95 『デルタバリア』
チナミは、音もなく地上に飛び出した。
通常、《
それを見越して、奇襲攻撃時には剣を振り抜くまでは呼吸をしない。
些細な点だが、チナミの徹底は万全を期すものである。
ヒナほどに聴覚がズバ抜けて優れている人間でもなければ気づけない。わずかな衣ずれの音やら心音やらを聞き分ける耳がなければならない。
さらに、魔法道具にもなっているお面のおかげで、影もつくられなかった。
わざわざ彼らの背後に立てば影ができる向きからの奇襲であり、影を消すことでそちらから近づいた者はないと油断するはずだったのに。
それなのに、バレた。
奇襲に気づかれた。
剣尖すら見極められて対応されてしまった。
このとき。
まるで何事もなかったような無表情はチナミ元来の気質によるもので、織り込み済みだったわけがない。
それでもチナミは虚勢を張って答えたのだった。
女騎士・オリエッタはフッと笑った。
「へえ。生意気。じゃあ、見せてよ」
「御意」
また虚勢を張る。
見せる技など、今この瞬間にはないのに。
しかし剣を振るった。
晴和刀、良業物五十振りの一つ『
チナミの剣術は一般的に見ればかなりの腕になるが、オリエッタはうまいこと距離を取って対決を避けた。
――動きはまあ……でも、目がいい。
そんな評価を、剣を交えた相手に内心で送った。
「……」
彼女は、煽っておきながら停戦した。
様子をうかがいたいのだろう。
「そろそろ自己紹介でもしようかしら。あたしは
その間に、イーザッコのほうが魔法を発動させようとしていた。
「戦闘は始まった。それなら、悪いけどぼくはぼくの時間を過ごさせてもらう」
「好きにしていいわよ、イーザッコ」
イーザッコは手を動かす。指先を編むような動作をして、最後に三角形をつくってみせた。
チナミの記憶の中にある、忍者の印を結ぶ様に似ていた。
「ぼくは《
彼の目の前には、三角形のオーラのようなものが現れた。
三角形、つまりはデルタ。
これが『エレガントデルタ』なのだろう。
その三角形は徐々に色を帯び、薄い緑色になった。
なんとなくそれはテントのように見えた。こんな街中でなければ、もし木漏れ日の差す森の中であったなら、幻想的なキャンプ風景に見えたかもしれない。
なぜならそのデルタは半透明で、外からも中が透けて見えるファンタジーなものだったからだ。
イーザッコは、その中にいた。
デルタの内に佇み、
「ソロはいい。ゆっくりと、自分の時間を楽しめるからな」
そしてまた、一瞥して、それは結界の類いであるとチナミにはわかった。
――どんなエフェクトを持つ結界かはわからないけど、すぐに近づくのは得策じゃない。むしろ……。
むしろ、チナミより適任がいる。
魔法の性質上、ブリュノに任せるのがベターだった。
――ブリュノさんに一任。私は『サードアイ』オリエッタを倒す。
構図は決まった。
これで攻めて、互いにフォローしながら戦う。
あとチナミがすべきは、オリエッタの攻略である。
攻略には観察と分析が不可欠で、チナミにはまだオリエッタがどんな魔法を使うのかもどうしてさっきは攻撃を見切られたのかも解析が及んでいない。
――ここから開始する。『サードアイ』がなんなのか、教えてもらう。
通り名の『サードアイ』に彼女の魔法の秘密が隠されているはずだ。
――第三の目。『サードアイ』。これが意味するのは?
チナミは刀を鞘に収める。
一方、ブリュノもレイピアを鞘に戻し、ピシッと綺麗に立って一礼した。
「ラッサンブレ・サリュー」
これは気をつけ、礼の意味である。
ブリュノはいつもこの挨拶をしてからコロッセオでの試合をする。こんな敵を相手にしてもそれをするのは、律儀というより、ブリュノの美学でもあるようだった。
「アンガルド!」
構えの意味があり、ブリュノはレイピアを抜いて構えた。
が。
ブリュノは攻撃に移らない。
「どうしたんだい? ボクは自分だけが構え、相手を待たずに戦いを始めることを望まない。キミも構えてくれたまえ」
「ん? ぼくに言ったのか? そっちはそのつもりかもしれないが、ぼくは見物させてもらうよ。オリエッタは強いから二対一でも大丈夫だと思うぜ」
「悪いけど、それはボクの美学が許さない。ボクは二対一で戦うことなんてできない。チナミくんがオリエッタくんと戦う以上、ボクはイーザッコくん……キミと戦いたい――ッ!?」
バン。
銃声が鳴った。
イーザッコが撃鉄を引いたのである。
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