第2話
昨夜、私はこの不可解な義手と格闘をした。数時間の末、残念なことに、右手に異常を抱えて眠りについた。
朝には上の階のミルトンさんが騒々しく起きる音で目を覚ました。
私は祈ったが、確認するまでもなく右手からシーツの感触が伝わった。この義手は感触さえ伝わるのだ。
すがすがしいほどに何百年中の最悪な朝だった。
空は舞い上がる工場の煙に遮られ、漂う不衛生な臭い。ロバを引いて魚を売る親子と悲壮感を漂わせた花売りの少女、そして行く先の知れないボロ服をまとう人々と行き交う荷馬車。
私の右手には怪しい技術が取り憑いているというのに、このプラグラフ・ストリートの人々の住民は普段の朝を迎えている。
寒さに震えながら、私は朝食の支度をした。冷たいコーヒーと硬いパンが今日のラインナップだ。
左手でカップを持ち上げると、手が滑り床に落としかける。咄嗟に出た右手でキャッチすると私は複雑な気分になっていた。
私の疑問は枚挙にいとまがなかった。
この義手はどこから現れたのか。
空から降ってきたなぞ、到底信じられない。鳥が抱えるには重すぎる。
飛行船から落ちたというのが妥当だったが、あの時私の頭上付近には飛行船は見当たらなかった。仮に飛行船から落ちたとすれば、これは高貴な方の落とし物なのか。
そして、何故私の腕にいつのまにか装着されていたのか。時計塔から落ちたが、生きているのか。そして、しゃべるのか。
わかったことと言えばこの義手の製作者はオースチンということと、私が腕をもう一度切断しなければ義手は取れないということだ。
一晩考え、辿り着いたのは知り合いの手を借りることだった。背に腹はかえられない。私は朝食を終えると、愛用していた拳銃と絵本を持って家を出た。
都市部からほどなく歩くと、より色褪せた服を着る人間が目立ち始めた。
男たちが家の前の段差に座り込み、密やかに言葉を交わしている。人々が私を見る目は異様で排他的であった。プレグラフ・ストリートより一層に臭く、汚物に塗れた街並みをゆく。ひどい造りの家ばかりだ。棟木も壁も歪み、潮風で湿気ていた。
いくつかの角を曲がり、まずい料理屋と安普請のアパートの隙間を通ると傾いた掛け看板が見えた。
『ベルナー修理屋』
建付けの悪い扉を蹴り開け、私は入店した。
油とグリスとシンナーとその他、とにかく種々雑多のにおいがする悪趣味な店。ジャンク品のがのった数個の棚と、巨大な機械が私を迎えた。
先ほど扉に備えられたベルが鳴ったのだが、一向に人の気配はない。私は仕方なく、書類と落書きで見るにも耐えないカウンターを回り込んだ。奥にある煤けたたれ布をめくると目当ての男がいた。
奴は背を丸めて設計図と相対し、何かを書き込んでいた。
「よう」
背後から私が挨拶をすると、奴は一瞬驚いたかのように顔を上げて黒縁の眼鏡をはずす。私を見るなり、眉根を寄せて歓迎してくれた。
「いらっしゃいませ。アポもなしによくも来やがりましたね」
「そんな高尚な店でもないだろう」
ルイ・ベルナー。この修理屋の店主であり、機械修理を生業としている自称一流技師である。
オイルで汚れた地味なつなぎでさえ似合ってしまうような細面で女受けが良い顔をしているが、機械開発一本で顔に見合わずひたむきな男だ。
彼とは戦争前から細々と続いている縁の一つであった。
「なんだその手は」
ルイは私の右手を見るなり、一目瞭然の変化に訝し気だった。
「このことについて、君に聞きに来たんだ」
「お前がつけたんだろ。装具の知識なんてあったのか」
「私じゃない」
全く理解をしていない顔で続けた。
「なにが知りたいんだ」
「……製作者とこれの外し方」
そんなことも分からないほど私は阿呆なのだと言っているようで、まるで、先生に怒られている生徒のようにひどく躊躇いがちだった。
ルイは更に疑問を深めた表情で言った。
「そんな事、俺に頼まなくとも売ってきた奴なりに教えてもらえばいいじゃないか」
「それが、それもなくて…」
「どんな中古品を買ったんだ。だから俺の作った機械義肢はどうかって聞いたんだ」
「君の義手は余計な機能が多い」
「便利だろ。ライター付きなんて素敵すぎる」
ルイは歳を感じさせる動きで立ち上がると、視線を作業台へと寄越した。私は従って、作業台の前の椅子に座り、診察室の医者と患者のようにルイと対面した。私は、件の義手を作業台にのせ、ルイは右腕を外そうと手をかけた。
数分、工具片手に眺めたり回したり叩いたり。あまり期待できそうにはない表情で義手に取り掛かっている。
ついには苦悶の声を上げた。
「なんだこれ。外れない」
「おい、ほんとか?君でもか…」
「ロックがかかってる。鍵穴もダイヤルも見つからない。シリンダーすら見あたらない」
精密作業用のゴーグルを取り外し、諦めた態度のルイは敗色の様相を呈していた。
「この手の義手はウェスタエー構造が主流なんだが、かといって他の構造でもない。材質も主成分は鉄とかアルミとかそこらへんだけど、」
奴は腕に対して平行に細長い、ほのかに光る供給源らしきものを指し示す。
「ここら辺は、よくわからない。多分バッテリーだと思うけど。そもそも任意で取り外しができないなんて一般人が買う義手じゃありえない。なんだそれ」
私は少し考えた後、この義手の変形は伝えないほうが最善であると判断した。機械技師であるルイはその一途さからこれ以上話すと義手に関してまとわりつかれる可能性があった。私は既に奴の視線が怪しいものであったことに気づいていた。
「空から降ってきたしゃべる義手」
自身でもわかる軽薄な表情で事実を伝えると、ルイは気の抜けた表情で足を組んだ。
「ミルバクの最下層の売春婦だってもう少し同情できる作り話するぞ」
首のコリをほぐすと奴は立ち上がり、作業室のさらに奥にある給湯室に向かった。
私は少し声を張ってルイに対し非難がましく言ってみることにした。
「私は義手は全く専門外だ。君がわからないとなると、ユートクにでも行かないとわからないんだが」
「俺も言いたくないんだが、全くわからん。調べてやってもいいが、金」
腐れ縁の情さえ感じさせない、至極真面目な声音でルイはお茶をティーカップへと注ぐ。
「人情もなにもあったもんじゃないな」
「世知辛いねー」
ルイはティーセットを手に腰を落ち着けた。そして緩んだ髪紐を取り外し、煩わしそうに結びなおす。
私の言わんとしていることを察したルイは言い訳がましく一言。
「こっちのほうが女の子の受けが良いんだ」
奴の長いブロンドの髪は、華やかな顔面に女性的な色香を添えていた。有り体に言えば似合っていたので、うなずける内容であったが、私はそれが無精からくることを知っていた。
一仕事終えたルイは、私の視線を振り払うように紅茶をすすった。
「技師の名はオースチンというらしい。昨日自分で調べたときに見た」
「俺も刻印を見たがそいつに関しても聞いたことはない。無名技師か?」
「私も知らないんだ」
「ふーん」
訳アリのような態度をとる私にルイはそれ以上踏み込む事はなかった。
ルイの生来の傍若無人さを抑えた、そんな精神的成熟に私は感心た。また、そんな人間の無意味な気遣いに多少の申し訳なさを私は感じていた。
あからさまに落胆する私にルイは話題を提供する。
「突然現れた謎の義手ね。最近そんなような話を聞いたな」
「ほんとうか?」
思わす椅子から浮き上がる。
「あ、逆か。消えるんだっけか」
小さく呟くと、凄惨なカウンターに立った。なにやら探すと、書類のしたから一つのタブロイド誌を取り出した。
「あー、これだ。スッキリした」
『ドクターサビアス、転移装置開発成功か』
見出しには大きく書かれていた。
「ぬか喜びさせるな。なんだこの三流タブロイド誌は。転移装置?」
「並の小説より空想話がうまいんだここは。消えた絵画と転移装着の真相。気分転換に丁度いい。お前にやるよ。なかなかだぞ」
ルイは私にタブロイド誌を渡した。素直に言えば私には必要のないものだったが、彼の顔をたててしぶしぶ受け取った。
「とにかくお前はわからないんだな」
「巷の噂を話し出すくらいにはな」
ルイは製図台に戻ると、鉛筆を持ち再び図面と相対した。
私は立ち上がり感謝を示した。
「邪魔したな」
「今度は良い依頼話でももってこい」
カウンターに申し訳程度の報酬を置いていくと、入店と同様に蹴破って店を出て行った。
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