87 『オブスタクル』

 ある種、クコやアシュリーにとってはこのシスター・ヨセファこそが悪の権化であり根源だった。

 ヨセファによって、クコは赤ん坊みたいになってしまい、アシュリーの兄は操られて敵の手駒にされてしまっている。

 すべてはヨセファの魔法のせいで、魔法が解けていないからだった。

 一つの洗脳である。


 ――もし、こいつがヒサシさんに倒されて、気絶でもすれば。みんなにかかった洗脳みたいな効果が解けるの? それとも、解けずにそのまま? エクソシストの力が必要な案件なわけ?


 エクソシストは、ふつとも呼ばれる。

『洗礼者』ヨセファの魔法《人格ツボ押しパーソナル・フィンガー》が呪いの性格を強く持った魔法であった場合、術者の気絶程度ではまず解けない。


 ――呪いは術者が死んでも解除されるとは限らない。


 だから、ただ倒すだけで《人格ツボ押しパーソナル・フィンガー》の被害者たちは救われない。

 すべてが元に戻ることはない。

 ヒサシはどこまでを計算して戦うのか。

 注目しながら見ていると。

 ヨセファの人差し指がヒサシを狙って攻撃した。

 最大標的はヒナだが、介入してきた無礼な邪魔者を、ヨセファは先に始末することにした。

 しかし、ヒサシはそうたやすく始末できる相手ではなかった。

 軽やかに。

 踊るように。

 無駄の少ない動きでヒサシはよける。

 茶人らしい出で立ちの着物なのに、実に軽やかな身のこなしで、口先と同じく動きも軽快そのものだった。

 杖を器用に振り回し、ヨセファの手をバシッと叩き、攻撃を寄せ付けない。

 手を叩くこと数度。

 ヒサシはトン、とヨセファの背中を杖で打った。


「うごっ!」


 声が漏れる。

 キッと、ヨセファがヒサシをにらんだ。

 そのときには、ヒサシは数歩後ろに下がっていた。

 さらに数歩後退して言った。


「ねえ。キミ、アシュリーって子のお兄さん・サンティくんをどんな性格にしたか覚えてる?」

「アシュリー? サンティ? だれかは存じませんが、いちいち覚えているわけないのですヨ」

「なるほどねえ。あのさあ、キミって無責任過ぎじゃない?」

「は!? なんのことですヨ?」


 疑問符は、ヨセファだけじゃなく、ヒナの頭上にも浮かんだ。


 ――急になんの話をしてるの……?


 ヒサシが口の端を吊り上げる。


「いや、そのままそれってキミの生き方とかやり口とか言葉に表れているから、そうだろうなって思ってはいたんだけどさ」

「だから、なにを言ってるのですヨ!」


 地面を蹴り、ヒサシの懐へと飛び込むヨセファ。

 これを足首のステップでくるりとかわして、またヨセファの背中にトンと杖を打ちつける。


「はい、終了! もう上がっていいよ」

「うっ! 痛っ……」


 ヨセファが背中に手を当て、


「しかしこの程度、ただのシスターでない、サヴェッリ・ファミリーの幹部であるアタクシにはなんとも……」


 ピタッと、ヨセファが動きを止める。

 言葉も止まった。

 目玉だけがぐるりと動いて、ヒサシの瞳に吸い込まれるように見返した。


「なにをした?」


 小さな声だった。

 おそらくヨセファも理解が追いつかないからだろう。

 素直な疑問であり、敵意が恐怖を含み、警戒が声を小さくした。

 ニヤニヤとおかしそうにヒサシは笑う。

 声は出さずに笑う。


「ふ」


 噴き出して、それから言った。


「教えるわけないでしょ。試してみればいいんじゃない? まあ、ボクに触れられるならだけど」

「貴様ッ……」


 杖をもてあそび、右手で操って左手のひらにパシンと当てる。


「もし。仮に。あり得ないことではあるけれど、仮定の話をしてあげると。キミたちサヴェッリ・ファミリーが士衛組『ASTRAアストラ』連合に勝ったとして、それでも似非シスターのキミにはやれる仕事がある。またコソコソと情報収集を続ければいいんだよ。人には適性だってあるし、その性格じゃないとできないもんねえ。そんなこと」

「貴様ッ! アタクシのっ! アタクシの魔法を、どうしてくれた!? 言うのですヨ!」

「え?」


 と、ヒナは驚嘆した。

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