60 『セクレタリー』

 主人であるオウシが地上に降り立つと。

 ともえまるは、気配を察した。

 振り返ると同時に、片膝をつきぺこりと頭を下げた。


「チカマルでございます」


 オウシの秘書官のような存在であり、側近としてだれよりも忠実に尽くす『けんていなる秘書』。

 年は十一歳になり、おかっぱ頭も愛らしい少年だが、行き届いた気配りと聡明さを買われてオウシの秘書になった。オウシの性格を知り、ツボを理解し抜いている。そのため、余計な言葉を差し挟まず名乗るのみに留めた。


「で、あるか」


 返事が聞こえると、チカマルはオウシの顔を見上げた。声の響きや表情から、オウシの機嫌が損なわれていないことがわかる。


 ――オウシ様はミツキ様とごいっしょだったようですが、この異変に巻き込まれて一人になったと思われる。しかし機嫌は悪くない。


 感情の機微を読み取ると、チカマルは小さく微笑を浮かべた。


「お会いしとうございました」

「わしもじゃ」


 だが、チカマルはあえてそれ以上に言葉を続けずに待ちの姿勢になる。


 ――先に状況を聞かれるのを好むお方ではない。なにか話したそうにおられるし、言葉を待とう。状況把握のために、僕に質問するか自分のことを話すのか……。


 会話の舵取りはオウシに任せ見つめていると、


「ゆくぞ。こい」


 と告げられた。


「はい」


 サッと立ち上がりチカマルはオウシの半歩後ろをついていく。

 この不思議な魅力を備えた主人は、一見穏やかにも見え、冷静で視野の広い人だが、ささいなことがきっかけで機嫌を損ねる時がある。底知れない頭のキレは、あるいはミツキ以上の鋭さで、その頭脳の理屈に反することがあった際に、オウシはパッと怒りに火がつく。

 普段はそんなことほとんど起きないし、チカマルがそうならぬよう気を配っているが、オウシの機嫌で仕事の進捗や方針が大きく変わることもある。

 西のスサノオの苛烈さに比べて、東のオウシはその癖が表に出ることが少なくあまり周知されていないが、チカマルはそうした機微にはよくよく気をつけていた。

 それもこれも、オウシが好きだからであり、オウシのためになるからである。

 やはり今もオウシはしゃべり出した。


「この街は碁盤の目状に、空間が切り取られ入れ替わっているようじゃ」

「碁盤の目状に」

「で、あるか」


 と、オウシは半歩後ろを歩くチカマルの挙動に気づく。

 わずかな衣ずれの音はチカマルが袖を動かした証拠であり、ここでなにをするのかがわかっての言葉である。


 ――マフィアの気配を察していたが、チカマルが動くなら是非もない。わしは楽させてもらおう。


 チカマルもマフィアが近くにいることに気づき、魔法を使ったのだ。


 ――ふん。チカマルの《きょうめいそう》は音の発生源と音の大きさを変えられる。また耳元で拍手音をかましたのであろう。わしの手を煩わせぬための手配、よきかな。


 魔法《きょうめいそう》を有するチカマルの常套手段が、手を叩いた際の音のコントロールだった。

 特に、耳元で大きな音が響くことにより、鼓膜を破ったり突発的な爆音で驚倒させたりすることが多い。

 今回も、チカマルはこれによってオウシが《波動》を使って戦うこともなく、考えをまとめながらしゃべれるよう、動いていた。

 オウシはそれもわかって、気分よくしゃべり続けた。


「ついさっきのことじゃ。わしはミツキと共に、ミナトに出会った」

「ミナト様でございますか」


 相槌を打つチカマルの声が弾む。

 旧友・ミナトはオウシとも同門だったが、同じ道場をオウシが卒業したあと、チカマルもミナトとは共に学び舎で過ごしたのだ。


「しかし二人とは、はぐれてしまった。おそらく、ミナトとミツキもバラバラであろうな」

「それは残念ですね」

「チカマルもミナトと会いたかったと見えるが、この日のうちに、いずれ会う。わしらはわしらで士衛組と『ASTRAアストラ』の手助けでもしてやればよい」

「はい」

「が。ここは、わしもやるぞ」


 と、オウシは道の先でマノーラ騎士団とマフィアが戦っているのを見つけて言った。

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