされないとわかっていても、なんとなく流風の顔が見れなかった。


「……君の中で怖い、という感情はそんなにダメな事なのですか?」


「え?」


予想外の言葉に顔をあげると、流風はいつになく真剣な表情をしていた。


「恐怖や不安は、自分を守るための自己防衛機能です。その対象は人それぞれ勿論違います。が、そこに優劣はありません……君は何かを怖がる人を認められないのですか?」


「……別に、か弱かったり、なんかこう可愛い奴が色々怖がるのは良いだろーよ。でも、俺みたいな如何にもなヤツが怖がるのって、何か情けねーし、それに……」


「それに?」


「……期待外れだろ……」






『龍君は、しっかりしてて頼りになる、強い子よ』


いつからかそうやって言われたのか、もしくは自分からそう自負したのか、もう覚えてはいない。


でも、覚えてる記憶がある。


父親が出稼ぎだが何だかで家におらず、母と弟の悠と3人で狭いアパートに住んでいた、真夜中の事だった。


その日、悠は夏風邪を拗らせていた。

朝から夜になっても熱が一向に下がらず、夜中にぐずり出した悠を、母が救急に連れて行こうとしていた時だ。


『龍君、1人でお留守番出来るよね? ママ、すぐ戻ってくるから』


『いやだ、俺も一緒に行く! だって、ココ、お化け出て怖いんだよ……!』


『お化けなんている訳ないよ。大丈夫、気のせいよ。それに、龍君は強くて頼りになるお兄ちゃんでしょ?』


違う。

本当はそう言いたかった。

でも言えなかった。


言ったら何か大切な物を無くしてしまいそうな気がして。


母の眼がお願いだから、そんな事を言わないで、と切々と言ってるようで凄く痛かったから。


今にして思えば母も心細かったんだと思う。


でもその眼と言葉は俺の心に深く刺さって……。


『……わかった……いってらっしゃい……』


震える言葉を絞り出す。


『ありがとう! すぐ帰ってくるからね!』


ギュッと抱きしめた母の顔は安心したようだった。


これで良かったんだ。

これが正解だったんだ。


怖がって頼りにならない俺は、俺じゃない。


その時、そう強く思った。




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