88 『マジッククラッカー』

 まさかとは思ったが、ヨセファの魔法がどうにかされたらしい。

 おそらく、ヒサシが杖でヨセファの背中を叩いたときに、ヒサシの魔法が発動したのだろう。

 ヒナの力が抜け、もう抜刀するための手はぶらんと下がった。


「魔法って……それって……。あんた、あいつの魔法を奪ったの?」

「やめてよー。それじゃあ、ボク泥棒みたいじゃない。違うよ。人の物を奪っていいのは、お宅のところの『万能の天才』みたいな、人類を超越しても足りない存在だけだよ」


 楽しげに答えるヒサシ。


「ヤツはッ! アタクシの魔法を、消したのですヨ!」

「消した?」


 そう疑問形で繰り返すヒナに、ヒサシは言った。


「違う。消したんじゃない。壊したんだ。ボクはとても雅な趣味の持ち主なんだけど、趣味の悪い物は壊したくなるんだ。そう、キミのような悪趣味な魔法とかさ」

「それが、あんたの魔法……あっ、クラックって言っていた、あれが……」


 今や、ヒナはヨセファにはなんの警戒もしていなかった。

 むしろ、得体の知れない、この一見無害にして善良に過ぎる佇まいを装った茶人に、いつでも逃げるには充分なほどの警戒をしていた。


「ヒナくん、そう警戒しないでいいよ。キミは士衛組。ボクは鷹不二。ボクたち鷹不二の大事な友だちに、なんにもするわけないじゃない。ねえ?」

「そういえば、鷹不二氏は『運び屋』スモモさんがクコをサポートしてくれているみたいね。なぜ、鷹不二氏は士衛組に協力してくれるの?」

「何度も同じことを言うのは趣味じゃないんだよねえ。士衛組と鷹不二は友だち。はい、この話は終わり」

「……」


 言葉が出てこないヒナに、ヒサシは付け足す。


「しょうがないなあ。ちょっと教えると。いつか、士衛組は鷹不二を助けてくれる気がするんだって。うちの大将がそう言ってたよ。ミナトくんとは友だちだったみたいだし、その縁もあるんじゃない? 細かいことは気にしない気にしない。それより、この人。どうしようか?」

「あ。確かに、このまま逃がしても使い物にはならないか」


 ヨセファは自分でもどうしようもなくなっているようで、ヒサシにやり返そうともせず、逃げようともしていなかった。

 あえてひと言で表すなら。

 思考の迷宮に入った、哀れな子羊。

 放心と呼ぶには諦めきれない瞳の色が宿り、しかしその目には活力があまりに欠落してしまっていた。

 ヒナはヨセファを見て、


 ――くせ者。『茶聖』つじもとひさしは、くせ者としか言えないわ。ここまで打ちのめしておいて、まだ手足は切らずに生かしておいて、それでいてそのままポイ捨てするような真似、常人にはできない。


 と思った。


 ――なにを考えているか読みにくい。敵にも味方にもしたくないタイプだわ。


 くるりとヨセファに背中を向け、ヒサシは言った。


「ちなみに、ヒナくんには教えてあげるよ。ボクの魔法は《魔法曲者マジッククラッカー》。他者の魔法情報を書き換えることができるんだ。これで、シスター・ヨセファの魔法《人格ツボ押しパーソナル・フィンガー》の情報を書き換え、使えなくした。正しくは、彼女自身の人格だけは変えることができる、といった魔法に書き換えたわけだよ。でも、今までとはまったく異なる使い方しかできなくなった。本質は変わらないけど、性質はがらりと変わってしまったんだからさ。一種の破壊行動だね」

「《魔法曲者マジッククラッカー》。魔法の書き換え……。そんなの、完全な破壊者じゃない。あっ、だからクラック……!」


 魔法情報の歪曲。

 あるいは、魔法情報の曲解を与えることである。

 ねじ曲げられた魔法情報は魔法の破壊にほかならない。

 すなわち、破壊クラック

 じゃあ、とヒナは疑問も浮かべる。


 ――じゃあ、ハックってなによ? そっちは……教える気ないみたいね。


 もう、言い終えたと言わんばかり、ヒサシはニヤニヤとしているのみだった。

 やはりくせ者だ。

 そして。


 ――やっぱり、この人は敵にも味方にもしなくないわね。


 だが幸いにして、ヒナにはヒサシがどんな計算をしているのかわからなかった。わからなくてもよいと思った。


 ――とりあえず、あの哀れな子羊は放っておいていい。で、この『茶聖』を語るくせ者とは適度な距離を取って行動。リディオから連絡が来たら、そのとき伝える。この場であったことを。


 さて、とヒナは声にした。


「こいつはもう魔法の性質が変わってしまった。だから、こいつにクコたちを直してもらうことは考えても無意味。直してもらうには、サツキかロメオさん、あるいは先生を頼るのがベターね」

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