第6話

 数日経っても右手は相も変わらず無骨なままであった。

 片手の生活か続いていたが、例の症状がない時に限り持てる手が増えて便利な拾い物をしたとでも思えた。しかし、一日一度あるかないか程の頻度で大掛かりな変形が起こるものであるから、中々に困っている。

 肉屋で急に起動したときは、店主がそれは大層驚いて、泣きながら肉を差し出されたものだった。

 なんとか折り合いをつつ、私はお土産を片手にジョンのもとを訪れていた。

 いつものように門の外から庭で遊ぶ子供たちの中から探すが、あの茶髪の少年の姿はてんで見つからない。

 適当に通りかかった少年を呼び止めた。彼にジョンの居場所をきくと、

「ジョンが里子に出された!?」

 思わず少年に詰めよる。私は筋骨隆々の体格ではないが長身ではあって、少年はおびえた顔をした。

 私は少年に謝り、マリアの呼び出しを頼んだ。彼は足早に去る。

 すると、

【承認。戦術モード第一段階に移行。】

 例のひどい音声がなる。私はさっと青ざめたのを自覚した。

 何故、私が混乱や焦りを感じた時ばかりなのだ。誰かが嫌がらせで操作しているに違いない、と疑るほどには迷惑なタイミングばかりだった。

「あら、こんにちは。どなた?」

 間が悪く、マリアは私の元にきた。既に数度、数日前にも会ったはずなのだが彼女は初対面のような顔をしている。むしろ、彼女の中では本当に初対面なのだろう。気の毒に思うが、その頭のぼやけ具合が今日はありがたかった。

 私は右腕を稚拙に背に隠し、ひどく狼狽しながら彼女に問うた。

「ジョン?えぇ、そうよ。いいお家にもらわれていったのよ」

 前触れもなかった事態に驚く私とは実に対照的に、彼女の口調はマイペースであった。その程度といえば、もはや、技術進歩めざましい昨今の急進的な情勢にさえそぐわない。

 またもや詰め寄りそうになりなが、私は彼女から経緯を聞きだした。

「あるご夫婦がここで見かけて、利発そうな子だったから欲しいって。最近、仲介の方が。ルークを連れて行った人と同じ人よ」

「彼は何と……」

「うれしいですって。笑顔で出てったわよ」

 その後、母親に伝えるためにと、マリアから住所を聞き出した。しばらくすると、右腕の義手はもどったが、ここ一番で焦っていた。

 というのが数時間前のことであった。

 私は様子を見ようと住所の元へ向かったが、あるのは伽藍洞の空き家だけだった。

 あの時は動揺して気が回らなかったが、あの老婆のことだ。住所を言い間違えたのだろうとあたりをつけて私はモーリスの店を訪ねることにした。

 幸い、近くはないが億劫になるほどの距離ではない。

 ドアをひらくとドアベルの音に反応した夫人がこちらを振りかえるところだった。彼女に合わせてワンピースの裾が踊り、彼女は溌剌とした声音で私を歓迎した。

「あら!先日はありがとうございます」

 彼女は私に丁寧に頭を下げる。

「いえいえ、私は少し足止めしただけで……、赤毛の彼がここまで連れてきたのです」

「そんなことないですよ。いま、モーリスをよびます」

 夫人は厨房の入口からモーリスさんの名前を呼ぶ。

 私はわずかながら気圧されていた。

 モーリスさんとは初めて店に訪れた1年前からの付き合いだが、モーリス夫人とは全くと言っていいほど接点がなかった。タイミングが悪いのか、彼女はいつも忙しそうに店を歩き回っている。

 つまり、これほど続いた会話は初めてであった。

 店の奥からモーリスさんが顔を出す。

「あぁ!アルフレッドさん、いらしていただけてうれしいです。何をお飲みになりますか」

「私はコーヒー代を払いに」

 コートのポケットからいくらかの小銭を差し出す。しかし、モーリスはその手を押し返した。

「いえ、お気になさらず。お礼ということで」

「いや、でも……」

「ご迷惑おかけしたんです。どうか、私をこれ以上辱めないでください」

 あまりに大げさな物言いに、いよいよ、私の差し出した左手が行き場を無くす。

 頑として譲らない彼の顔を見て、私は仕方なく、

「……では、ルイになにか作ってあげてください。あいつ紅茶しか腹に入れていないので」

 と言って、無理やり彼のポケットに詰め込んだ。彼は私を友人おもいだとでも勘違いしただろうか。

「それで、あの後は……警察に渡したのですか?」

「いえ、そのままお返ししました」

 モーリスは事も無げだった。彼の気質を考えれば、驚くことはなかった。

「わざわざお金がない人を捕まえて、ないものを出させることもないですしね。ここら辺ではそういう雰囲気でやってます。食い逃げ続きだと破産してしまうんですけど」

 横から夫人が、申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさい。カスティルさん。突き飛ばされたからつい叫んじゃって……」

 被害者が叫び、周囲の人間が犯人を捕まえるという手法は一般的だ。

 捕まえたことによる、報酬が期待できる。だから普通の町では捕まえる。だが、ここの町では貧民がよりあって生きているらしかった。ないものをむしり取っても、周りからの評判もいいものではないだろう。

「いえ、モーリスさんならそうすると思っていました」

 私はついでに昼食を頼み、彼は厨房に姿を消す。

 着席して、マリアをもう一度訪ねようかどうか、考えていた時。

「こんにちは」

 怒鳴り声ほどではないが、耳につく大きな声が店内に響いた。どうも聞き覚えのある声である。しかし、どうも脳の回線とうまくつながらない。私は答え合わせを兼ねて、声の元を辿った。

「あら、イアン君」

 声は先日の赤髪の青年のものだった。

 見間違えるはずもない。綺麗な赤毛と青い瞳は間違いないくあのイアンという少年だった。両隣には先日の大食らいの少年と少女がおまけのようにくっついている。

 私と同じように歓迎する夫人に、青年は向き直った。

「すいません。ここ、仲介人との待ち合わせに使わせてもらいますね」

 手に、いくらかの、コーヒー一杯ほどの小銭をだす。

 夫人は金が出てくるとは思わず、驚いた顔をした。彼女は迷わずその手を両手で包み、そっと押し返す。

「お金なんていいのよ。二人の門出だもの。好きに使って」

「奥さんには世話になってますし、気持ちですよ」

 彼女は根負けして、眉根を寄せて微笑みながらそれをポケットにおさめた。

 先ほどのモーリスさんと私を見ているようである。絵面の美しさは比べるまでもないが。

 イアン青年は店を見回し、空いている席に座った。

「ちょっと早くついたから、フランコがくるまで好きなの頼んでいいいぞ」

「やったー!」

 少年は盛大に喜び、少女もかわいらしい笑顔を浮かべる。

 丁度、私に昼食が運ばれてくる。普段より贅沢な飯を腹に流し込んだ。おいしくはないが腹は満たされる。

 飯に四苦八苦しながら半分ほど食べ進めたころ、青年の席には男が近づいていた。

 男は目鼻だちがテルミア人のようで目も髪も深い茶色だった。よれたコートには謎の黒い汚れが様々なところに付着している。

「こんにちはー、今日はいい天気ですね。イアンさんですよね」

「だれ」

 端的に発音された言葉は鋭さを孕んでいた。一瞬で空気が引きしまる音がする。

 イアンは明らかに警戒している。夫人との会話でみせた好青年は見る影もない。少しでも機嫌を損ねれば、どう転ぶか分からない。

 それ程の威圧があった。

 男はぎこちなくヘラヘラと笑って、紙を差し出した。

 青年はそれを受け取る。

「すみません。フランコの代わりに来たマッテオです」

「聞いてないけど」

「昨日、フランコが夜盗に襲われちまって、足が折れたんですよ。その代理です」

 と、新たな紙を懐から取り出す。

 イアンはそれをじっくり眺めると、納得した顔をした。

「そうなのか」

 彼は飯を食べ終わった少年少女に視線を送る。

 それを合図に、少年と少女は椅子からおのおの立ち上がる。彼女たちは両側からイアンに近寄り彼の胴体を強く抱きしめた。

「お兄ちゃん」

 少女が呟いた。

 既に涙を端にためていた少年はしゃくり上げていて言葉もない。

「アーロン、エリー」

 彼は2人の腕をほどいて、一人ずつハグと一つのキスを額に落とした。

 最後に耳元で何かを呟き、二人から離れる。

「元気でな。たまに会いに行くから。遠くでもがんばれ」

 2人は離れがたい表情で、大きくうなずき、仲介人の足元に寄った。

 仲介人が先導すると、二人もそれに続いた。

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