ちょっと先の真っ暗闇

眞壁 暁大

第1話

町田ミチと町田サチは孤児である。

両親が死に、町ならぬ町、「穴」の縁の集落に住んでいる。



ある日世界に空いた小さな穴から、ヒトならぬものが湧き出した。

すわスプラッタ終末スペクタクルか、と思いきやそれらヒトならぬものは、おおむね無害。

ただ見た目が「ヒトから見て」気に入らないので、ヒトはそれらを湧き出した穴の周りに閉じ込めておくことにした。

閉じ込めついでに、底しれぬ穴をゴミ箱として扱い、人の世に不都合で不格好なあれこれも放り入れることにした。

そこに放り込めばすべてが落着。楽なものである。


穴べりの集落でヒトと出逢うのは珍しい。

町田ミチは警戒しながら、その大人から名刺を受け取ってそのツラをしげしげと眺めた。

母が死んだ時にやってきた大人たちと似た雰囲気だが、それらよりもさらに投げやりでやさぐれたふうに見えた。身振り手振りがせわしないというか…いったん動くと収まるべきところで収まらない感じだ。

名刺入れをポケットに収めた後、その手をジャケットの上でモゾモゾさせながら男は言った。


「ザラメしっぷ。きみくらいの年なら見たことあると思うんだけどな」

「知りません」

「ホントに?」

「うち、テレビありませんでした」


母である故・町田マチはこの穴べりの集落のマンションを買うために節制していた。

その影響は当然のようにミチサチ兄妹にも及ぶ。

街に住んでいた頃、薄っぺらなボロアパートにはろくな家電製品がなかった。

あるのは母が持っていたスマホくらいだが、それすら母の仕事のためであり、たまにミチら子供たちが触ってもいいのは年に数度、親子でショッピングモールにでかけた時。

そこでなら通信費がかからないし仕事もオフだから、という理由で触らせてもらえたが、それでも見てもいいのは無料動画サイトに限られている。おおむねルーズな性格だったが、安くあげるという点で町田マチの生活方針は徹底していた。

そうした無料動画サイトで見られるものに「ザラメしっぷ」なる芸人コンビが出てきたのは記憶にない(ミチが知っているのは動画サイトで活躍する有名配信者というやつで、とくに面白いと思っていたのは、街を出る少し前に情報商材の商売絡みから大規模詐欺を展開したかどで逮捕された配信者だった。)


名刺を差し出した男、ワタナベ トモタ は「マジかよ」という表情を一瞬浮かべたがすぐに消す。ここがどういう場所か思い出したのだろう。

あるいは「かわいそうな子」にあからさまな哀れみの目を向けるのを我慢したか。

そうした反応には街では慣れていたミチは、隠そうとするだけワタナベはまだマシな大人だと思った。


「こういうネタをやってた芸人なんだ」


 ワタナベは肩にかけていたバッグからタブレット端末を取り出すと、ミチにも見るように促し動画を再生する。

ミチには大人の齢は良くわからないが、オッサンとオニイサンの境界くらいの齢に見える二人組がセンターマイクにボソボソと喋っていた。

どういうネタなんだろう、と興味を惹かれたちょうどその時に、動画再生が止まる。

二人のオッサンともオニイサンとも呼びにくいあんまり奇麗とはいえない顔面がちょうどアップになって並んだシーン。


「ネタはどうでも良くてさ」とワタナベは言う。自ら振っておいてかなり失礼な言い草だった。「この二人の顔に、見覚えないかな」

マイクを挟んでここからやぞ、と目線を送る右側と、分かってんがな、とニヤついているように見える左側。どちらも見覚えがない。

ここではヒトは珍しいので、見かけたら覚えているはずだ。とくに右側の男の、左目の下のでかすぎる泣きぼくろは目立つし、印象に残る。


「見たことないですね」

 タブレット端末に視線を落としてしばらく記憶を辿ってみても、やはり見た記憶がないのでミチは正直にそう言った。

ワタナベはガックリと肩を落として「そうか」と呟いてタブレット端末をバッグにしまう。

ミチはネタの続きが少し気になったが見せてくれ、というのも気が引けたので黙ったままだった。

「じゃあ、この町でほかにヒトは誰かいるかな」

「居るは居ますが」

「それじゃあさ」

「知り合いには、居ません」

 またしてもワタナベは肩を落とす。

大人ってだいたいこうだよな、とミチも内心で肩をすくめた。外のヒトは、ここで暮らしているヒトはみんな知り合いだとでも思っているようだ。あいにくだが街で「気に入らない」ことになったヒトが、ここでなら「気に入られる」と思うほうがどうかしている。

引っ越し当初、先住していたヒトとのトラブルでミチは痛いほどそのことを思い知らされている。ここではヒトと付き合うよりも、人でないものの方がマシであるとミチは感じていた。


 あまりにもワタナベの落ち込みぶりがひどかったので、ミチは情けをかけるつもりでワトソンを紹介してやった。ワトソンくらいならヒトでも耐性があるはず、と思ったのだが甘かった。ワタナベは哀れなほどにオドオドとして、ワトソンとのやり取りもミチを介した形でないと出来なかった。ワトソンは異様に長いまつ毛を揺らしながら少し不機嫌になったが、ワタナベの差し出したタブレット端末で動画を見て機嫌を直した。

機嫌を直しはしたが、「知らんな」と素気ない答え。ちなみに、ネタが分かったとかではなく「ヒトの表情筋はほんとうによく動くな」と感心しただけっぽい。


「ザラメしっぷはなんでここに来たんですか」

 燃え尽きた灰のようになってへたり込んでしまったワタナベに、ミチは声をかける。

ワタナベは捜索を再開しようとすらしなかった。ワトソンでダメなら、もっと穴に近い中心部にはとても行けたものではないだろう。だいたいここでヒトにだけ尋ねてヒトにたどり着けると思うほうがどうかしているのだが、ヒトに人ならぬものと対面する胆力を求めるのも酷な話かもしれない。それが出来ないからこそ閉じ込めているのだろうし。


ワタナベの答えはワトソンのそれほどではないが素っ気ないものだった。

「コンプラ違反したからさ。

 ネタでNGワードをうっかり喋ったもんだからどうにも使いようがなくなってね。とくにウチの局で冠番組持ってたから連帯責任ということでここに連れてきた」

 ワタナベは腰を上げて、伸びをしながら続ける。

「単にヨゴレならまだ出られる場所があったんだけど、コンプラは今の世情なら一発アウトだし。生本番でアレをやられちゃこっちもフォローのしようがない。どこにも居場所がなくなっても自業自得だわありゃ」

 『どこにも居場所がなくなったから』ここにやってきたミチの前で、ワタナベは平然とそう言った。

「……なんで、それなのに探しに来たんですか」

 感情を殺してミチが尋ねる。

ヒトに期待することはやめていたつもりだったが、まだどこか期待していたのだと我ながら思い知らされている。

「あの有名人は今、って体の番組で使えんかな、と思ってね。ここは近いしワンチャンあるかと思ってきたんだが……やっぱダメだったわ」

 吹っ切れたようにワタナベは笑みを浮かべる。

そして、笑みを返せず固まったままのミチの様子には微塵も頓着せずに伸ばした腰を叩きながらバッグをまさぐり始め、財布を取り出した。


「名刺はもう渡してたよな。なら、さっきのバケモノみたいな人に聞いてみてくれないか? 『外のテレビに興味はありませんか』

 ってね。彼ちょっと面白い素材になりそうだ」


ミチは差し出された5000円札に黙って視線を落とす。

いつかのワトソンのスマホを思い出していた。

ここが街ではないことも思い返す。


はたしてこの ワタナベ トモタ の命は5000円で高いのか、安いのか。


判断のつかないミチには、そのカネを受け取れなかった。

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ちょっと先の真っ暗闇 眞壁 暁大 @afumai

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