第3話
「お茶でものむか」
日はまだ頂点に上り切っていなかったが、休憩をとることに決めた。
すぐ右手。温和な亭主で評判の店である。コーヒーハウスと名売っているが、ドブ川より上出来な料理も提供される店でもあった。
「いらっしゃい。好きなところに座ってちょうだい」
ドアを開けるとモーリス夫人が私を温かく迎えてくれる。
空席はまばらで、概ね埋まっていた。格安で怪しい混ぜ物もない料理を提供をするモーリス料理店では、多少の味の我慢をすれば気軽に腹を満たすことができた。
入口からすぐの席に腰かけると、亭主のモーリスが親しげにはそばに寄ってきた。
「アルフレッドさん。久しぶりですね」
「しばらくここら辺に用が無かったのですが、丁度ルイのところに用事ができて」
「それはそれは。ありがとうございます。それにしても素敵な手が付きましたね」
「ええ、まぁ……」
私は常連というには微妙な客であった。にも関わらず、2、3回来ただけで客の特徴を覚えてしまうのが彼の特技であった。もしかしたら、客だけでなく通りの人間でさえも見知らぬものはいないかもしれない。
「コーヒーでお願いします」
「ご昼食は?」
「持ち合わせがなくて」
「なるほど。アルフレッドさんならツケでも構いませんが」
「次いつ伺えるかわからないので」
「わかりました」
彼を無事、傷つけずにいなした私は暇を持て余し、周囲の客に目を向けた。
このオレンジ・ストリートの住民たちはその日のパンさえ買えない人間ばかりだが、店の中は表の通りより治安は良いようににおもえた。
ぐるりと盗み見るように見回すと、その中で人際目を引く人間がいた。この国ではほとんど見ない赤毛の青年がいたのだ。肌は白く、透き通った碧眼はとびきりの美貌と言えた。
他の客は時折彼を盗み見ては深いため息をついている。
どこぞの貴族かと思ったが、服も短く切りそろえた髪も至って下層の人間と差異なかった。
しかし、彼は気にもかけず昼食を楽しんでいる。
丸テーブルに座る青年の右隣りには黒い髪の少年、左隣には金髪の少女、対面には一人の理知的な青年が食事をとっている。子供たちは夢中になって、山盛りのハッシュドビーフとポテト、それにライスプティングにかぶりついていたが、ふと顔を上げると赤毛の青年に言った。
「お兄ちゃん、こんなにご飯いっぱい食べていいの?」
右の少年は愛らしく、口元に食べかすをつけながら訪ねた。
「ああ!気にしないで、いっぱい食べろ」
青年は珠の美しさに元気な笑みを浮かべながら料理をすすめる。
「ありがとう!でも、お兄ちゃんにも一口あげる」
フォークをハッシュドビーフに突き刺すと、青年の口に勢いよく持っていく。青年は美味しそうに口にした。
「おいしいぞ!」
「よかったー!」
すると左の少女は青年の服を引っ張り、同様に、フォークをむける。青年はそのフォークにも喜んで応えた。
少年がいった。
「ミカとジムにも持って帰ろうよ」
「今日は2人のお祝いだ。それに、食べられるときに食べておけ」
突然、一言も話さなかった理知的な青年が少年を諌めた。
気分がそがれた少年は元気がなくなっていく。
「そうだ。今日はお前たちが養子にでるお祝いなんだ。好きなだけ食べろ」
赤毛の青年が賛同すると、少年は今度は意地でも持って帰ると言い出した。
「わかったよ。みんなに持って帰ろう」
「うん!」
自然と口角が上がるような、いじらしい光景である。
「コーヒーお持ちしました」
モーリスさんが机の上にそっとコーヒーを置いた。私はついでに彼が何者なのか尋ねた。
聞こえないように声を潜め、
「綺麗な方ですよね。イアンさんという方なんです」
「随分と豪快に食べてますけど、何かあったんですか」
「ご兄弟の養子縁組が成立したようで、かなり良いご縁らしいですよ」
私はお節介にも赤毛の青年が仕事仲間の子供の世話をしていると思っていたが。血縁には見えないが、腹が違うのだろうか。
「へぇ……」
モーリスさんと話との切り上げかけた私の背後で、前触れもなく大きな床鳴りがする。
「ちょっと、あんた!」
モーリス夫人が怒声を上げた。
振り返り際、男が急ぎ足で店を出ていく様子がみえた。
「泥棒!」
私は気づいた時には男を追いかけていた。
だが、足には自信がなかった。おまけに土地勘もない。複雑な構造の貧民街は、追跡側に圧倒的な不利をもたらしていた。オレンジ・ストリートの人間は見世物、ないし日常かのように私たちの逃亡劇を静観している。
私は懐に収めていたリボルバーに手をかけたが、すぐさま離した。
「とまれ!!!」
【承認。戦術モード第一段階に移行。】
駆動音と変形。それらを経て私の右手は物騒な形になっていた。
「はぁ?なんでこんなときに!?」
一瞬足を止めかけるが、追いかけた手前で取り逃すというのはいささか格好がつかなかった。矜持でなんとか追いかけていくと、男の背はだんだんと大きくなり、ついにはその背中を捕まえ、体当たりをする。
「どけよ!!!レエラフェ野郎!!!」
「おとなしくしろ!!」
私は左手で男の手を取りまとめ、体を抑えつけたが男は未だ抗う意思をみせていた。見ると顔立ちがテルミア人のそれだった。
珍しい。彼らは北側の工業地区で低賃金で雇われ、工場で寝泊まりしているという。かなり南側にあるこの街で見かけるのほとんどない事だった。
よく聞くと男の呼吸音に、ヒューヒューと異音が混じっていた。どうやら肺を病んでいるらしい。
もう一人いないものかと考えあぐねていると、肩に手が置かれた。
「お兄さん、やるね」
そいつは私の前に回りこみ姿をみせた。
「君はさっきの店にいた……」
「イアンだ」
彼は微笑む。何度見ようとも言葉を失うほどの美貌に息をのんだ。
我に返り、あわてて右手を隠したが巨腕を隠しきれるはずもない。
「お前その手は……」
「それより、手伝ってくれないか」
「そうだね。りょーかい」
物わかりのいい青年は、どいて、と戸惑う私を男から引き離す。
当然のように男が立ち上がり、先ほどと同じ進行方向へと突進を試みる。その先には青年がいた。しかし、青年は身軽にかわして、すれ違いざま足を引っかける。バランスを崩したところ、青年はみぞおちに拳を充てると見事に男は地へと沈んだ。
覚めたまま連れて行く算段だったが、仕方がない。
「すまない。手間をかけた」
「そんなことないよ。お兄さんが引き倒してなきゃ、とっくに逃げられてた。オレ、あそこの店好きなんだ。亭主と奥さんが悲しんでるの見てるのはつらい」
彼は輝いた瞳をこちらに、私の右腕の義手に向けた。私は思わず後ずさる。
「てゆーか、その右手めっちゃかっこいいな!」
「気にしないでくれ。すぐ直るから」
彼は今しばらく私とこの右手について会話をしたげであったが、私は体を半回転して走る準備をした。イアンは、どこへ行くんだ、と私の背中に言葉を投げた。
「悪いが、そいつは頼んだ。俺は少し急用があって。コーヒー代は後で払いに来るって言っておいてくれ」
「おっけー」
案外にもイアンは私を引き止めなかった。彼は気を失った男を軽々と肩に乗せて手を振った。
「じゃあまたね」
「……ああ」
もう会うことはないだろうと思ったが、人の良さそうな彼に言うには憚られた。
私は人通りの少ない場所を探し、丁度いい道で壁にもたれかかった。
「なんでまた……」
私の意思を介さない未知の技術。条件は時間、言葉、衝撃。何らかの技術で隔地からの操作か。
この気まぐれな機械のことを私は何も知らない。無知ほど怖いことはない。
ルイが以前勧めた火付けができる義手のほうが、まだ手品のネタになった。
だが、思えば前回は数分経つと戻っていた。ともすれば、大人しくここで待つことが最適解といえる。
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