29 『アシュリートラジェディ』
彼女の抱える事情は少しばかり複雑で、マノーラに来た理由にもマノーラにとどまる理由にも、兄の存在がある。
アシュリーの兄・
サンティの夢は学者になることだったのだが、両親が他界してしまって自分が妹を育てなければいけないからと、夢を諦めてお金を稼ぐことにした。そこで、早々にまとまったお金を稼ぐチャンスのあるコロッセオに挑戦することにした。
しかし、初めての試合当日、行方不明になってしまった。
少し前まで兄の隣にいたアシュリーは驚いたものだった。
ほんのわずかの時間で、もう会えなくなるとは思わなかった。
そんなとき、アシュリーはサツキに出会った。
サツキはアシュリーよりも一つ年下だが、しっかりしていて頼もしく、困っていたアシュリーの事情を聞いてくれたし、兄を探すことを協力してくれると言ってくれた。
また、サツキがお世話になっているところにお願いして寝泊まりできる部屋を用意してくれると申し出てくれたのだが、そこまで頼るのは申し訳ないので、マノーラに滞在する間の宿代と生活費を稼ぐことは自分でやろうと思い、今日も仕事を探していたのだった。
そうして歩いていたとき、アシュリーは通りのずっと向こうのほうが騒がしくなっているのを感じた。
「なにか、あったのかな……?」
しかも、一カ所だけじゃないらしい。
町中が不穏な空気に包まれ出しているようなのだ。
「事件とかじゃないといいけど……」
アシュリーが急ぎ足になったとき、道行く先からだれか二人くらいの青年が暴れているのが見えた。
彼らは通りにいたマノーラ騎士団と戦っているようだった。
二人のうち一人が、マノーラ騎士を倒してこちらに駆けてくる。アシュリーは隠れようとして、絶句してしまった。
――え? あれって、なんで……?
あまりに予想できないことだったから、アシュリーは動けなくなってしまった。
「なんで、お兄ちゃんが……?」
マノーラ騎士を倒して向こうからやってきているのは、なんとアシュリーの兄・サンティだった。
この騒ぎに、通りの人々は道の端によけて、関わらないようにしようとしている。あるいは自分の身を守ろうとしている。
サンティも、誰彼構わず暴力を振るっているわけではないらしい。
しかし、邪魔になる人間がいれば剣で斬りつけて駆け抜ける。
そのサンティがついにアシュリーに迫ってきた。
距離も二十メートルを切るが、アシュリーは頭が恐怖と驚きで真っ白になっており、動けなくなっていた。
急な失踪で姿をくらませた兄。それも、何者かによる誘拐ではないかとサツキたちと話していたものだが、今目の前に現れたサンティはそんな素振りなどなく、ただ自我を失ったように暴れている。
サンティは、自我を失った状態で、なにを目的として剣を振るっているのか。
それもわからないまま、サンティはマノーラ騎士団に、
「あのマフィアを捕らえろ!」
「サヴェッリ・ファミリーを逃がすな!」
と追われている。
町の人たちも、「マフィアがなんでマノーラにいるんだよ!」とか「町から出ていけよ! マノーラには『
「っ……!」
はっと息を飲み込み、声が出ないアシュリー。
――違う! お兄ちゃんはマフィアなんかじゃない! みんな、やめて!
叫びたいのに声を上げることもできない。それほど、アシュリーは自我を失った兄にもマノーラ騎士団たちにも町の人たちの言葉にもショックを受けていた。
そして……。
その時は来た。
実の妹に剣を向けたサンティ。
サンティの通る道の邪魔をしたものは、さっきの通行人のように斬られてしまうのだ。
アシュリーは、息も止まってしまった。
「うっ!」
涙がじわじわと溜まってきた瞳を、ぎゅっと閉じる。
怖い以上に、
――なんで!?
という気持ちだった。
――お兄ちゃん……! どうして、今ここに、こんな姿でいるの? なにがあったの? お兄ちゃんは、こんなことする人じゃない。顔つきも違うし、目の焦点も合ってなかった。お兄ちゃんはマフィアなんかじゃないのに! だれか、助けて……!
なにもできずに固まって、斬られるときを待つばかりのアシュリー。
小刻みに震える身体で立ちすくみ、
――あ、あれ……?
疑問符が頭に浮かんだ。
まだ生きている。
もう斬られてしまっているくらいの時間が経ったはずなのに、痛みもない。
恐る恐る目を開けると、目の前には、銀色にきらめくものがあった。
金属音が響き、サンティの持っていた剣が払われる。
剣と剣がぶつかり、サンティの剣が弾かれたらしい。
「はあああ! 《
少年の背中越しに、サンティが吹き飛ばされ、建物の壁にぶつかった。
黒いマントをはためかせる少年を見て、アシュリーは声をあげた。
「サツキくん!?」
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