セメント小僧

@ramia294

   

 オイラはセメント小僧。

 心の穴は、ありますか?

 どんな穴でも塞ぎます。

 セメント塗って塞ぎます。

 失恋、イジメ、理不尽。

 どんな穴でも塞ぎます。

 どうぞ、オイラを呼んで下さい。

 お代は、何も要りません。 

 塞いだ穴は届けます。 

 ご希望の相手に届けます。

 オイラは、セメント小僧。

 心の穴を塞ぎます。



 セメント小僧の噂は、聞いていた。

 研究者の僕は、何故塞がるのか、穴が移ると、どうなるのかということを疑問に持った。 


 失恋経験において、セメント小僧の召喚を希望する人を募集した。

 川上典子という、女子大生からの連絡があり、実際にセメント小僧を召喚して貰った。

 現れたセメント小僧。


 川上典子の失恋は、酷いものだった。

 恋人が、彼女の友達と恋仲になり、別れを告げられた。

 恋も友情も同時に無くし、傷ついた心。

 部屋から出る事が出来なくなった彼女。

 セメント小僧は、尋ねた。


「あなたの心の穴。移すのは、元恋人、元友人。どちらにしますか?」


 川上典子は、元恋人を選んだ。

 典子の心の穴をセメントで塞ぐ。

 失恋と失った友情。

 塞いだ穴が、元恋人に移った。

 その穴からは、二人の出会ってから、別れまでの彼女の思い出が泉のように絶えず湧き出した。

 思い出は波のように、元恋人の頭の中で、二人の楽しかった時間と彼が奪った友情を、何度も何度も再生した。


 彼の中の典子を愛する気持ちは、過去の物になっただけだ。

 嘘では、なかった。

 しかし、それ故、再生される典子の記憶によって、引き出された過去の記憶と現実世界の意識が、混沌としてしまった。

 新しく始まった恋と、典子の感情付きの記憶。

 さらに、自分自身の典子との記憶と彼女から友人を奪った罪悪感が、現在の彼の精神を蝕み、部屋から出る事すら、出来なくなってしまった。


 彼の精神は、破綻した。


 典子は、恋の記憶ごと痛みの消えた新鮮な心を持って、新たな出会いが待つ世界へ旅立っていく。

 破綻した彼の姿を今後再び見ることがあっても、彼の事を覚えていない典子には、罪の意識を持ちようがなかった。

 恋の罪を裁く幼い典子の心。

 純粋で残酷なセメント小僧。

 

 失恋の穴を塞ぐだけが、セメント小僧ではない。

 他の例はどういうものかを調べたくて、僕は、最近の理不尽な事件を探していた。

 買い物帰りの母と小学生の女の子に、暴走したクルマが飛び込んだ事件があった。

 ドライバーは政治家の長男。

 危険運転致死傷罪を適用されず、過失運転で処理され、残された家族の悲しみや無念を思うとやりきれない事件だった。

 残された遺族の居場所を求めて、初夏の街をさすらう。

 僕が興味を持った理由は、被害者の姓が、僕と同じ遠藤であることと、住所が近いことであった。

 その日、遺族の住所にたどり着くことは出来なかった。

 自分のマンションに帰るとドアの前には、弟が待っていた。


「兄貴、遅いな」


 口癖のように、弟は言う。何の約束もしていなかったはずだ。

 弟は、最近、何故か僕の事を気遣う。

 彼の手には肉の包みと酒があった。

 すき焼きとワインの夕食の後、持ち帰った資料を見て、何気なく弟が言った。


「兄貴、記憶が戻ったのかい?」


「記憶?」


 弟に、訊き返したとき、突然記憶が蘇った。

 被害者の遺族とは、遠藤光太郎。 

 僕自身であった。


 セメント小僧は、すでに召喚されていた。

 僕自身によってだ。

 僕は愛する妻と娘を忘れ、政治家の長男は、精神が崩壊。

 クルマで暴走した後、崖から転落。


 彼を殺したのは、僕だろうか…。

 死んだ彼の心にあった穴。

 僕に戻ってきた穴。

 忘れていた、記憶。

 絶望に叩き壊された心。

 大きすぎる喪失感と悲しみ。


「自分の穴の行方を追ってはいけない。追いさえしなければ穴は気づかない」


 そうセメント小僧に言われていたのに…。


 僕が、本当の意味で立ち直るまで、それから三年かかった。

 もちろん記憶は、消え去ることはない。

 穴に、自力で蓋を作る。

 悲しさに心が慣れる。

 つまり、それまでに三年かかった。

 新たな出会いを求めることが出来るまで三年。



 オイラはセメント小僧。

 どんな穴でも塞ぎます。

 ただし、塞ぐのは一度だけ。

 自分の穴を追わないで。

 追えば、あなたを見つけます。

 元の居場所がやはり良い。

 あなたの心に戻ります。 

 オイラはセメント小僧。

 同じ穴は塞ぎません。

 同じ穴は塞げません。

 過去には、別れを。

 新たなる出会いを。

 セメント小僧が、お届けします。

 


            終わり

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