116 『エリクサー』
「《賢者ノ石》は、我が曾祖父が完成させた」
『神ノ手』と呼ばれる医者にして錬金術師・ファウスティーノは語る。
「しかしそれは、伝説として噂されるのみとなった。実物を見た者はないとされた。その後、曾祖父の残した資料を元に、私が再びこの世に《賢者ノ石》を生み出した」
伝説上の秘石を、ファウスティーノは現世に蘇らせたのである。
「それも、《賢者ノ石》はほかにも存在する。別の道によって生み出された《賢者ノ石》であり、私の持つそれとはやや性質の異なるものだ。もしかしたら、私の曾祖父が創ったよりも先に創られたものかもしれない」
「ずっと昔から、噂自体はあったということですか」
ミナトが合いの手を入れると、ファウスティーノはうなずいた。
「ああ。もっとも、その持ち主にして錬金術師・サンジェルマン伯爵は、史上もっとも謎に包まれた人物なのだ。サンジェルマン伯爵など存在しないと言う者さえいる。ゆえに、秘密結社『
「その伯爵については、その人そのものさえ実在が怪しまれているのですねえ。おもしろいなァ、錬金術師の世界は」
「伝説とはそんなものだ。私からすれば、『万能の天才』の存在も疑っていた。あれほどの多種多様な噂を持つ人間はそうそういない。サンジェルマン伯爵と並ぶほどの謎多き人物なのだ」
「確かに先生は変わり者ですからね」
と、ミナトは笑う。
「レオーネとロメオから『万能の天才』がいると聞き、しかも今は亀の姿になっていると知ったときには驚いた。『万能の天才』は優れた医者であり学者であり錬金術師だからな。会って話を聞いてみたいとも思ったほどなのだ」
「会うといいですよ。先生はおもしろい方です」
「ああ。機会があれば、そうさせてもらうのだ」
「はい」
「余談が過ぎた。とにかく、私の持つ《賢者ノ石》は私の曾祖父が医師として旅をしていた頃、彼によって使われた」
ミナトが少し考えるようにして、
「医師として使ったということは、つまり、《賢者ノ石》は治療目的で使われたということですか」
「そうだ。ゆえに、これを《賢者ノ石》とは思われず、特殊な薬だと思われていたのだ。曾祖父も、《賢者ノ石》の名で呼ぶことは避けた。なんでも叶えられるそれは、様々な人間から狙われてしまうからだろう。そこで、《エリクサー》と呼んだそうなのだ」
「なるほど。霊薬《エリクサー》の名は、そうして知られるようになったのね」
と、ルカも理解した。
「曾祖父は医師だった。そして錬金術師だった。そんな曾祖父だから、人の健康を守るために《賢者ノ石》を創ろうとしたのだ。そしてそれは完成した。だが、人の治療を目的とするゆえ、本来の錬金や不老不死といった効果をほとんど持たない」
「ほとんど、ということは……」
ミナトがつぶやくと、ファウスティーノは語を継いだ。
「多少の融通は利くということなのだ」
ただの薬の域を超えたことができる霊薬なのである。
「人の手では治せない症状を、《エリクサー》は治せる。それでも、完全な万能薬ではない」
ファウスティーノは、淡々と作業を続ける。
サツキがロメオにもらったグローブ、《
魔法効果は打ち消された。
たちまち、サツキの左腕からは血が流れ出した。
限界まで硬くなった左腕は、血や血管まで固まり止血の必要がなくなっていたのだが、《ダイ・ハード》が解かれたことで普通の人間がそうなるように、腕の断面からは血が流れたのだった。
「今から《エリクサー》を使うのだ」
伝説上の霊薬《エリクサー》は、ファウスティーノの短剣に入っている。
ファウスティーノは短剣『アゾット剣』を左手に持ち替え、右手で丸い柄頭を回した。
すると、瓶の蓋みたいに外れて、そこから赤い粉末状の物がサツキの左腕にふりかけられた。
――赤い。光り輝いているわ。《賢者ノ石》というから、てっきり大きな宝石のようなものかと思っていたけど、粒子状なのね。
ルカが書物で読んだところには、どんな色でどんな形状なのかはほとんど書かれていなかった。赤いとか光っているとか、書かれているものもあったが、本物がこれほど赤々しいとは驚いた。
「腕が、つながっていく」
ぽつりとルカがつぶやいた。
赤い粒子が徐々に腕に吸収されるように溶けていく。
そして、さっきまでこの腕が身体から離れていたのが嘘みたいに、ごく自然につながったのだった。
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